1 迷宮
「よし……鉄棒OK、手袋もはめたし長袖長ズボンは鉄板入りだし、念の為ヘルメットも被ってる。道端に落ちてた奴だけど、石も沢山拾ってる」
手を広げ、腕と足を叩いて鉄板の硬い感触を確かめ、人差し指でコンコンと叩いてヘルメットの存在を確認する。
最後に隣に置いたリュックを小さく揺らして石があることを確かめると、ベンチを立った。
「うん、完璧だ。きっといける」
視線の先には、一昔前の公園によくあるようなトンネルの遊具。
ただし、その入口は縦横3メートル程まで押し広げられている。
この公園で遊ぶ子供があまりいない理由であり、俺が今日ここに来た理由でもある。
小学生でもスマホを持ちゲーム好きのインドア派が増えているとはいえ、休みの日に親子連れで公園が賑わうのは今も同じ。
何故子供が居ないのか。
その原因がこの遊具……というか。
家から徒歩3分の公園に出現した、『神戸の初心者迷宮』である。
『神戸の初心者迷宮』とは、その難易度の低さ、ほぼ100%という生還率の高さから初心者用迷宮として名を馳せている迷宮だ。
迷宮。
その恐ろしさは、今も日本国民……いや、世界中の人間の心に残っているだろう。
俺だって、あの『大氾濫』と呼ばれる事件の事を忘れたことは無い。
10年前。突如発生した『迷宮』から溢れ出たモンスターが人を襲い回った。
不幸中の幸いにして、自衛隊や"スキル"を手に入れた人達によって騒動は直ぐに収まった。
が、それでもなお被害は甚大だった。
現日本人口5200万、その内訳は男性3割、女性7割と偏っている。
10年前に半分以下に減少した人口は今も緩やかに下降を続けており、日本政府は重婚の許可やら様々な子育て支援制度やらを導入した。
……それはいいとして、問題は迷宮だった。
絶望と殺戮を産んだ迷宮は、また、人類に絶大な恩恵をもたらした。
未知の金属、未知の食材。
優れた耐火性や耐水性を持つ布や毛皮、万病に効く回復薬。
その他諸々の、利便性に富む素材がモンスターから『ドロップ』することが分かったのだ。
そして、モンスターを倒すことによるレベルアップ、低確率でドロップするスキルスクロール。
レベルアップすると身体能力が大幅に上昇する。
健康のために少しだけレベルを上げる、なんて人もいるそうだ。
そして、スキル。
これはモンスターと戦うにあたってなくてはならない能力だ。
1人が持てるスキルの数は1~3個。
スキルスロットの数しかスキルは取れず、その個数は平均2.2個くらいらしい。
俺のスキルスロット?
分からないよ、まだ。
最初のスキルを取るまでスキルスロットの数がわからないのだ。
全く意地が悪いシステムだよ。
その上一度スキルを取れば解除は不可能だとか。
自分のスキルスロットの数がわからない以上1つ目は慎重にならざるを得ない。
例えば体力を消費して一定時間攻撃力を上げるスキルスクロールが出たとして、その上昇率が100%だろうと1000%だろうと攻撃系のスキルがなければゴミみたいなものだ。
それを取った後にスキルスロットの数が1つだと判明したらどうしようもない。
さらに、スキルスクロールはスクロールに触れたら即習得、ドロップ後10~15分で消えてしまうという厄介な性質がある。
いくつも取っておいてじっくり考えるとかスキルスクロールの売買は不可能というわけだ。
「ふーーー。そろそろ行くか……」
よく通りかかる公園が、奇妙に張り詰めた空気で満ちているように感じる。
「大丈夫……ここの浅い層なら、Youtuveで何回も見た。遠距離攻撃は無いし致死性の罠もない。鉄板やヘルメットを貫く攻撃は出来ないようなモンスターしか湧かない……」
そう。
大丈夫。
できることは全てやった。
一応体はそこそこ鍛えているし、武器は初心者でも使いやすい棒、投擲用の石も確保してある。
「……うん、悩んでても時間の無駄だな。行くぞ」
自分に言い聞かせるような独り言。
革鎧に剣を持った数人の男女が迷宮に入っていくのを見て、ようやく決心がついた。
「よし……とりあえず、最初のスキルは大事だよな。最悪それひとつしか取れないかも知れないんだし」
ドクンドクンという心臓の音が奇妙に頭に響いて…………
俺は、人生で初めて『迷宮』に足を踏み入れた。