第06話 針穴を牛が通れるならば、金貸しもまた御国に召されるであろう その1
いかほどの時間が経っただろうか。三人の飲んでいたお茶はとうに冷えてしまっており、ケヴィンのカップに至っては飲み干されて空っぽになっていた。手持ち無沙汰に感じたのだろうか、彼がもう一度扉の方へ行こうかと、立ち上がりかけた時だった。
カチャリ、とかすかな音がすると執務室の扉が、アンナによって開かれ、先ほど扉の隙間から見た少女と同じ背丈の女性が入って来たのだった。
司祭の礼服、それも儀式用の正式礼装をまとい、しずしずと足を進めるその女性には、刺繍糸をおもわせる細い銀色の髪が顎先までで揃えられており、歩みを進めるたびにふわりふわりと揺れ、そして礼装もゆれるたびにほのかな花の薫りが部屋に満ちていった。
そして三人に対面する向こう側のソファーの元へと近づくと、くるりと振り向いた。
白銀の髪の下には、僅かにインクをとかしたような紫がかった深い青色の瞳があり、その間には、小さいながらも筋がすっと通った鼻梁と白石を磨いたようなつるりとした頬があって、そこはほんのりと薄桃色に輝いている。
口元は頬よりも少し陽の光に似た紅が差してあり、それが髪や肌の色とあいまって、大聖堂に描かれた聖画の登場人物かと錯覚してしまうほどだった。
三人が虚を突かれたように固まっていると、その司祭の礼装をまとった少女は言った。
「お待たせいたしまして、申し訳ございません。私が司祭、マーガレット・サリバンでございます」
そして、両手を胸の前で組み、軽く右足を下げて三人に正式な作法の礼を行った。
あっけにとられる三人であったが、いち早く反応できたのはやはりバルトロマイである。
「助祭のバルトロマイ・ブルジェと申します。先ほどは――」
立ち上がり言いかけた言葉を、マーガレットがさえぎる。
「初めまして、バルトロマイ助祭」
そう言ってにっこりと彼女の口元は微笑むのであったが、ほんの僅かに目が細められ弧を描く。そして一瞬だけではあったがすっと目線が彼の目に固定されたかと思うと、ひとつ瞬きをして、すぐに元の表情に戻った。
「ああ、ああ、これは勘違いでしたね。初めまして、マーガレット・サリバン司祭」
バルトロマイが目線で全てを察し、あわててそういうとマーガレットの笑みはより深くなった。
「それで今日は?」
「ええ、こちらの同期と共に助祭に任じられましたので、サリバン司祭にご挨拶だけでもと思いまして、急なことながらお邪魔いたしました」
「なるほど、わかりました」
そう頷いて残りの二人に視線をやるのだが、状況に取り残されて座ったままだった二人がケヴィンを先に、ついでローレンスの順に立ち上がり礼の仕草をとる。
「この度、助祭としてサリバン司祭の下に仕えるように使命をうけました、ローレンス・レンテ・エントラスと申します。以後よろしくお願いします」
「同じく助祭となりました、二人の同期のケヴィン・マクガーレンです。ご高名なマーガレット・サリバン司祭にご挨拶かないまして誠に幸いです」
「ケヴィン殿はじめまして、ご高名とは面はゆいお言葉。そしてそちらがローレンス殿ですね、こちらこそよろしくお願いします」
聖職者として申し分のない笑顔で、彼女はそう言うと三人に再び座るように薦めた。
そうして自分もソファーに腰をゆっくりと下ろすと
「あら、ずいぶんお待たせしてしまったようです」
と三人のほぼ空になったティーカップをみた。
「アンナ、三人に新しいお茶をお淹れして? 私の分もお願いね」
そう、傍にいた修道女であるアンナに指示をした。
「ごめんなさいね、何ぶん人手が少なくてお客様への対応もおざなりになってしまっていて」
「いえっ!」
と慌てていったのはこの来訪の主役たるローレンスだった。
「私たちの方こそ先触れもなく、お伺いしてしまいかえってご迷惑をば」
「とんでもございません」
彼女はローレンスに、驚き半分のような笑みをむけると
「先触れをいただいても、きっとお待たせしてしまったでしょうし、なにより『駿馬は速いものほど尊ばれる』と申しますからね」
と、口元に手をあてクスクス笑いをこぼす。
「ありがたいお言葉です」
と彼は返すが、バルトロマイとケヴィンの背筋は一瞬でピンと伸びきった。
二人がローレンスはその意味わかってるんだろうな、とちらりと見ると、素直に喜んでいるようで、これはだめだとため息をつきそうになっていた。
「それで――?」
と尋ねる様子の彼女にローレンスはあやうく首を傾げそうになったが
「いえ、ご挨拶と今後のことについてお話を伺いたくおもいまして」
挨拶と面通し、それが目的で来たと告げたではないかといぶかしみながらも表情は崩さずに返答する。
が、テーブルの下でケヴィンが足で軽く蹴った。何をするんだケヴィンは、とローレンスは思っていたが司祭との面会中でもあって、軽く無視しようとしていた、が、また再び今度は強めに左足を踏みつけられた。
少しむっとして、司祭からは見えないようにテーブルの下で、ケヴィンの太ももを軽く叩き返すと、はぁ~~と突然彼がため息をついた。
司祭の前であまりにもな態度にぎょっとして思わず左横のケヴィンに顔を向けてしまったローレンスだったが、ケヴィンの視線はローレンスでなく、その先のバルトロマイに向けられていたのであった。
――どうするよ、これ?
目線がそう語っているのはバルトロマイも理解していた。ほんの一瞬両目をつぶったかと思うと。パチリと目を開いて、たおやかな笑顔になるのであった。
「これはこれは失礼をば。ローレンス殿から預かっていたのをすっかり忘れておりました。私としたことがとんだことを」
そういって、何やら胸元を探り出した。
「ああ、ワタシもバルトロマイ殿にいうのを失念しておりました」
「それと私たち二人の分も」
「それがよろしいですね」
と、なにやらローレンスには理解できないままに二人の間で会話が進んでいく。
「そうですか」
とサリバン司祭がにっこり笑う。
「私も日を改めての方がよろしいのかしら、と思いかけていたところですの。何事も人のなすこと、間違いは必ずありますわ」
うふふ。と口元に手の甲をあてて言った。
「こちらが彼から預かったもの」
といって、バルトロマイはテーブルにトンと小さな皮袋を置いた。
「そして、何ぶん伺うことを聴いたのが急なことでしたので、こちらは無作法ではございますが」
続いて置かれたのはむき出しの銀貨数枚。
「こちらがワタシのご挨拶でございます」
そういってケヴィンも懐から、布の袋に包まれたものをテーブルに差し出す。おそらく大きさからして銀貨数枚は入っているだろうそれを。
それをみた司祭は
「けっこうなご挨拶、誠におそれいります。お三方には主の祝福があることでしょう」
「然り」
「然り」
あわててローレンスも祝福の言葉に「然り」と返すのであったが、いったいなんなんだこれはと呆然としたのであった。
社会人として手土産は必要ですよね
あと司祭の聖句の意味はよくわからないんですけども、ネットではやってる京都弁風にいうと
「行動が早うて大変よろしおすなあ」ぐらいの感じでしょうか。