EP5 ご主人様
リナ……様は、私の首輪にそっと触れた。
その直後に、私は得体のしれない強烈な束縛感を感じたが、すぐに平常な状態に戻った。
「……?」
「これで契約はおしまいですか?」
「そうですね。後は好きにしていただいて構いません」
お金を渡して、いとも容易く買い取り契約が終わってしまった。
私の中に残る僅かな記憶が言っている。大きいお買い物をするときは、もっと煩雑な手続きが必要なものだ。それがまるで消耗品を買うようにすぐ終わってしまうとは、
(……文明レベルがこのくらいだと当たり前なのかな……あれ?私はこれ以上の文明なんて知らないはずなんだけど……)
自分の言葉に惑わされ、私が一人で混乱していると、私の手がギュッと掴まれた。
「うわっ!?」
掴まれた手は、店の出入り口の方に向かっていき、それに引きずられて私の身体も出入り口に向かっていく。
「じゃあ行こっか。時間がないから早くやって欲しいこと教えないと……あっ、そうだ名前!なんていうの?」
「えっと……フィリアです」
「フィリアちゃんね、分かった。じゃあ今からあなたにしてほしい仕事を教えるね~」
「えっ、今ここで!?」
店から出てすぐに、歩きながら私に仕事が教えられるらしい。聞き逃したら不味いことになりそうだ。
リナ様曰く、
「簡単に言うと、私の侍女になって欲しいの。私はこう見えても平民の出だから、ベテランを雇うお金は無くってねー……」
「はあ、でも私は礼儀とか知りませんよ」
「それは覚えればいーの」
軽い。拒否権はないけど、この人がご主人様でいいのだろうか、記憶にうっすら残る無責任なチャラ男を連想させる。
だけど、これだけ軽いと、無茶な命令はしてこなさそうで安心出来る。
「……いつまでに覚えれば?」
「明日までに最低限は」
……前言撤回。ご主人様凄く無茶な人だった。
◇◇◇
フランダムは、一般的に庶民が住むような街ではない。王族に貴族や官僚、そして限られた平民が住まう場所だ。王宮という構造を、一つの都市レベルまで拡張したものである。
奴隷商店のあった場所が、そのごくわずかな平民が住まう場所で、いくつもの貴族の屋敷が建つフランダムの更に内側に行くには、東西南北合わせて4つある門のどれかをくぐる必要がある。
セキュリティもかなり強固だ。身分証がないと入れないので、部外者はやすやすと入れるわけがない。
ちなみに、私のような奴隷は、主の持つ契約証明書が身分証代わりになる。まさかここで弾かれるなんて事はない。
「あの……一つ質問してもよろしいですか?」
「うん」
「平民の出なのに、何でここに住んでいるんですか?」
「知らなかった?この国の制度のこと」
私は、その言葉を聞いて首を傾げた。何分、辺境の生まれなので、中央政府に関わる制度のことなど微塵も知らないのだ。
「確かにこの国って、異様なまでに強固なカースト制度が支配してるけど、かと言って抜け道が無いわけじゃないんだよ」
「賄賂ですかね?」
「それで抜けられるのなら苦労しないわよ……まあ、簡単に言うと、何か卓越した才能を持って、この国随一の学校に受かれば、どんな身分であれしばらくは貴族としての優雅な生活が送れるってわけ」
まさかそんな道があったとは、知っていれば私も受けられたのかも……
「って、しばらくってことは、卒業までは……」
「そこがミソなのよ。まさか国が無尽蔵に悪徳な貴族を増やし続ける訳もない、6年間ある学校生活の中で、計12回の再選考があるわ。成績が悪いと容赦なく除籍処分だから、皆死にものぐるいで頑張るの」
「リナ様はその学校に受かったってことなんですね」
「ほとんど偶然みたいなものだけど……」
リナ様はそう言って苦笑いした。
◇◇◇
リナ様は学生だ。正式に成人とは認められていないので自分の屋敷を持つことは出来ない。
だが、割り当てられた学生寮の一室でさえも、私を絶句させるには十分だった。
「………………」
「おーい、到着してすぐだけど、とりあえず服を用意はしてあるからそれに着替えてくれる?」
「……っ!はい!」
「……呆けちゃってたのか」
その広さは、私の住んでいた掘っ立て小屋の何倍あるだろうか、おそらく3、4倍はあるだろう。
汚れ一つない真っ白な壁に、ガラスの外を覗けば、青々とした海が広がっていた。
(落ち着かない!)
私が部屋の中を見ていると、テーブルの上に、きれいに畳まれた服が置いてあった。
「うわぁ……何で見覚えがあるんだろう……」
フリルがついたエプロンドレスにカチューシャ、何故だが分かってしまう、これがいわゆるメイド服だ。
(ここまで名前を明確に思い出せたのは初めてだよ……)
これが用意されていたということは、これを着ろということなのだろう。これを着たことは、前にも一度あったような無かったような……
「はぁ、早く着替えよう……」
私は服を手にとって、すぐに着替え始める。明日までに、いろいろ覚える必要があるので、あまり悠長にもしていられなかった。