ティアナとプレセア
「プレセアさま……」
ティアナは、豪奢な天蓋付きのベッドで眠る、小さな小さな少女を見つめていた。ベッドのそばに膝をついて、少女──プレセアの手を握る。
せっかく健康的な体を取り戻しつつあったのに、今のプレセアは、また一回り小さくなってしまったような気がした。
ベッドの周りからはしくしくと侍女たちが泣く声が聞こえてくる。
「わたしたちが、もっとちゃんとしていれば……」
顔をぐしゃぐしゃにして泣くのは、バニリィだ。
ユキも暗い顔でうつむいている。
「二人とも……もう泣くのはやめなさい。プレセアさまは無事戻ってこられたのですから」
「うう……無事じゃないです……」
ぐすん、とバニリィは鼻を鳴らした。
「人間界でひどい目にあったって……」
「……陛下は、プレセアさまが自由でいられるように、護衛も侍女も最低限しかつけなかったのです。プレセアさまは……私達程度では、その身の自由を奪うことなど、どちらにせよできなかったでしょう」
ティアナはプレセアの頭を撫でる。
少女は、ぐったりと眠ったまま、目覚める気配はなかった。
「……もう、三日も眠っていらっしゃいます」
ユキが呟いた。
「……そうね。力を暴走させてしまったようだから。小さなお体には堪えたのでしょう」
バニリィもユキもベッドへやってきて、プレセアの顔を覗き込んだ。
「大好きなプレセアさま……どうか早く、元気になってください」
バニリィとユキのつぶやきを聞いて、ティアナは少しだけ、表情を緩めた。
(やはりこの子たちも、プレセアさまの血に、惹かれているのね)
ティアナはプレセアの顔を見ながら、彼女と出会ったときのことを思い出していた。
◆
ティアナがプレセアと初めて出会ったときも、確か、魔王がぐったりとしたプレセアを抱えていた。
面倒を見てほしいと頼まれたときは驚いたものの、あまりにも不健康そうで、やせ細ったその小さな子どもを見て、すぐに世話をしなければ、と本能的に悟った。
目覚めたプレセアは、最初は自分のいる場所や状況がよく理解できず、ずっと不安そうな顔をしていた。けれど世話をしていくうちに、次第によく笑うようになり、元来の明るさを見せるようになった。
一方、やはりプレセアの体は不健康で、ガリガリだった。
魔王からは、プレセアは魔力持ちとして人間に迫害されていた子どもだと聞いていたので、きっとろくな食べ物も与えられなかったのだろうと思い、できる限り栄養のあるものをたくさん与えた。
結果的にすぐお腹を壊してしまうことが発覚し、食べ物を与える際はかなり慎重に献立を考えるようにはなった。そのおかげか、少しずつプレセアの体も回復していった。
プレセアは不思議な子どもだった。
ティアナもそうだが、不思議とさまざまな人を寄せ付けるのだ。プレセアを見た人々は、吸い寄せられるように、必ず彼女に視線を向けた。
また、プレセアと触れ合った人々は、みんな彼女に好意を持つのだ。
何よりも、魔王自身が、見たこともないほどに優しい表情をしていた。
魔王は優しくないわけじゃない。むしろ、少々言葉遣いはあらいけれど、慈愛に満ち溢れた人だとティアナは思っている。
魔王というのは、大陸を統べる王ではあるが、政治的なことにはあまり関与しない。そのかわり、多くの公務をこなし、民の心を惹きつけ続ける必要がある。
身を粉にして大陸中を飛び回り、なかなか休みもとらない魔王は、けれどプレセアの願いなら、と一日休んで彼女と遊んでやったこともあった。
それはプレセアが子どもで、愛らしかったというのもあるのかもしれない。
けれどティアナは、プレセアのことをあまり子どもだとは、思わないようになっていた。人間界で虐待を受けていたせいか、たまに表情に影が出るのだ。そのときは、子どもとは思えないほどプレセアは大人っぽく見えた。
それに発言もそうだ。子どもにしては、少々ものを知りすぎている感じがする。本当の五歳児は、こんなに大人の話を理解できるものではない。
けれど、ティアナがプレセアを嫌うことはなかった。むしろ、もっともっと、プレセアを大切にしなければ、と思うようになっていった。
プレセアが子どもだからというわけでなく、おそらく皆、プレセアの存在自体に惹かれていたのだと、ティアナは思う。
そしてそれを裏付ける出来事が、起こったのだ。
プレセアは夜泣きがひどい。
本人は気づいていないようだが、いつも夜中に目覚めては、痛い、怖いと泣きじゃくっている。
ティアナはそんなプレセアをあやして寝かしつけるために、夜中ずっと起きてプレセアのそばにいた。
何度かユキたちに交代したこともあったが、基本的にはティアナがプレセアの面倒を見ている。プレセアもティアナの方が、安心するのかすぐに泣き止むことができるからだ。
そんな日が続いたある日、とうとうティアナは体調を崩してしまった。
寝不足が続いたせいだろう。
魔王とプレセアの茶会の最中に、めまいがして、ティーポッドを割ってしまったのだ。中の熱い紅茶が腕にかかり、火傷をしてしまった。
そしてそれを、プレセアが治療した。
もともと魔力が多いのは知っていたが、白魔力まであるとは、ティアナも思わなかったのだ。
けれどそこで、ティアナは思った。
魔王が偶然連れてきた子どもが、その身に膨大な魔力を宿し、白魔法を使えること。
そんな偶然、あるのか? と。
──いや、うすうす感じてはいたのだ。
ティアナの仮説が正しいのなら、その子どもはおそらく。
この西の大陸上で、もっとも貴重な女性なのだと。
ようやくその御方が現れたのだと、ティアナは身震いをした。
長い年月を不安な気持ちで過ごした。
けれどそれももう終わりだ。
プレセアがいてくれるなら、この西の大陸も安定する。
だから、プレセアが手紙を残して城から消えてしまったとき、ティアナは身が凍る思いをした。
やっと手に入れた安寧を、再び失くしてしまったのだ。
なぜ魔王は見張りをつけなかったのか。
もっと大切に、慎重すぎるほどに、守らなかったのか。
……いいや。
そんなことをしても意味はないと、ティアナは本当は分かっている。
プレセアはそんなものではどのみち縛ることができない。
だって彼女は──なのだから。
「心配するな」
プレセアがいなくなったことを知ったときも、魔王は落ち着いていた。
「あいつは人間ごときが殺せる存在じゃない」
それどころか、と魔王は虚ろな瞳で言う。
「……プレセア一人で、国一つは余裕で潰せるだろう」
ぽつぽつと、魔王はティアナに、本当のことを話した。
そして初めて、ティアナはことの全貌を知ったのだ。
それはあまりにも悲しい事実だった。
彼自身、怯えているようだった。
プレセアに真実が知れるのが。
「魔王陛下、あなた様は……」
魔王の黒い瞳は、何も映していなかった。
ただただ、プレセアへの想いのみが、映っている。
「迎えに行ってくる」
そう言って、魔王は人間界へ乗り込んだ。
魔王には、影と呼ばれる最高レベルの魔導士たちも同行していた。
彼らが活躍することがありませんように、とティアナには願うことしかできなかった。
プレセアの残した手紙を、何度も何度も読み返す。
だいすきなみんなへ
プレセアは、すこしだけおでかけしてきます。
かならずもどってくるので、しんぱいしないでください。
かえったら、みんなにおはなししたいことがあります。
プレセアは、みんなにないしょにしていたことがあります。
それをはなしたら、みんなにおこられそうで、プレセアはこわいです。
なので、おかしとか、ゆうきづけられるようなものをよういしてくれたら、うれしいです。
プレセアより
P.S
こうきゅうなおにくがたべたいです。
にんじんはいらないです。
「プレセアさま……」
プレセアらしい置き手紙だった。
ティアナには、プレセアのいう「ないしょ」の内容は、もう分かっていた。
おそらく彼女は、五才の子どもではないのだろう。
他にも、人間界で暮らしていたときのことなど、様々な隠し事があったのかもしれない。
それを隠して自分たちと接することに、プレセアはひどく不安を覚えていたのだろう。
魔王さま、早くおっしゃってくださればよかったのに。
そうすれば、そんなことはないですよ。
たとえあなたがどんな存在であっても、わたしたちはあなたが大好きです、と伝えることができたのに。
そこまで考えて、ティアナは気づいた。
自分がきっと、プレセアの正体がなんであれ、彼女を愛しているのだということに。
明るくて、元気いっぱいな彼女に、親のような気持ちを抱いていたのだ。
彼女を大切に思うのは、ティアナが、プレセア自身をしっかりと見てきたからなのだろう。
ティアナは、プレセアのことが大好きなのだった。
◆
「……ナ」
舌っ足らずな小さな声で、ティアナの意識は覚醒した。
「ティアナ」
「……ん」
(そうだわ、バニリィとユキを部屋に戻したあと、わたし、プレセアさまのおそばで……)
居眠りしてしまったのだと、ティアナはハッと顔を上げた。
「プレセア……さま?」
眠そうな目をしたプレセアは、ティアナに手を伸ばしていた。
「ティアナ、ティアナ……」
思わずティアナは、プレセアを掻き抱いてしまった。
「プレセアさま、よかった……!」
「ん、ごめん……」
「もう、もう……私にこれ以上、心配をかけさせないでくださいませ」
「ごめんね、ティアナ……」
プレセアも、きゅ、とティアナに抱きつく。
その日、ティアナは久しぶりに涙を流した。
これからもきっと、プレセアはさまざまな問題にぶつかるだろう。
けれど今は、彼女の身が無事であることに、大きな喜びしか、感じられないのだった。




