風邪っぴき
その昔、二柱の創生神が、仲良く手を取り合って二つの世界をお創りになった。
力は弱いが、協力し合うことで絶大な力を生み出す人間の住む『人間界』。
魔力と言われる汚らわしい力を持った魔族の住む『魔界』。
人間は協力しあって、より良い世界を築きあげた。
しかし魔界はひどく荒れ果て『失敗した』世界になった。
魔族たちは醜悪な欲望に飲み込まれ、お互いに傷つけあい、何もかもを奪い合う醜い生き物だったからだ。
そんな魔族たちは、自分たちで争うだけでなく、清く美しい存在である人間を妬んで、人間界を手に入れようとした。人間界へ乗り込んできたのだ。
けれどその汚らわしい力は、人間の持つ聖なる力には遠く及ばなかった。
人間たちは聖なる力で、魔族たちを打ち払い、最も聖なる力を秘めた聖女が、二度と人間界へ入ってこられぬよう、二つの世界の間に結界を張った。
魔族たちは今でも、清く尊い人間たちを妬み、恨み、隙あらば攻撃しようとしているのだという。
◆
──わたしが人間界でずっと教えられてきたことは、なんだったんだろう。
魔王さまやティアナたちと出会ってから、よくそう考えるようになった。
魔王さまはわたしをペットだというけれど、わたしを見つめるその瞳は、あまりにも優しくて、むずむずするくらいだった。
わたしの身の回りのお世話をしてくれる人たちも、みんなそう。
誰一人として、人間のわたしに危害を加えることはしなかった。
それどころか、みんなわたしのことを、可愛がってくれた。
わたしが人間界で教わっていたことって、もしかして間違っていたのかな。
だとしたら、魔界って、いったいどんな世界なんだろう?
わたし、もっとこの世界のことを知りたいかもしれない。
って思った矢先。
考えすぎたせいなのだろうか。
「んんぅ……」
「ああ、プレセアさま、お可哀想に」
ううう。
頭ガンガンする。
気持ち悪い。
「ティアナ、はきそう……」
「いいですよ、気持ち悪ければ、全部吐いてください」
考えすぎて、知恵熱が出たのか。
庭園事件で水をびっしゃり浴びてしまったせいかもしれない。
とにかくわたしは風邪をひいてしまい、またベッド生活に舞い戻ることになってしまったのだった。
「ティアナ、ティアナ」
熱にうなされながら、ティアナの名前を呼ぶ。
「しんどいよぅ」
子どもの体になったせいか、熱はなかなか下がらない。
みんな心配して、代わる代わるベッドのそばについていてくれた。
「ティアナも、ユキもバニリィも、みんなプレセアさまのお側に居ますからね」
心配そうに体をさすってくれながら、ティアナがそう言った。
「まおうさまは……?」
「魔王さまももう直いらっしゃいますよ」
知らぬうちに、魔王さまを求めてしまう。
魔王さまと一緒に眠ったとき、すごく心地よかった。
ここなら安心できるって、思った。
魔王さま、どこ……?
「まおうさま……」
わたしは熱にうなされて、知らず知らずのうちに、魔王さまを求めていた。
高熱が出ていたせいだろうか。
ぐるぐると視界がまわり、気持ちの悪い夢を見た。
◆
『まだあの女が祈りを捧げているのか』
──祈るたびに、体が痛む。
『聖女という身分にしがみついて、何も努力せずに来たんだろうなぁ』
──祈るたびに、痛みに悲鳴をあげるのは、心もだ。
『あの女は、民からの羨望が欲しいんだろうよ。まったく、浅はかな女だ。努力しなければ、何も手に入らないというのに』
──違う。わたしはそんなもの、望んでいない。
『誰からも求められてないのになぁ』
──誰か、助けて。
『さっさと死んじまえばいいのに』
──どうか、わたしを。
わたしを──。
◆
暗転。
わたしは気づくと、暗闇の中に立っていた。
──ねえ、苦しいんでしょう?
暗闇の中に、どこかで聞いたことのあるような声が響いた。
今いる暗闇よりももっと深い黒を纏った何かが、ぶるりと蠢く。
それは人型になると、ぱっくりと赤い口を開けて笑った。
「……誰?」
おぞましくなって、わたしは後ずさった。
──力を貸してあげましょうか。
「なに……? なんの話」
その影は、強い憎悪のような感情を纏っていた。
──憎いでしょう、あいつらが。
その言葉はわたしの心を激しく揺らした。
殿下の顔や、ひまりちゃんの顔や、神殿の神官たちの顔が思い浮かぶ。
先程の夢の中のように、ひどいことをされたシーンばかりがわたしの目の前を流れていった。
──悔しいでしょう、プレセア。
そのおぞましい声に名前を呼ばれて、ぞくりと悪寒が走った。
──ねえプレセア、あなたには力があるの。
「やだ、やめてってば」
聞きたくない。
こいつに関わりたくない。
わたしは目を閉じて、耳を塞いだ。けれどその声は、頭に直接響くようなものだった。
──いつもヘラヘラして、考えないようにしてるけど。あなたはね、本当は憎くて憎くて、仕方がない。
「っ」
──あいつらを殺したいって思ってるの。
「そ、そんなこと、思ってな……」
──嘘よ、嘘。いつもは別の場所に感情を向けて、忘れようとしているだけ。
影はぱっくりと口を開けて笑った。
──ねえ、あなたには力がある。わたしにその身を委ねてくれたら、みーんな殺してあげるわ。
「黙って!」
叫んだ瞬間、胸に激しい痛みが走った。
まるで心臓を握りつぶされているみたいだ。
思わず顔を歪めて、座り込む。
──その胸の痛み、なんだか覚えてる?
これは……。
そうだ、わたし……。
──それがある限り、わたしたちは一緒。けして離れることはない。
影がわたしを取り巻く。
ぬうっと白い腕が出てきて、わたしの頬を撫でた。
──忘れないで、わたしという存在がいることを。
影はそうささやくと、溶けるようにして暗闇の中へ消えていった。
お読みいただきまして、ありがとうございます。
誤字報告、とてもとても助かっております( ;∀;)!