聖女《ニセモノ》がいなくなった王宮で② エルダー視点
エルダーは賢王と言われる国王のもとで、様々なことを学んだ。
歴史、地理、地文、博物、美術史、国文学、数学、理科学、法制経済、軍事講話。
人との付き合い方や、王としてのあり方。
国を守るために多くのことを必死で学んでいたというのに、その間プレセアは、何一つとして学んでいなかった。
政治の話はいい。
何か芸術について話せれば、と思ったが、それさえも話せない。
いつまでたっても、マナーですら分かっていないようだったのだ。
いつも体が痛い、だるいなどと甘えたことを言っていた。
そしてサークレットを外してくれ、と。
そのせいか知れないが、彼女は年齢や教育に見合った知能が足らないように思えた。一応、一通り学問やマナーは教えてはいるらしいが、ちっとも覚えないという。
そしてそれだけでなく、聖力も足らなかったのだ。
結界を張っても、母の時とは違い、魔物が湧き続ける。
特にスタンピードと言われる一定の時期に沸き起こる魔物の氾濫期には、歴代最悪と言われるほどの被害が出た。
その分、プレセアが神殿を出て、地方に浄化の旅をしなければいけなかったのは、当然の結果とも言えた。
それなのに帰って来たら、ぐったりとして、疲れたなどとのたまうのだ。
自業自得ではないか。
国民に申し訳ないと思わないのか。
「殿下」
冷たい声だった。
目に光はなく、少女特有の活発さもない。
いつしか本物の人形のようになってしまったプレセアは、掠れた声でエルダーに言う。
「たすけて」
プレセアはやせ細っていた。
きっと、好き嫌いでもしているのだろう。
王宮の料理は、栄養も満点で、十分な量があるはずなのに。
食べ物を残すことは失礼だとは思わないのか。
一方で、そんなプレセアの姿を、美しく幻想的だという輩もいた。
大神殿で祈る姿が、どれほど美しいか、と。
それは、大神官を含む、神殿の一部の者たちだった。
彼らがプレセアのことを気に入っていたから、どんなに批判があっても、プレセアは聖女であり続けることができたのだ。
気にくわない。
神官たちも、プレセアも。
なぜこのような女が聖女なのだ。
なぜこのような身分の低い女が、自分の妻なのだ。
エルダーは不満を募らせ続けた。
◆
「なぜプレセアを処刑した」
刻戻しの刑が執行された後。
エルダーは父王のもとへと呼ばれた。
現国王陛下は、病に伏しており、もうこの先長くはないだろうと言われている。
ベッドから起き上がることもできず、政務はほとんどエルダーが行っている状態だった。
「……プレセアはヒマリに害をなそうとしました」
王は、静かに息子を問いただした。
「その聖女に、今後何かあればどうする?」
「……」
「聖女がもとの世界へ帰らない保証も、他の者に害されて死なない保証もどこにもないであろう」
だったら、と静かな声で王は紡ぐ。
「なぜ代替品のことを考えなかった」
エルダーだって、考えなかったわけじゃない。
迷いもしたのだ。
ヒマリに何かあったときの、代理品にしようと。
ヒマリを正妃に据え、プレセアは側妃として娶るつもりだった。
けれど、プレセアは魔力持ちだった。
「あの女は、何をしでかすか分かりません、陛下」
実際にヒマリに害をなした。
ほんのわずかでも、ヒマリを失う可能性は潰したい。
魔法で何をするかわからない。
呪い殺してしまうかもしれないのだから。
「私は何を言われようと自分の判断を信じます」
エルダーはそう言い切った。
王は、何も言わなかった。
◆
なぜ今頃になって、あの女のことを思い出すのだろう。
神官と向かい合いながら、エルダーはため息を吐いた。
そこへ、ノック音が響く。
「殿下……」
「ヒマリ!」
ふらふらと部屋に入ってきたのは、愛らしい少女だった。
ツヤツヤとした黒髪に、ぱっちりとした瞳。
庇護欲をそそるその愛らしい顔立ちは、見る者を一瞬で虜にしてしまう。
「ごめんなさい、少し体調が悪くて……」
もともとほっそりとはしていたが、さらにやせ細ってしまったようだった。
「いいんだ、そんなことは」
エルダーはヒマリを抱いた。
異世界から来た少女。
庶民でも貴族でもない。
神に近しい、存在。
自分はそんな少女を、妻にするのだ。
自分のものに、するのだ。
歴代のどんな王だって、できなかったこと。
「日本に残してきたみんなのことを考えたら、寂しくなっちゃって……」
ホームシックにもなるだろう。
それでもヒマリは、聖女になることを選んでくれた。
だから、大切にしなくてはいけない。
「ヒマリはただ、幸せでいてくれたら、いいんだよ」
何かを得るためには、何かを切り捨てる覚悟が必要だ。
ヒマリの安全か。
代替品の確保か。
そのどちらも手に入れられたのなら、良かったのに。
ヒマリを抱きながら、エルダーはわずかな後悔を感じていた。