第08話 針穴を牛が通れるならば、金貸しもまた御国に召されるであろう その3
活動報告に簡単な登場人物説明を載せております。
それでは、といいつつ。司祭は皮袋に飾られた紐を解き、その中に入っていた金貨を並べ始めた。積み上がった大金貨は三枚。むき出しの銀貨は五枚の塔が二つ。さらにケヴィンの差し出した袋からは十枚の銀貨がテーブルの上に取り出され並べられた。
サリバン司祭がそれを数えた後、大金貨二枚と銀貨十枚をバルトロマイの手元に、袋からだした銀貨のうち七枚をケヴィンの手元へと押しやった。
「今日は預証書はお持ちで?」
「もちろんでございます」
「持ってきています」
そう尋ねるサリバン司祭に、バルトロマイとケヴィンは懐から、羊皮紙の巻物をそれぞれ一本ずつとりだした。
ローレンスがそれは何かと問う前に、三人の間で会話は進んでいく。
「ケヴィン助祭は、フランコ・フラレンス司祭のところに仕える予定だったわね」
「よくご存じで」
「昔のよしみよ。ということは、清貧派だから二階の回廊を一度通る感じで?」
「そうですね、聖典通りであれば、それは神も許したもう事だと司祭も申してました」
「フランコ爺さんはあいかわらずね」
司祭はそう苦笑すると
「こちらが往きで始めるってことでいいのよね」
「ええ、そうですが……たぶん上申する書類も二日後にはまとめないとならないかと」
「じゃあ、今日の日付で出しましょう。そちらは明日日付でお願いしてもよろしくて?」
ケヴィンは頷いた。
それをみて彼女は指示を出す。
「アンナ、今日の日付けで、喜捨預かり証を書いてちょうだい」
「かしこまりました」
それに頷くと司祭はケヴィンに言う。
「今日の午後付けで、そうね大銀貨五枚ということで大丈夫かしら」
「問題ありません。ではいまそのように作らせていただきます」
そういって、今度はケヴィンが五枚の大銀貨をサリバン司祭の目の前、テーブルの真ん中に置き直す。
それを司祭は引き寄せると自分の右手もとに置き、アンナが何かが書いたであろう羊皮紙へとサインを施した。
そうしてお互いに文字を記した羊皮紙を交換してにっこりと笑う。
「主の恵みがとこしえにありますように」
「主の恵みに感謝いたします」
なぜ、二人が銀貨を分け合って、マーガレットの手元に五枚、ケヴィンの手元に五枚が残るのかがローレンスには理解できなかった。
「あの、すいません、いまのやりとりはいったい……?」
「主への尊き喜捨よ」
「喜捨ですよローレンス殿」
喜捨だったのは彼にも理解できた。だが何故ケヴィンが納めたはずの十枚の銀貨がそれぞれ半分になるのかの意味がわからない。
「ですけど、どうしてケヴィンの元に半分残すのですか、おかしいではありませんか」
少し語気を荒げそうになるローレンスに、ケヴィンは天を仰ぎ「あ~」と言わんばかりの表情をし、司祭は司祭で「そうか、そこからなのね」とため息まじりにアンナの方をみる。
「ねぇ、アンナ?」
「なんでしょうサリバン司祭」
「今日は、なんだかものすごい風ね!」
ちらりとアンナが窓から外をみるが、晴天も晴天、風が吹きすさんでいるような様子もない。もちろんローレンスや他の二人もそれを気づいている。
だがアンナの答えは予想外の言葉だった。
「確かに、ひどい風ですね!」
「そうね、これじゃあ部屋の中で大声でもださないと全く話が聞こえないと思わない?」
その会話にあわせてアンナも声を張り上げる
「本当に! これでは壁の隅なんかでひそひそ話していたら全く何も聞こえないですね!」
そういって、彼女はバルトロマイへと目を会わせて、壁についっと視線をずらす。
なるほど、と頷いたバルトロマイは、助祭二人の腕をとりつつ大声で返す。
「なにやらローレンス殿が不明な点がおありのようなので、少し指導をさせてもらいますね!」
「どうぞどうぞ!」
とこれまたサリバン司祭も大声で返す。
バルトロマイは、ローレンスと、オレもかよという顔をしたケヴィンの二人を引きずって扉近くの壁際で、サリバンとアンナに背を向け顔を寄せ合い声を落として話し始めた。
「ねぇローレンス殿、使徒アシャール伝の六章九節は覚えていますよね」
「ええもちろんですとも『リュークが神の祭壇へと赴くと銭袋を忘れていることに気がついた。そこでジョバンナは言った。私のこの銀貨三十枚ををリューク殿に喜捨しよう。それを神に捧げるが良い』ですよね?」
わかってんじゃねぇか。という表情はしたもののケヴィンはそっと二人をみていた。
「そのとき、神の祭司としての働きとしてリュークは銀貨十枚をとり、あらためてジョバンナに喜捨として二十枚を捧げた。共に神の祭司として捧げるために。それも当然しっていますね?」
「はい、故に、喜捨を受けた聖職者は神の奉仕のためになら三割を受け取り、残りの七割を喜捨する、つまり『リュークの捧げ物』のお話ですよね」
「さすがに、ローレンス殿は優秀で話が早い」
バルトロマイはとても良い笑顔を浮かべる。
「では、そのあとさらに、使徒ジョバンナが二十枚を使徒リュークに喜捨し、それを三割を働きのために取り、残りの七割をジョバンナに喜捨したとしたら?」
えっ、と予想外のことを言われたローレンスはとまどうが、頭のなかで計算だけは働いていた。
「使徒リュークが六枚を手元に残し、十四枚をジョバンナ使徒が手に入れることに……」
「では使徒ジョバンナがそこから三割残して七割を神殿に納めたとしたら、どうです?」
「銀貨九枚と小銀貨八枚に……でもそれってまさか」
何をローレンスが言うか察してしまったケヴィンが慌てて、彼の口を塞ごうとするが、一足遅かった。
「それって喜捨を私物化してるってことですか!?!?」
「「否!!!!!」」
ローレンスの驚きの声に間髪いれずに二人のさらに怒声にも近い声がそれを否定する。
「あ~~、すごい突風がきたわねアンナ!」
「えっ、なんですかよく聞こえませんが!!」
(やけに計算は速いわね、しかもあってるし)
(たしかに。驚きました)
と、お茶をすすりつつサリバン司祭が言い、それにピタリとアンナが会話をあわせていく。
「馬鹿、法典派にも問い合わせたし正式な回答もきてるんだ。これは主の定めたもうた、律法の範囲内だぞ」
「そうですよ、ローレンス殿。座学も良いですが実学も徐々にでも覚えていかなくては」
「戒律で許されているんですね……」
「「然り」」
それでようやく疑問が晴れ、おちついた表情になるローレンスであった。
「あら、アンナそろそろ風が止んだみたいね」
「そうですね、そのような案配ですわね」
とまた二人が視線を窓に向け会話をする。
その様子に三人は少し恥じ入る様子を見せながら、またソファーに座るのであった。
「続けてもいいかしら?」
何事もなかったようにサリバン司祭は微笑みを薄く浮かべると、
「じゃあバルトロマイ助祭、そちらの方、片付けましょうかね」
「お手数とらせまして申し訳ありません」
と深々と礼の姿勢をとる彼に司祭はほほえむ。
「いえいえ、人の為すことですもの、しょうがありませんわ」
「お言葉感謝いたします」
それで、と彼女は話題を変えた。
「貴方はファーレン教会に赴任するのでしたっけ」
「……それも、ご存じでしたか」
あら、とおかしそうに言う
「大きな木の下で戯れてる三羽のカラスは、ずいぶん雀たちが気にしているようですよ」
その言葉に、わずかにバルトロマイの頬がひきつる。
「噂になっておりますか」
「雀の鳴き声が私にも届くくらいには?」
ふふふ、という表情の司祭に、ついバルトロマイは無表情になってしまう。
「それよりも実務のお話をいたしましょうか」
「承知しました」
そういうと彼は気持ちを切り替えた。
「ファーレン教区だと長老派ということね。じゃあ二階の回廊を六回まで?」
「普段ならそうですが、何ぶんにも、今週一杯が上申の期日ですから」
「そうねぇ」
安息日明けの今日を含めても聖日までは五日しかない。
それはちょっと困ったわねぇ、とマーガレットはつぶやくと、ふいと傍にいたアンナの方へと声をかけた。
「ねぇアンナ。いまちょうどお昼前よねぇ」
窓の外も見ずにアンナがそれに答える。
「ええ、まだ太陽も真上ではありませんし、きっと午前ですね」
「では今日の午前ということで」
「はい」
何を言っているのだろう、とローレンスはあっけにとられる。
叙任式が始まったのが、ちょうど正午の六の刻が終わってすぐであり、式がおわるころ
には六の刻半の鐘が鳴り響いた時間であった。それから色々あったことを考えれば、時間
でいうならもうすでに午後をずいぶんまわっているのだから。
「では、私は今日の夕刻付けで書きましょう」
「明日からは四日間、一日置きの日付でかわせば良いわね」
「お言葉の通りに。こちらの日付は夕刻付けで」
「いいでしょう。これで問題はなくなりました」
そして視線を見合わせると、二人してにっこりと笑う。ローレンスはあまりなじみがないが物語にあった悪徳商人であればきっとこんな風に笑ったであろう笑顔で。
あっけにとられたままの彼に、二人が視線を向けると、そこにアンナの声が聞こえてきた。
「サリバン司祭。またずいぶんと風が吹いて来る気がします」
「そうね、今日はなんだか大変な天気ねぇ」
その言葉に今度は司祭に視線もあわせずに、バルトロマイが助祭二人に顎をしゃくった。すなわち壁際集合、の意味である。
そそくさと集まる三人だったが、今度はケヴィンが話し始めた。
「いいか、ローリーよくきけよ? さっきのウチとのやりとりは理解したな」
「ええ、ええ、律法通りの喜捨の手順……なんですよね?」
「そうだ、それでうちは派閥の解釈で往って復ってで、二階の回廊は一度きりだ」
「ああ、二階の回廊ってそういう」
なんでしらねぇんだよ、と思いつつも話が進まないのでケヴィンは、その先を説明する。
「そいで、バルトロマイんとこの、いやこれから行く長老派だと、二階の回廊何回まで通って良いことになってるか説明してやってくれ」
すると、バルトロマイが口を開く。
「ウチは六回まで通って良いという解釈です」
「六回!?」
驚いてローレンスが声を上げると、その声の大きさではなく反応に司祭がピクリとうごいた。
「ねぇアンナ、あれ大丈夫なのかしら」
「若いというのはうらやましいと思いますね」
などとのんきな会話をしている。いちおう風は吹いているハズなのだが、意にも介さない。
「ローレンス殿、創造神はこの世界を何日で作られましたか」
「それは五日です」
「それに聖日を足すと六なのはわかるよな?」
「ええ、わかりますよそのくらいは」
「故に長老派では、主の働きにならって『二階回廊を六回までは通っていい』そういう解釈だ」
「そんなの通ってるんですか!?」
「法典派からは『そのような解釈もありうる』と回答がきております。問題ありません」
「ずいぶんと玉虫色なんですねぇ、法典派もなんか」
ちょっとあきれるローレンスであったが
「交互に喜捨を六回繰り返すと、最終的にどうなるんですか」
「お前計算、大の得意じゃねぇか」
「そうですけど、ちょっとまってください」
まず金貨一枚だったとして、相手側に喜捨して七割になり、二回目こちらに戻ってくることには四割九分になり、さらに三回目に相手に喜捨すれば、三割四分と十分の四分……そう口に出して確認していたが、そこにサリバン司祭が口をはさむ。
「パーセントを使うと便利よ」
「ぱぁせんと?」
ローレンスが初めて聞く言葉に思わず計算を止めると、彼女はさらに説明する。
「百分率。割合を百倍したものをパーセントというの。一割は10パーセント、一分は1パーセント、十分の一分は0.1パーセントよ。では三割五分は何パーセントになると思う?」
という説明の後の問いにローレンスは即座に回答する。
「35ぱぁせんと、でしょうか」
「あってるわ。では一割と十分の一分は?」
「……10.1ぱぁせんとでしょうか」
「正解ね」
よくできました、と司祭は笑顔になる。
「じゃあ%を使って計算して説明してみて」
「はい。ええと――」
一回目が70%、二回目の戻りが49%、三回目の往きが34.3%、四回目の戻りが24.01%、五回目の往きが 16.807%、六回目、最後の戻りで11.7649%……とブツブツ計算をするが、それを遠目にみていた他のメンツは
「ねぇ、あの子なんなの全部暗算で計算してない?」
「ああ、彼は算術だけは誰も寄せ付けぬほどの才にあふれておりましてね」
「五桁の足し算とかなら普通に暗算で計算するんスよ、あいつ」
「なんというか、ずいぶん、偏りがある子なのねぇ」
でも、と司祭は不敵な笑顔になる。
「アンナ、ずいぶん助かりそうじゃない」
「サリバン司祭、確かに拾いものかもしれません」
そういって執務机に積み上がった処理待ちの書類の山をみている二人に、水を差すケヴィンがいた。
「あ、たぶんだめですよ、アイツわかってないんで」
「そうですね、帳簿付けとか無理でしょうね、作法が全くわかっておりませんので」
その声に、そっかーとちょっと残念そうになるサリバン司祭だったが、遠巻きにして眺めていた彼が固まっていた状態から、いきなりぐるっと四人に振り向いて叫んだ。
「これって、横領――」
「「「「否!!!! 断じて否!!!!」」」」
と四人の叫びが重なるのであった。
七曜繰り返し一割になった喜捨のことを什一献金というのはここからです
(絶対違う)