第1話
初日一挙更新10話中2話目
凝り固まった身体をぐっと伸ばして立ち上がった。身体の動きに合わせて全身の関節がパキパキと小気味よい音を立てながら解されていく。
すっかり暗くなった窓の外に目を向ければ、冬の寒空に今日も静かに月が輝いていて、何事もない1日の終わりに向かって走っていっていた。
今日のレイドボス戦も無事討伐に成功したし、しっかりとMVPも獲得して報酬も受け取ってきた。
今週も、公式サイトのレイドボス討伐貢献度ランキングの一番上に並んだ自分のキャラの名前を見て達成感を感じながら、マグカップに残ったコーヒーをグイっと飲み干す。
何とも言えない苦みが口の中に広がって、少し微睡みの沼に沈みかけていた思考が一気にクリアになった。
この後はお風呂に入ってしっかりと温まってから布団に潜り込まなくてはと、そんなことを考えながら給湯ボタンを押せば無機質な声がスピーカーから帰ってくる。
一人暮らしを始めてもうすぐ3年目に入ろうかというのに、未だに母からは毎日メッセージが飛んでくる。
今さらこんな出来損ないの相手なんかしなくてもいいのにと思うが、邪険にするわけにもいかずなんとなくで適当な返事を返しておく。
私――柊 冬華は自分で言うのも変だが大抵のことはできてしまう。
大体のものは1度見れば真似できてしまうし、なんか試しているうちにより良い方法がわかってくる。
でもこの何でも自分でできてしまうのがよくなかったらしい。ひとつだけ苦手なことがある。それが『人を使う』こと。
結局そのせいでとある会社の会長を務める祖父からは組織の上に立つには向いてないと言われ、こうして自由な生活を謳歌しているというわけである。
幸いにも誰に頼ることもなくともお金には困っていなかったのもあって、ここ一年ほどはとあるオンラインゲームに熱中していた。
そのゲームはいわゆるMMORPGというやつだ。結局それは何かと言われればオンラインでみんなで遊ぶRPGゲームである。
一通り読みたかった本なんかを読み終わってしまって、なんとなく始めてみたこのゲームだったけれど、やってみれば案外楽しくてすっかりはまってしまった私は今やこのゲームのトッププレイヤーになっていた。
ここ最近は毎日オンライン上で様々な人と交流を深めながらもダンジョンに行ったり、レイドボスを狩りに行ったり、生産のために素材を集めに行ったりしている。
正直に言ってしまえば日本は、この世界は、私にとって退屈だった。
大抵のことはどうにかなってしまうし、何かをしようとすればモラルに引っかかるのだ。
今さら法のことはどうでもいいけれど、このモラルだけは厄介なもので、あんまりないがしろにしてしまうと私生活を圧迫し始めるのだ。
何とも窮屈で退屈なこの世界。でもゲームの世界は少し違った。
少し窮屈でも大抵のことは強ければ許された。
――力こそが正義。
ある意味これが絶対的ルールだった。もちろん妬みの対象になることもあったが、そんなことはどうというほどのこともなかった。
私にとってはこれこそが求めていた世界なのかもしれないなと思ったこともある。もしそんな世界に行けたならと。
陽気なメロディとともに無機質な声が浴槽にお風呂が張られたことを告げたので、いそいそと着ていたものを脱ぎ去って軽くゆっくりとお風呂に身体を沈めていく。
一人暮らしだし一人しか入らないのだから、まずはゆっくり温まってからそのあとしっかりと髪とか身体とか洗えばいいわけで。
「はああ……」
思わず言葉が漏れて、解してなお凝り固まっていた身体が温かいお湯に包まれて少しずつほぐれていく。
ゆっくりと息を吐きながら身体の力を抜いていけば全身がお湯に溶けていきそうな感覚に襲われる。
どこまでもどろどろに。
夢を見た。
私は気づけば森の中にいる。
目の前にはどこかで見たような湖が広がっている。水面には見慣れた月よりも青白く輝く月が写し出されていて、その神秘的な光に思わず吸い込まれそうになる。
静かな風が湖の上を吹き抜けて、少し湿り気を帯びて私の髪を揺らしながら去っていく。
やはりどこかで見たことのあるその光景は思い出そうとしてもなかなかに思い出せない。
しばらく考えを巡らせてみたけれど、残念ながら答えにはたどり着けなかった。
仕方なく歩き始めれば少しばかり伸びた草がそっと私の足を撫でていく。
冬の入り口のような冷えた空気の中湖の外周を歩いてゆく。
さすがにまだ息が白くなったりはしないものの、頬に当たる風はひんやりとしていてしっかりと着ていなければ風邪をひいてしまいそうだ。
そういえば寒さを全く感じない私はどんな格好をしているのだろうか。
見下ろしてみればやはり見たことがあるような服を着ていることは分かる。
残念ながら鏡みたいな便利なものはないので、イマイチ全体がわからないので湖に近づいてそっと湖面を覗き込むと、そこにはよくよく見知った顔がいた。
私が自分の顔を確認すると同時に、湖面で勢いよく水柱が立って何かが飛び出してきたのが見え、思わずしりもちをつきながら飛び出てきたそれを見上げた。
もしこの夢がそうであるなら。
もしこの場所がそうであるなら。
もしこの私がそうであるなら。
風が揺らす髪の感覚。
足を撫でる草の感触。
頬に当たる風の冷たさ。
つい今しがたしりもちをついてしまったこの痛み。
ここは夢なんかじゃなくて。
――ゲームの世界。
それならば、やることはひとつだった。
ここがもしゲームの世界で、私がもしどういう理屈かは知らないけれどその世界にいて、これまたどういう理屈か知らないけれどゲーム内のキャラになってしまっているのなら。
ゲームの中でできたことはいまの私にもできるはず。
「出なさい。【氷薔薇】」
愛剣を呼び出せば、私の右手に透明の薔薇を象った飾りのある細剣が現れる。
細剣からはわずかに冷気があふれだしている。
この細剣はゲーム内でフレンドの鍛冶師と錬金術師が協力して作り上げてくれた、神話級の一品だ。
さっきまでだってこの細剣でレイドボス討伐のMVPをとってきたのだ。
そして肝心の相手はといえば、この湖に住むレイドボスなはず。
気持ちを落ち着けるために軽く深呼吸をする。
大丈夫。私ならできる。
「【解析】」
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凶暴化したイービル・ワーム
Lv:187
HP:1091225239/1091225239
――――――――――――――――
目の前にそんな半透明のパネルが表示される。
この辺りの要素はゲームの頃と変わりはないらしい。
ただ、ゲームの時よりも100近くレベルが高いのが気になるところではある。
イーベル・ワームはゲーム内では一番最初に出てくるレイドボスで、そのレベルはサービス開始の頃のレベルキャップ80から5高い85だったはずなのだ。
完全にあの世界とは一緒ではない。
そのことだけをしっかりと頭に入れて動き出す。
「【加速】」
勢いよく地面を蹴れば一瞬のうちにイービル・ワームの頭上に達した。
ぶんぶんとイービル・ワームが頭を振り回しているがそんなことは関係ない。
敵の実力も、私の実力もいまいち未知数。
だからここは全力でやる。今の私ができることの上限を知るためにも。
とにかく全力の全力をここからぶつける。もちろん、回数を気にせず使える手の中でだけれど。
「――光り輝くは北の星、遍く照らすは南の月。」
私の速さを追えない相手なら隙を作り出すまでもない。
眼下に眺めたまましっかりと詠唱を完成させて、詠唱をしなかった時に比べれば200%以上の威力に跳ね上がる。
詠唱したときに私から抜け出ていっているのが多分魔力だと思う。
これをよくわからないけど無理やりにでも自分の管理下に置く。
びゅうっと凍えるような冷たい風が吹き抜ける。
とにかく全てを凍り付かせる最上位氷魔法を打ち込む。
「――星落ちて希うは静寂の刻。」
ただの少しも抵抗は許さない。
私はこの世界で、誰よりも強く、誰にも邪魔されず、私だけの人生を歩いてみせる。
「【絶対零度】」
そして湖の時間は止まった。




