お姫さまの育て親
「プレセアさま……」
ティアナは主のいない部屋を見渡して、ため息を吐いた。
いつ帰ってきてもいいように、ベッドのシーツは常に整え、プレセアの好きそうなお菓子もたくさん用意している。
「もう一月も、城に帰ってこられませんね……」
ティアナのそばに立っていた魔王が、いつもプレセアが座っていた椅子を撫でた。
「……居場所は分かる。見張りもついているから、大丈夫だ」
「陛下……」
ティアナは眉を寄せた。
「いいのですか」
「……何が」
「このまま、プレセア様を遠くへやってしまって」
魔王に真実を聞いた日。
プレセアはショックを受けて、再び数日寝込んでしまった。
それから、もうここにはいられないと、城を飛び出してしまったのだ。
ティアナたちに感謝の言葉を述べて、今度は自分の居場所も告げて出ていった。
心を落ち着けるためにも、神殿でしばらく暮らすという。
ティアナには、プレセアの複雑な心境が理解できたからこそ、止めることができなかった。けれどやはり、プレセアのことが気になって仕方ない。
「俺はプレセアを縛る気はない」
魔王は首を横にふった。
「ここにいるのが嫌だというのなら、好きにさせておく」
「でも……」
「それに解呪のためには、しばらく心を落ち着ける必要もある。ここで無理というのなら、仕方がないだろう」
魔王は目が見えないはずなのに、それを全く感じさせない。
まるでプレセアがそこにいるかのように、椅子をじっと見つめていた。
魔王の目のことを知ったティアナは、本当にショックだったけれど、それを咎める気にはなれなかった。
魔王がどれほど、この十五年間プレセアを想っていたか、痛いほど知っているから。
魔王は何も求めない。
争いも望まない。
ただ大陸を安定させるためにだけにある存在だ。
けれどそんな魔王にたった一つだけ求めることを許されたもの。
それが伴侶なのだ。
(陛下は、プレセア様を本当に、本当に心待ちにしていた……)
ティアナもその気持は痛いほど分かる。
それなのに、女神はなんて残酷なことをするのだろう。
せっかく出会えた二人なのに、こんなに悲しいことはない。
「お前にも、悪いことをしたな」
「……え?」
ティアナが物思いに耽っていると、オズワルドがぽつりと言った。
「お前は十五年前、プレセアの育て親になるはずだった」
「……」
「何度も、お前には喪失感を与えてしまった。本当に申し訳ないとおもっている」
育て親。
その言葉を聞いたティアナは、曖昧に微笑んだ。
「……いいえ、陛下。私にはやはり、出過ぎた役だったと思っておりますわ」
女神が生み出した魔王の伴侶には、親がいない。
だから大抵は、育て親と言われる、子どもに見合った親のもとで育てられることになるのだ。
十五年前に選ばれたプレセアの育て親。
それがティアナ・ルベリアフィルスだった。
ティアナは物憂げに目を伏せ、小さく呟く。
「それに私は、プレセア様の御心に、安らぎを与えられなかったのかもしれません」
「……いいや、お前がプレセアに与えたものは大きかったよ。それにお前は、まだ俺の同情をかっていると思っているようだが、そのようなことはけしてない」
ティアナは目を見開いた。
少々、動揺しているようだった。
「私は……」
胸元できゅ、と手を握る。
それから魔王を見上げた。
「……夫と、お腹の中の子どもを失くしてから、ふさぎ込んでいた私に任をお与えになってくださったことは、心より感謝しております」
「だから別に、そのような事情があったから、お前を育て親に選んだわけじゃない。お前が適していると判断したのは、俺だけでなく、相談役のものたちもだった」
ティアナはうなずく。
「そうですね……。私は、私の素質を信じてプレセア様を任せてくださった方々のためにも、この生命をかけて、生涯プレセア様にお仕えしなければなりません」
ティアナは魔王の目を真っ直ぐに見据えて、言う。
「だから陛下、私はプレセア様を我が子のように育てはしようとも、我が子の『代わり』と思って接したことは、一度もございません。己の誇りにかけて」
魔王を見上げるその瞳には、力強い光が宿っていた。
「……よく理解している」
久しぶりに、魔王が微笑みを浮かべた。
それはどこか、安堵したような微笑みだった。
「それに陛下、私はプレセア様に心の平穏を与えられなかったかもしれませんが、彼女のことを少し、理解することはできました」
魔王が続きを促すと、ティアナは微笑んだ。
「陛下。プレセア様を信じてみましょう」
ティアナにはなんとなく分かっていた。
プレセアがきっと、帰ってくると。




