ビバ★処刑
「したがってその者を『刻戻りの刑』に処す!」
谷底から、びゅうう、と強風が吹き上げてくる。
空は灰色。今にも雨が降り出しそうだ。
そんな中、わたしは腕をしばられ、渓谷のすぐそばに立たされていた。
本日はわたしの処刑日。
未来の王妃の殺害を企てたこと、聖女だと偽り続けたこと、そして魔力を持って生まれたことの罪を、死んで償うのだ。
けれどただの処刑じゃない。
国は私に、十年間、結界を守り通してもらったという恩がある。
だから私はただの斬首刑ではなく、『刻戻りの刑』に処せられることになったのだ。
この国には魔界に繋がると言われている、深い深い『刻戻りの谷』という場所がある。その谷は谷底を確認することもできぬほど深く、真冬の夜よりも暗い闇に包まれている。
刻戻りの谷に身を投げれば、体の年齢が逆行し、やがて赤子に、そして母親の胎内に入る頃にまで刻が巻き戻り、もう一度生まれ変わるのだという伝説がある。生まれる前からやり直すのだ。
斬首ではなく刻戻りの刑であることをありがたく思えと、あの人は言った。
私の婚約者であった、王太子さまは。
これはヒマリの恩情だと。
ヒマリが頼んだから、貴女をもう一度はじめからやり直させてやるのだと。
けれどなんでも同じだ。
ようするに斬首ではないが、高いところから飛び降りて死ね! ということである。斬首よりも矜持は保たれるだろうけど、死ねばみんな同じではないのか。私がいなくなった世界でプライドだけが保たれたって、意味がない。
「クビを切られて死ぬか」「投身自殺するか」という死に方の違いだけである。
死ねばみんな一緒だもん。
びゅうう、と風が吹く。
わたしは閉じていた目を開いて、谷底をちらと覗いた。
うわ……深……。
「最後に何か言いたいことはあるか?」
処刑人にそう問われ、わたしは少し考えたあと、言った。
「ヒマリ様にごめんなさい、と伝えてくれますか」
聞けば、ヒマリちゃんってわたしと同じ年だった。
十五歳。
わたしは聖女の任を放り出す者として、彼女に伝えなければいけないことがある。
彼女の顔を思い出すたび、わたしの心には影がよぎる。
わたしは……。
「ようやく己の罪を認めたか」
冷たい声がした。
振り返れば、元婚約者様がふんぞりかえって、処刑鑑賞用の椅子に座っていた。殿下だけじゃない。この場には、貴婦人から好奇心旺盛な平民まで、様々な見学者がいた。
処刑は娯楽でもある。
特にわたしのようなニセモノの聖女の処刑となれば、好奇心を掻き立てられるのも仕方がないのかも知れない。
みんなに見られて、なんだか居心地が悪いな……。
「だがもう遅い。罪を認めたところで、貴女の処罰が軽くなるわけではない。貴女のせいで、ヒマリは精神的に疲れて、部屋で寝込んでいるんだ」
……。
「早く執行してくれ。ヒマリのもとに帰らなければ」
本当に殿下はヒマリ様と仲がいいのね、と処刑場が少し和やかな空気になった。
進め、と言われて、谷へ突き出した処刑台の上へ、歩みを進める。
処刑台の先に立つと、やっぱり怖くて足が震えた。
けれど後ろには、剣をもった兵がいる。
飛ばなきゃ、あれで切られて痛い思いをするだけだ。
わたしはふう、と息を吐いた。
わたしはこれから、谷底へ落ちたと見せかけて、飛行魔法で死を回避するの。
落ち着いたらまずは孤児院にいって、先生たちに会う。
それからどこか遠い場所にいって、なんとか職業を見つけて、楽しい平民ライフを送る!
これは新しい一歩なんだから!
「よーし」
やってやろうじゃん!
わたしは目をつぶった。
強い風を感じる。
わたしは鳥だ。
自由な鳥。
もう籠の中の鳥なんかじゃない。
この翼を広げて、自由にどこまでも飛ぶのよ。
うっし、今なら、行けそう。
プレセア、飛びまーす!
わたしは一呼吸置いたのち、自ら奈落の底へと足を踏み出した。
──がくん。
体が一気に、下へ下へと落ちていく。
「ふひゅっ」
ひゃあああ、怖い怖い!
やべ、思ったより怖い!
ものすごいスピードで体は落下していく。
こ、怖がっちゃダメ。
飛ぶんだ!
わたしは歯を食いしばって、いつものように、集中した……が。
「あるぇえええ!?!?」
いや待って。
あんだけ余裕ぶちかましといて、魔法発動できないんですけど!?
「うへゃぁああああ!?」
うそうそうそ!!!
なんで!?
なんで飛べないの!?
このままじゃわたし、ほんとに死んじゃうじゃん!
周りは真っ暗になっていく。
それが余計に焦りを煽って、うまく魔法を発動できなくしていたのかもしれない。
「あ〜れ〜!!!」
わたしは涙と鼻水を撒き散らしながら、どこまでも落ちていく。
あー……。
わたしの人生って、なんだったんだろ。
聖女にさえならなければ、孤児院であのまま楽しく過ごせたかもしれないのに。
巻き戻ってくれないかな、私の大切な、時間。
美味しいごはんや甘いお菓子を食べて、いっぱい寝て、可愛い服とか着て。
それから
それから……
わたしは、誰かに……
闇に包まれるようにして、わたしの意識は薄れていった。
◆
その男は、瓦礫の上に立って、空を見上げていた。
そこには何かとてもつもなく大きな建築物があったらしい。
けれどそれは今では朽ち果て、巨大な瓦礫と化していた。
肩につくかつかないかの、サラサラとした漆黒の髪。
同じく夜の闇よりも深い瞳は、黒曜石のように鋭く釣りあがっている。
けれど男の顔は、何よりも整っていた。
その身に纏う黒い外套が、一陣の風にはためく。
背中に背負った銀の紋章が、きらりと輝いた。
男は黒い手袋をはめた手を、空へと伸ばした。
空が光る。
何かがゆっくりと、落ちてくる。
男は囁くように、言った。
「さあ、来い。俺の──」