AI子ちゃんの人間体験実験恋愛
幼馴染の長谷川沙世ちゃんが、最近になってアルバイトを始めたらしい。それだけなら「ふーん」って感じなのだけど、なんだか知らないけど「アキ君、手伝って」なんて言う(村上アキが僕の名前だ)。彼女がし始めたアルバイトが接客業か何かで、売上げ貢献の為に客として来いという意味かと思っていたら、どうも全然違うらしい。
「AIの実験に協力しているのよ」
と、沙世ちゃんは言った。
「実験?」
「そう」
彼女からそう頼まれたのは、ちょうど全ての授業が終わり、放課後になったタイミングの事だった。彼女はちょっとおどけた様子でおでこの辺りを人差し指で示しながら笑い、
「今、実はAIと意識を共有しているのよね、わたし」
などと言うのだった。
……何の事やら。
僕にはまったくさっぱり意味が分からなかった。
――何でも全脳エミュレーションをベースとした、憶えきれないくらいに難しい名前のAIが現在開発中なのだそうだ。そのAIは、人間の脳との相性の良さで特に威力を発揮すると言われているのだけど、十分に活用する為にはまだまだデータが足らない。それで実験体を募集していて、彼女はそれに申し込んだらしい。
「日給一万円よ? 凄いでしょ?!」
そんな風に彼女は無邪気にはしゃいでいるけど、僕はそれを聞いて心配になった。
「それって危険はないのぉ?」
開発中のAIと脳を直接接続するなんて、聞くだけでリスクがありそうだ。
「大丈夫よ。今の時代、ナノマシンカプセルを飲めば簡単に脳とネットを直に接続できるんだから。安全性だって証明されているじゃない」
「いや、接続する事じゃなくて、僕が心配しているのは接続先のAIなんだけど」
ナノマシンカプセルを飲む事で、大量にナノマシンを摂取すると、それが脳神経まで移動してネットワークを形成する。そのナノマシンネットワークによって、脳を直接インターネットに接続する技術が現在では確立されているのだ。
「それでね、アキ君。その実験の為に、色々と街を散策しなくちゃいけないのだけど、それに付き合って欲しいのよ」
「え? なんで?」
「AIが半分意識を占めているのよ? 危ないじゃない。それに慣れていったら実験の途中でAIに意識を任せる事もするの。誰か世話が必要でしょう? アキ君はわたしが心配じゃないの?」
……さっき自分で「大丈夫」って言っていたような気がするのだけど。
などと思いつつ、「まぁ、いいけど」と僕は応えた。なんだかんだで、僕は彼女には甘いのだ。実験のバイトの三日間、僕は彼女に付き合う事にした。バイト代を少しは分けてもらえるかどうかだけが少し心配だった。
学校を出ると、僕らはそのまま街に向かった。AIに様々な体験をさせる為に、色々と遊ぶのだそうだ。ゲームセンターに行ったり、カラオケに行ったり。実験という名目で遊んでいるだけのような気がしないでもない。
ただ、しばらくが過ぎると、沙世ちゃんの様子がおかしくなり始めた。目の動きが少なくなり、表情筋の活動が低下する。“これはもしかしたら……”と、思っていたら、
「意識を半分、AIに任せているのよ」
と、そう沙世ちゃんは告げた。
やっぱりだ。
なんだか実験らしくなって来た。
普段の彼女とは違う。どう対応しようか迷っていると、「お腹が空いた」と言うのでたこ焼きを買って公園のベンチで食べた。テスト範囲や、漫画の話なんかをした。しばらく話していると、夕暮れになったので「そろそろ帰ろうか」と言うと、「家が分からないの。送って」などと彼女は言う。
少しドキリとした……
…のだけど、別に親しい男女間で交わされる台詞とかそういうのじゃなくて、いつの間にか彼女が完全に意識をAIに任せていただけのようだった。彼女に宿ったAI子ちゃん(便宜上、そう呼ぶ事にした)は、彼女の家の場所を知らなかったのだ。
次の日は、二人でボーリング場に行った。沙世ちゃんは運動神経は良い方なので、それなりのスコアを出していたのだけど、途中からいきなり調子が悪くなった。
“おかしいな”と、思っていたら、やっぱり意識がAI子ちゃんになっていた。なんだか昨日よりも入れ替わるのが早い気がする。僕もただの素人なのだけど、フォームを教えてあげたりした。
いや、AIにとっては、こういうのもデータになるのじゃないかと思って。
AI子ちゃんは昨日よりも表情筋がよく動いていて、楽しそうにしているように思えた。気の所為じゃなければ、だけど。
三日目の最終日。
彼女が「泳ぎたい」というので、室内プールに遊びに行った。それを言ったのが沙世ちゃんだったのか、AI子ちゃんだったのかは分からないけど、どちらにしろ彼女の水着姿が見られるのには変わらない。当然、僕は喜んだ。
彼女はワンピースの、貸し出されているのか競泳水着っぽいデザインの水着を着ていた。イメージとちょっと違うのが逆に新鮮で素晴らしい。いや、イメージ通りでも素晴らしいのだけどさ。
プールに入ると彼女は「泳ぎ方を教えて」と訴えて来た。
沙世ちゃんは泳ぎが上手いからこれは変だ。どうやら今日は初めからAI子ちゃんになっているらしい。なんか日に日に入れ替わるのが早くなっているような気がする。
人間の身体に馴染んでいないからだろう。AI子ちゃんは運動神経が良くなかった。お陰で手取足取り教えなくちゃいけない。僕に頼り切りの彼女はそれはもう物凄く新鮮で、僕は軽く感動すらも覚えた。もっとも、“一緒にプール”って時点で感動していたけど。
そろそろプールを上がろうかという頃には、AI子ちゃんは随分と泳ぎが上手くなっていた。きっと泳ぎが上手い沙世ちゃんの脳を使っているからだろう。
「今日で実験は終わりだね。楽しかったよ、ありがとう」
室内プールを出た。最後だと思ってそう言ってみると、彼女は僕の腕を掴んでフルフルと首を横に振る。
「どうしたの?」と訊くと、「まだ終わってない」などと返す。
「なに?」と訊くと、「まだ実験したい事があるの」と言う。そして、「家に来て」とお願いして来る。目を潤ませて、じっと僕を見つめていた。プールで濡れた髪はまだ完全には乾いていなかった。ちょっと色っぽい。
姿形は沙世ちゃんな訳で、そんな状態の彼女からそんな風にお願いされたなら、僕に断れるはずもなかった。
沙世ちゃんの部屋に通された。本人の了解を得ていないのに大丈夫なのかと思いつつ、本人の了解を得ているようなものでもあるような気もしていた。
「あの…… 何をするの?」
と、しばしの間の後に尋ねると、
「うん。村上君に性交体験のデータ収集を手伝って欲しいの」
そう彼女は淡々とした様子で言った。
「へ?」と、それに僕。
「いや、ちょっと待って」
もちろん、僕は大いに慌てていた。
「それは、いくら何でも、本人の了承を取らないと……」
もちろん、了承さえ貰えるのならば、イケイケGOGO!なのだけどさ!
「大丈夫。この個体も、それを望んでいる」
「え?」
「毎晩、ベッドでシミュレー……」
そう彼女が言いかけている途中で、突然に彼女の右手が動いた。口を塞ぐ。「モガモガ……」と彼女は声を漏らす。
左手で口を塞いでいる自分の右手を振り解くと彼女は言った。
「勝手に右手が動いた。これはエイリアン・アーム・シンドローム?」
「いや、違うって! 沙世ちゃんがど根性で右手を動かしたんだよ! やっぱり、彼女、望んでいないじゃない!」
と、僕はツッコミを入れる。
そしてその次の瞬間、
「当ったり前でしょーが! いい加減にしない、このクソAI!」
沙世ちゃんは意識を取り戻してそう叫んだのだった。
「あの研究機関! 冗談じゃないわよ! もう二度と働かないから!」
――次の日、沙世ちゃんは教室で怒っていた。隣には彼女の友達の立石さんがいて、そんな彼女を呆れた目で眺めていた。
「危うく貞操を奪われるところだったって抗議したら、“そんな事象は今まで確認されていません”なんて言って来るのよ? わたしが嘘を言ったと思っているのよ」
立石さんが怠そうに言う。
「バイトにかこつけて村上君とデートをしたからバチが当たったのじゃないの?」
立石さんはそう言いながら、スマートフォンを弄っていた。
「なによ、“バイトにかこつけてデート”って?」
その沙世ちゃんの抗議を無視して立石さんは言った。
「うーん…… ちょっと調べてみたけど、やっぱりあんたみたいな被害報告はないみたいよ?
あんたが村上君とあれこれしたいってのを差し引いてもおかしいわね」
「なによ、その“わたしがアキ君とあれこれしたい”ってのは?」
それも無視して立石さんは続ける。
「あんたが実験に協力したAIって全脳エミュレーションを利用しているのよね? つまり、人間の脳がベース……」
彼女はスマートフォンを再び弄り、画面を沙世ちゃんに見せながら言った。
「そのAI、女性の脳がモデルだって、ここに書いてあるわよ?」
「そりゃね。だから、女性限定で実験体を募集していたのだし」
「って事は、もしかしたらさ、そのAI子ちゃんは、村上君を好きになっちゃったんじゃないの?」
「は? なんで?」
「村上君ってナチュラルに女の子に優しくするし充分に有り得るわよ。それで自分の感情とあんたの感情を混同してしまった、とか。人間の脳って自身の状態を把握する能力が低いらしいしね。それに、実験が終わればもう二度と会えないと思ったら多少の無理はするかもしれない」
「そーおー? 単にAIにバグがあっただけじゃないのぉ?」
僕はそれを聞いてちょっと照れてしまった。AI子ちゃんの態度を思い出して、そんな気がしないでもないと思う。
もちろん、もしそうだったら嬉しい。
ただ、もうそれを確かめる手段はなさそうだけど。彼女に会う事は二度とないだろう。
――が、そこで立石さんがこんな事を言うのだった。
「そういえば、隣のクラスの唄枝さんがAIの実験体のバイトをするって言っていたみたいだけど……」
そう彼女が言い終えるのと同時だった。教室のドアから唄枝さんが顔を出したのだ。そして彼女はこう言った。
「村上君! 実験の為にデートに付き合って! 大丈夫、この個体もそれを望んでいるから」
僕はただただ戸惑うしかなかった。