犠牲者の執念
「… あの日に娘は友達の家に泊まりに行って居なかったのが幸い…と言って良いのかわかりませんが、24時過ぎに帰宅した元夫は今までにないくらい酔っ払っていました。確かにあの人はお酒を飲みますが、嗜む程度で大酒飲みではありません。いくら飲み会があったからとは言えあまりにも人格が変わっていてアルコールと言うよりは何かに洗脳されていたんじゃないかと思うくらい。私に対して言葉遣いが妙に乱暴で、私が少し戒めると『主婦のクセして偉そうに!』とか『誰のおかげでこの家で寝られると思ってんだ!』と過剰に反応しだして、挙句の果てには『お前はこの20年で見られない女になった。』とか『今の遥ちゃんとお前の20代の時と比べても月とスッポンだ。』など、これまでも夫婦の諍いは時々ありましたが、あそこまで酷く言われた事はありませんでした!あの人はもっと客観的な目を持った人です、意見が食い違う事があっても、落ち着いた態度で私と向き合ってくれていましたから。あれも、あの人の中にあの女が入っていたのではと思わずにいられません!―事実、その日は飲み会などなかったと会社から聞きました―だから、私もつい悔しくて、『私知ってるのよ、あなたがあの城戸って小娘から子どもっぽい手紙をもらったのを、上司にあんな封筒で渡すなんて、センスがなってないようね。』と言ってやりました。今も全く後悔していません。
その途端、あの人は…これも耳を塞ぎたくなるような酷い罵声で私に悪態をつき、風呂に入ると言ってリビングのドアを乱暴に閉めて出ていきました。情けない話ですが私は涙を堪え切れませんでした。しかしこちらも言われっぱなしは嫌なので、何か手掛かりはないかとあの人の鞄をひっくり返して探しました。結果は空振りでした。また鞄を元の状態に戻し、やがて元夫は風呂からあがってさっさと寝てしまいました。
…そこからです。おぞましい光景を見てしまったのは。あんな事になるならいっそ『俺は遥ちゃんに惚れたんだ。』とはっきり言葉にしてくれた方がどれだけよかったか。本来、私達は同じ部屋でベッドを2つ並べて寝ていました。しかしその夜はあまりに腹が立ったので私は夫婦の寝室の隣の娘の部屋で寝ることにしました。家中の戸締りをして、さぁ私も寝ようとすると、あの人がいる隣の寝室から妙な声が聞こえてきました。最初は寝言を言っているのだと思って無視しました。でもだんだん声のボリュームが増していって…しまいには『ああぁーっ!!』という絶叫がこちらにも響いてきたので、私は飛び起きて急いで元夫のいる部屋のドアを開けました。そしたら―(数秒間の無言)。」
ここで遥は、嘲るような表情でフッと笑った。そしてこう思った。
(なんでこんなに長ったらしいの?さっさと自分の罪を白状すればいいのに。)
「見に行かなきゃよかったと後悔しました。あの人は…私と言う妻がいながら、一人になったのをいいことに…その、言いにくいですがあの女を想像して悦に入っていたのです。しかも枕元には…あの例の手紙、いいえそれだけではなく知らない香水の染みついたコットンが2枚ほどありました。ただでさえ香水や柔軟剤と言った匂いが大嫌いな私には今でも何かの拍子にあの香水と同じ薔薇の匂いがすると尚更頭痛と吐き気がします。
でも、もっと悲しかったのはあの人、私が入ってきたのに気付かず、ただ目を閉じたまま
『遥ぁ~、遥ぁ~!』
などと叫びながら下品な反応を顕にし続けたことです。もう私は何も言えませんでした。その気力も消えてしまいました。あの人が目を閉じて夢の中にいるのをいいことに枕元の封筒と便箋だけをひったくって、娘の部屋に…戻り…ました。(涙ぐむ声)」
「(姉の声)すみません、しばらく休憩させていいですか?」
「そうしましょう。続きはお姉さんの方から話していただくとして…。」
「…待ってください!ここからも私から話させてください!それに、あの若いご夫婦の失踪事件は天谷さんも担当なさってるんでしょう?私、あの人に御恩があるんです。今の私がこうして生きているのもあの人のおかげなんです。」




