プレセア(わたし)の正体
「プレセアさま、あーんしてください」
「あーん」
ティアナがお粥を口に運んでくれる。
わたしはそれをおとなしく受け入れ、給餌される鳥の赤ちゃんのように口を開いていた。
わたしが目を覚ましてから、すでに三日が経っている。
人間界で起こった凄惨な事件のあと、わたしは目を覚ましたら魔王城に戻っていた。
わたしがお城にいなかった期間は、たったの二日間だけ。
それなのに、ずいぶんと自分のベッドの天井が懐かしいような気がした。
人間界での出来事は、わたしにとってかなりストレスだったのだろう。
目が覚めてから今現在まで、また高熱が出ている。
熱のせいだろうか。
眠っている間、ひどい夢をたくさん見た。
牢屋で鎖に繋がれたこと。
ヒマリちゃんに言われた言葉。
わたしの大好きだった孤児院の院長先生が、すでに亡くなっていたという事実。
ショックなことがいっぱいあった。
けれど何よりも怖かったのは、自分自身だ。
わたしはあんな、とんでもないことをしてしまった。
我を忘れて、大勢の人に怪我をさせてしまったのだ。
魔王さまがわたしを諭してくれなかったら……わたしはあのまま、多くの人を殺してしまっていただろう。たとえどれほどの憎しみを抱こうと、人を殺していい理由にはならない。
ぞっとした。
またあんなふうになってしまったらどうしようと。
考えただけで体がふるえてしまう。
あのときは、自分が自分じゃないみたいだった。
自分の中の怒りに突き動かされて、本当に……なんというか、バケモノみたいだった。
「プレセアさま?」
粥をよそっていたティアナが、眉を寄せた。
「もうお腹はいっぱいですか?」
「……うん」
あまり物を食べないわたしを、ティアナは心配してくれていた。
ティアナはわたしの正体を知っても、なんら動揺しなかった。
というか、ずっと感じていたらしいのだ。
私の中身が、どうやら五歳児ではないということを。
わたしが城で目覚めたあと、いきなりみんなに本当のことを言うのは怖かったから、ティアナにだけそっと真実を話したら、「知ってました」と軽く言われてしまった。
びっくりしていると、「それも含めて、プレセアさまのことが好きなんですよ」とほっぺたにキスしてくれた。
正直、びっくりした。
びっくりして、わたしはぎゃんぎゃんと泣いてしまった。
恥ずかしい。
でもそれくらい、わたしにとって、ティアナたちに嘘をついていたという事実は、重くのしかかっていたのだ。
わたしの正体を知っていても、優しくしてくれたこと。
その気持ちが嬉しくて、安心して、涙が止まらなくなってしまった。
「ティアナ」
「はい?」
器を片付けていたティアナに声をかける。
「ティアナたちは、どうしてわたしの正体を知っていたの?」
熱もだいぶマシになってきて、考える余裕が出てきた。
どうしてわたしのことを、みんなは知っていたのか。
その問の答えを知りたい。
ティアナは手を止めて、微笑んだ。
「むしろわたしは、あなた様よりもよく、その正体を知っています」
「正体……?」
ティアナは少し、ためらうようにして言った。
「……陛下が、すべての問の答えを知っていらっしゃいます」
空間が揺らぐ。
魔王さまが訪れるときの現象だ。
まるでわたしたちの話を遠くで聞いていたかのようなタイミングで、彼はわたしたちの前に現れた。
◆
「魔王さま!」
魔王さまが目の前にやってくると、わたしはベッドから飛び出すような勢いで、彼に飛びついた。
魔王さまは少しびっくりしながらも、わたしを抱きとめてくれた。
背中をぽんぽんと撫でてくれる。
「体調はどうだ?」
「元気!」
「まだ微熱があります」
わたしの答えを補足するように、ティアナがそう言う。
魔王さまはわたしを離すと、愛おしそうにほっぺたを撫でてくれた。
けれどふと、わたしは違和感を覚えた。
なんだろう……この、すれ違っているような感覚。
わたしのこと、見てるようで、見てないような……。
わたしがその違和感に気づく前に、魔王さまはそっとベッドに腰をかけた。
「それでも、ずいぶん良くなった。うなされていたから、心配していたんだ」
わたしが眠っている間、何度も見舞いにきてくれたのだろう。
熱に浮かされてあまり覚えていないけれど、なんとなく魔王さまの手がひんやりしていたのだけは覚えている。
「魔王さま」
「ん」
「魔王さまはほんとにわたしのこと……ずっと、知ってたの?」
「……ああ」
魔王さまはしばらく黙ってから、うなずいた。
「わたしがここに来てから?」
「いいや」
魔王さまはゆるく首を振った。
「もっと、もっと前から」
「え……?」
どういうこと?
首を傾げると、魔王さまは戸惑うような、不安げな表情を見せた。
彼は、緊張しているのだ。
どうして私のことを知っているのかを話すことに。
「魔王さま?」
ベッドで上半身を起こしたまま、首をかしげる。
魔王さまは一つため息をつくと、ようやく口を開いた。
「俺が、お前の運命を無理やり変えたから」
「運命……?」
唐突に出てきたその言葉に、頭が真っ白になる。
話が長くなりそうだと判断したのか、ティアナは魔王さまに椅子を勧めた。
それからわたしの熱がないかを確認して、寒くないように、肩にカーディガンをかけてくれた。
「……今から、俺の知りうる限りのすべてのことをお前に話そうと思う」
魔王さまはそう言って、わたしを見た。
「それは、お前にとってショックな事だと思う」
「……」
「それでも俺は、何があってもお前を守ると誓う」
魔王さまはまっすぐに私を見て、言った。
「俺の話を聞いてくれるか」
「……はい」
わたしはこくりと頷いた。
◆
その昔、魔界は争いに満ち溢れ、混沌とした世界だった。
女神はそんな荒れ果てた世界を嘆き、北、南、西、東、合わせて四つの大陸から一人ずつ魔族を選出し、自らの血肉を分け与えて魔王とした。
魔界に住む魔族たちには、自然と創生神を敬う本能が備わっている。
それゆえ、魔族たちは女神の血とエネルギーを与えられた『魔王』を敬うようになった。そして魔族たちは争い合うのをやめ、それぞれの大陸に君臨する『魔王』に付き従い、尽くすようになった。
魔界は魔王を得ることで、とても平穏になった。
けれど本当に大変だったのは、魔族を率いる魔王たちだった。
最初のころ、魔王を得ても、魔界は不安定だった。
ともすれば争いを繰り返しそうになる。
魔王たちはそれを止めてまわり、本当の平和のために奔走した。
けれどそうしているうちに、魔王たちは疲れてしまった。
魔王は自らの肉体に宿る女神の血を、生きている間守り続けなければならなかったからだ。
魔王は生まれながらにして魔王であり、その仕事をやめることはできない。
普通の国の王なら、王位を譲ることができる。
けれど魔王は魔王をやめることはできないのだ。
魔王としての役目を終えられるのは、死んだときだけ。
そして、魔王の寿命は千年にも渡る。
それは遥かな時間を、重い責務を背負って過ごさなければいけないということだった。
そんな魔王たちは、長い間世界を治めていくうちに、少しずつ消耗していった。世界を死ぬまで背負い続けることに、疲れてしまった。
けれどあるとき、世を平和にした魔王たちに、女神さまは褒賞をお与えになった。
女神はたった一人、魔王のための「運命の人」を生み出したのである。
それは魔王の伴侶であり、唯一の拠り所。
魔王のこころを癒す者。
決して裏切らず、魔王とともに道を歩く者。
魔王はその者とともにあれば、心が、体が、癒されていくのである。
魔王は一人だが、その魔王を一番近くで支えるパートナーを女神さまはお与えになったということだ。
「……だから魔王は、その相手しか愛さない。永遠に」
魔王さまは、話しの最後に、そうぽつりとつぶやいた。
わたしは心臓がドキドキして、苦しくて、なんだか不安になってしまった。
「子どももその伴侶の間にしかできない」
「……じゃあ魔王さまにも、その運命の人っていうのが、いるんだね」
「……そうだ」
なんでだろう。
とても、複雑な気持ちだった。
魔王さまの話が本当なら、魔王さまには魔王さまの、伴侶がいるのだろう。
それでも、その話がわたしとどう関係するのか、よく分からなかった。
「……わたし、人間だから、その話は関係ないよね? 人間界生まれ、人間界育ちなのは、わたしが一番良く知ってるし……」
わたしは、あなたの運命の人じゃない。
そう思うと、ちょっぴり悲しかった。
なんだろう、胸がチクチクする。
魔王さまのことは大好きだけど、なんというか、好きの種類にこだわったことがなかったから。
魔王さまも恋をして、別の誰かを愛して、結婚するんだなぁって思ったら、なんだか悲しくなった。
魔王さまはゆるりと首を振った。
……さっきから、どこを見ているのだろう。
魔王さまの瞳は、虚ろな気がした。
「……俺の伴侶は、十五年前に、白ノ血族の生き残りによって、人間界に連れ去られた」
「……!」
さあっと、頭から血の気が引いた。
音が遠のいていく。
「な、に……それ」
「俺の伴侶は……犠牲になったんだ。何も関係ないはずだったのに。黒ノ血族と白ノ血族の争いに巻き込まれて」
世界がわたしと魔王さまだけになっちゃったみたい。
ふらりとめまいがした。
「黒ノ血族の血を絶やすためか、復讐のためか。そのどちらともなのかもしれない」
魔王さまは、わたしを見た。
「お前は女神が生んだ、俺の伴侶だ」
魔王さまははっきりと、わたしにそう告げた。




