プロローグ
どうぞお楽しみいただければ幸いです。
初日一挙更新10話中1話目
「あの、どうされました?」
煌びやかな白のドレスを纏い、注ぐその光を一身に受けた皇女は振り返りながら、突然立ち止まった女の顔を覗き込んだ。
今日この日から、皇女は女帝としてこれまで520年続く帝国を率いていくことになる。先帝が1年前に暗殺され、国内に混乱が続いていた時颯爽と現れて全てを解決してしまったのは、たった今問いを投げかけた目の前にいる人物だった。
少女にしか見えないその容姿は、美麗さと可憐さを併せ持ちながらもどこか冷たい空気を纏っていて近寄り難く、その整った目筋鼻筋はどこか作り物のように整いすぎている。妙な美的センスを持った生き物以外なら、皆が皆その容姿に見とれてしまうような不思議な魅力に満ちている。
「何でもないですよ。ほら、戴冠式に行きましょう。今日からあなたの国の歴史が始まるんですよ」
首を振れば長い黒髪が揺れ、深い青を湛えたその毛先が静かに踊る。
まるできれいに澄んだ夜の空のようだ、と皇女は思う。どこまでも深い青をその瞳と毛先に宿らせた少女は、少しめんどくさそうな顔をしながらも皇女を後押ししてくれている。
皇女は知っている。少女が何者にも縛られることが嫌いで、何事にも興味がなければ関わらず、何時でも少女自身のことを最も優先していることを。
それでも少女がこの場にいてくれているのは、少なからず自分との繋がりを思ってくれているのではないか、などと考えては小さく頭を横に振る。
きっと繋がりというほど大きなものではないはずだ。少女のちょっとした気まぐれのようなものだ。
気を取り直し、少女に背中を押された皇女は一歩また一歩と踏み出す。
「ここまで私を連れてきて下さってありがとうございました。あの日潰えるはずの私の命とこの国と、そしてこの国の・・・、いえ、私の民たちの命を助けて下さったこと本当に感謝しています。きっと貴女は勝手にしたことだからといつものように言うのでしょうけれど、それでも私たちは貴女に救われたのです。約束の通り貴女のことは一切公表しません。本当であれば帝国を救ってくださった英雄として――」
「お願いだからそんなことしないでくださいよ? 元はと言えばこの国が荒れたのだって、あのバカみたいに笑う皇帝が殺されたのだって、私がこの国に来てしまったのが一因でしょう? あくまで私は原因として責任をとって後片付けをしただけだから」
少女は心底嫌そうに眉間に皺を寄せると、大きくため息をついた。
そんなに眉間に皺を寄せると台無しですよと言おうとした皇女だったが、眉間に深い皺を刻んでなお少女は美麗だったためにその言葉そっと飲み込む。
「それより、私はここまでしかついて行かないからね。あとは自分で頑張るのよ。あとは君の頑張り次第なんだから。精々私がのんびりやりたいことをできる国になるようにしっかり頑張ってよ?」
少女は小さく首をかしげながらそんなことを言う。環境など用意せずとも自分勝手にやりたいことをやるくせに。
それでもところどころに覗く少女の優しさを感じながら、皇女も小さくため息をつく。仕様のない人だと。
「わかりましたよ。でも本当に感謝しているのですからそのことだけは忘れないでくださいね。何かあれば私ができることなら協力は惜しみませんから」
「そっか。私が今さら君に頼ることなんてないと思うけど、まあ何かあればよろしくお願いしようかな」
「確かに貴女は自分の力で大抵のことはどうにかしてしまいそうな気がしますけど」
「確かに大抵のことはどうにかなるからね。それじゃあ――」
少女はくるくると青い毛先を弄びながら魔力を練り始める。
「――またどこかで出会うことがあればお茶でもしようよ。君にそんな暇があれば、だけどね」
皇女が言葉を発しようとすると同時に少女の足元に深淵のように黒い魔法陣が浮かび上がり、トプンと小さな水音を立てて少女が沈み込んでいく。
「ほら、早く行かないと君の民たちが待っているよ。私が君を独り占めしていたら怒られてしまうから。行っておいで?」
少しだけ困ったような顔を浮かべた少女は小さく手を振ると、またねと一方的に別れの言葉を告げて黒々とした魔法陣に沈んでいった。
相変わらず自分勝手な人だ、と思いつつ皇女は自分の口の端が持ち上がっているのを感じていた。
少女が別れ際にまたねと言ったのだ。またいつの日か会える気がするのはきっと気のせいではないはずだ。
持ち上がってしまう口の端を必死に押しとどめながら皇女は大きく一歩踏み出した。
国中に響くような大きな歓声の中、皇女はこの日女帝となった。
500年続く帝国安寧の時代はこうして幕を開けた。
後の歴史家たちの間では、この帝国黄金の500年の礎を築いた第32代の女帝 サクレ=アンペラール=アグリスッド=キュルテュールの時代について意見が割れている。
ある歴史家はサクレ女帝は悪魔に魂を売って繁栄を手にしたと分析しているが、またある歴史家は神の遣いを通して神の恩寵を授かったのだと言う。
また他方では、サクレ女帝自身が悪魔の化身であったと唱える者もおり、その実態は謎に包まれていた。
しかし近年、キュルテュール帝都跡のとある建築物群から1冊の本が回収された。
それは何ということのないただの日記であったが、その日記を書いたのがサクレ女帝であるというただ一つ見逃せない点があったのだ。
サクレ女帝の魔法刻印によって厳重に封をされたその日記は、現代魔術の粋を凝らした必死の解読によってその内容を世に解き放つこととなった。
ゾルグ様はあの日私の前に突然現れた。
すべてを諦めた私の手を握るとそのまま抱き寄せられた。
彼女の澄んだ夜の空のような瞳を私は忘れないだろう。
私の生が終わってしまう前にもう一度出会えてよかった。
お茶をしようという約束は果たされた。
自由奔放で自分勝手なのにこういうところは変に律儀なのは相変わらずらしい。
これでやり残したことはない。あとはこの生を終えるだけだ。
――キュルテュール帝国 32代サクレ=アンペラール=アグリスッド=キュルテュール女帝の日記 書かれた最後のページ




