期待と不安
鏡の前で、ブレザーの学生服を着た自分の立ち姿を確認する。
実を言うと、学校の制服をもう一度着たいとは思っていたんだ。だってしかたないだろう? 十四歳からはずっと病院で暮らしていたんだ。
制服を着て登校するなんて、あの頃じゃ夢物語だったんだから……
あのクサレ女が通っている高校とは言っても、別に四六時中奴と顔を合わせなければいけない訳でもない。よくよく考えたら友人を作るチャンスだし、癪に障るが、ガネーシャが言っていたようにこの時代の世間の常識を知る、良い機会だ。
そういう事情もあったから、学校に通う、というのは少々期待するものがあった。
そして、不安もある。やはりあのクサレ女の存在だ。
俺を自分が通う高校に通学するよう、アルファード社やアツシを脅した理由なんて、一つしか思い浮かばない。
報復。
どんな手段で行われるのだろうか? 直接的な暴力であれば、財閥からの手の者が来るだろうから、もっと陰湿かつ精神的に参る手段で行われるはずだ。
いや、不安をあげていたらキリがない。
覚悟を決めろ。
当面の目的はあのクサレ女をギャフンと言わせること。期間は卒業するまでの間。
鏡に映る己に自己暗示をかけ……自らに喝を入れるべく、頬を両手で叩いた。
「よし、行くぞ」
*
ここ二日、超という文字を、頭にいくつつけても足りないくらいの高層ビルばかり見てきたからだろうか、通学途中の景色は、あまり見栄えのいいものではなかった。
いや、正確に言えば、建造物に関しては未だに圧倒されている。
俺から見れば、高層マンションと言っても差し支えない建造物なんだが、その入り口から次々と出てくる人物達の出で立ちを見ていると、一般庶民でも入居できるものらしい。
俺の時代では富裕層の中でも、限られた人物でなければ手の届かないようなマンションなんだが……ため息が出そうなくらいに、今の世の中は豊かなんだなと思う一方で、都市の景観を整えるために植えられたであろう街路樹の下には、中身が入ったままのペットボトルらしきものが大量にあった。
この周辺では犬や猫を飼っている人が多いのか、はたまたマナーがなっていない飼い主が多いのか、後始末がなされていない糞が歩道の隅に数多く見受けられた。
「……時代が変わっても、こういうのは変わらないんだな」
ゴミ捨て場を漁るカラスがいないのが、せめてもの救いか。
「ああ、救いと言えば、俺、結構冷静じゃないか」
登校初日に街の景色を観察する余裕がある程度には。
うむ、この調子でクソ女に相対すれば、自分のペースで話を進められるだろう。
この調子だ俺、と己に発破をかけ歩を進め、五分後……
俺は眼前にそびえる訳のわからない建造物と、ポケットに入れておいた地図を見比べた。
「これ……学校なのか?」
デザインは奇抜ではない。俺の頃とほぼ同じ景観だ。
ただ、でかい。
頂上が見えない建造物、というのは今まで何個か見てきた。
しかし、頂上が雲を突き抜けている建造物、というのは流石に初めてお目にかかる。千メートル以上あるんじゃないのか? 地震とかあったらどうすんだ?
そして、広い。
ざっと見た感じではあるが、ゴルフ場くらいの広さはあるんじゃないかと思うような建造物が、雲を突き破って、そこにデン、と居座っているのだ。加えてその周りにこれまたバカみたいに広い敷地が視界一杯に広がっている。
クソ女の持つ権力の大きさに、膝が笑いそうになる。
……つうか、これ、職員室探すだけで、一時間以上かかるんじゃねえか?
多分事実であろうその思いつきに焦った俺は駆け出した。