偏愛
早い話がキッチンのシンクの下にあった塩素系洗剤を何種類か混ぜて息の根を止めてやったのですよ。それをサイダーらしくレモンを飾って飲ませ…いいえ。彼女がスマホをいじくっていた所に声を掛けて遅いと言わんばかりの不満そうな顔を上げた瞬間目に掛けてやったのです。
本当はもっと長く悲痛な叫び声をあげて欲しかったのですけど、何せマンションでしたから実行出来ませんでした。なので目に掛けた後すぐに口をこじ開けて喉を焼かせてもらいました。私も初めての試みだったので上手く行くかどうか心配でしたが、なかなかの効き目でしたよ。皮膚がシューと溶けていったんですもの。こっちはゴム手袋を着けていて正解でした。あれならちょっと応用すればゴキブリを一匹たりとも残さず絶滅出来るのではと思うくらい。その後脱力した瞳さんの両腕を持って浴室まで引きずって行きました。本当に声が出なくなったか確かめるためにキッチンに戻った私はフライパンを焦げる寸前にまで熱して、引き返して彼女の顔に当ててやると驚いたように彼女の眼球が飛び出ただけで声は出ませんでした。最後にとどめを刺すため包丁でグサグサに刺してやった後、完全に人としての原型を失った形となりました。頭部のみですがね。」
秀一の話とは対照的に遥は落ち着き払っていた。秀一の場合、一滴の血も残さずに眠るように死んだのにも関わらず彼女は泣きながら絞り出すような声で話していたのに、瞳の無惨な最期の様子については眉一つ動かす事なくはっきりと話が出来ていた。
(生まれ育ちは別として、どこまでも歪んだ女だ。)
天谷は考えた。
「そして粗大ゴミ用の大きな袋にそれを詰め込み、包丁と浴室に付いた血を洗い流しました。死体をいつまでも自宅に置いておくのは嫌だったため、海外へ行くのに使っていた大きなスーツケースに入れて、私も身支度を整えて自宅を出発しました。タクシーを呼んでスマホの地図アプリで調べた郊外のY駅まで行き、そこから長い道路沿いをあてもなくゴロゴロ荷物を引いて歩きました。一時間以上歩いたと思います。気が付くと今まで行った事のない昼も薄暗い山の車道まで入り込み、周りを見ても草の茂みがすごくて車もあまり通っていなかったのでここに棄てようと決めて袋から出してガードレールの隙間から斜面に転がすように遺棄しました。その時気付いたのですが瞳さんの靴とバッグを家に置いたままだった事を思い出して、また元来た道を引き返すとY駅から京都駅まで戻りそこでタクシーで帰宅すると彼女のハイヒールとバッグ、そして高そうな私物を買い取り店へ持って行きました。そこで七、八万円ほどもらったと思います。ごう…。」
遥は慌てて口を閉じた。天谷を怒らせて彼の血圧を上げるのはまずいと考えたからだ。本当はこう言おうとしていた。
(強盗じみた悪質な犯行なのは自覚していましたが、仕方ありません。だって向こうは私を殺そうと企んでいたんですもの。それに加えて何の罪もない秀一さんをこき下ろしたのですから自業自得です。)
「何を言おうとしたんだ?」
「午後一時頃、小さい方のスーツケースに荷物を詰めて東京へ向かいました。」
「逃亡か?」
「それもありますが…その時になって東京にいる寺西先生の事が頭に浮かんで来て離れなかったのです。かと言って先生に匿い、今までのように弁護してもらおうとは思いませんでした。自分のしでかした事の重大さを自覚していましたから。新幹線に乗っている間も秀一さんの遺体を葬った事と瞳さんをしま…いえ殺した事による疲れと言うのか、大きな大きな重圧がのしかかる感覚に襲われたのです。特に後者に関しては突発的とは言えよくもあんな事が出来たものだと我ながらかん…いいえ悪寒がしました。夕方頃東京に着くと、かつて住んでいたS駅へ行き近くのホテルをとった後どうしても寺西先生の顔が見たくて先生と連絡をとって…会いに行きました。」
遥の所々の言い直しから、朝霧瞳殺害について本当の所あまり反省していないのは天谷にもよく分かった。
「では最後の質問に答えてくれ。」
「何でしょう?」
遥はキョトンとした顔で反応した。
「山垣教授による君の殺害計画について寺西弁護士は知っている様子だったか?」
遥はすぐには答えなかった。黙って膝に目を落として迷う様子を見せた後、寺西弁護士と再会した時の事を話した。
「明言出来ませんが…知っていたんじゃないかと思います。私に会って第一声が『遥…生きとったんか…。心配やってんで。』だったので。寺西先生の自宅にお邪魔して、久しぶりに顔を見た途端…これまでの恐怖と悲しみと東京まで逃げ延びた安堵感から涙がとめどなく流れて来て、ワッと泣き崩れてしまいました。そして先生に抱き着きました。この歳になって奇妙と思うでしょうが、私には先生以外これが出来ませんでしたから。
『ママ!!…怖かった…怖かった…もう京都は行きたくない。』
冗談抜きで震えていました。先生は構わず私の背中を擦りながら、
『よう帰って来たな遥。あんな所もう行かんでええ。黒霧の顧問は退いたし、ずっと私の傍におり。私は今までもこれからもずっと遥の味方や。』
ずっと私の味方…こんな事を言ってくれたのは後にも先にも寺西先生しか存在しません。この言葉を聞いて余計に涙が流れて来ました。もしかすると秀一さんも…そうだったのかもしれないけど……でも今となっては確かめようもなくて…せめて秀一さんが生きている間に、彼がああなる前に…私が彼の苦しみに気付いて寺西先生に何かしら助けを求めれば良かったと今でも激しく後悔しているのです。」
頭を抱える遥を見て、天谷はため息をついた。そして―
「分かった。以上で話は終わりだ。ここを出る前に顔を直して来い。」
言った直後に胸元のポケットのペンに手をやった。
「…。」
言われた通りに遥は席を立ち、バッグを持って洗面所へ行こうと天谷に背を向けた。
その時だった。
遥は手首に強い力を感じた。再び天谷が掴んだのだ。
彼女は驚いて振り向くと、いつの間にか天谷がそこに立って遥を見つめていた。
それは今まで彼が容疑者を取り調べる度に見せていたような厳しい表情ではなく、眉間の皺を少し緩めた、今まさに自分が手首を掴んで引き留めている目の前の女に対する憐れみと切なさ、そして若干ではあるが同情すると言った様々な感情を混在させた顔だった。
天谷は遥に最後の質問をした。果たして彼女にこれを尋ねる必要があるのかどうか、ずっと迷っていた。しかし、彼は知りたかった。既に答えを知っていたとしても―
「失礼。最後の質問するのを忘れていた。」
「何です?」
遥は内心喜んでいた。天谷の納得いかない点があればあるほど、彼と長くここに居られるのだから。
「君は、寺西弁護士の事をどう思ってるんだ?君が京都にいる間、彼女が出身地であるそこへ訪ねて来た事はないのか?親以上の存在だったんだろう?」




