届かない手
エレベーターの音声を無視し、そのドアが開いた瞬間、駆け出した。
セキュリティ上、危険だからという理由で封鎖されているはずの屋上に通じる自動扉は、完全に開け放たれていたから。
間違いない。アイツ……!
速度を緩めず、このままアイツを取り押さえようと焦っていたのか、俺は不覚にも、自分の萎えた足がたてる音に全く注意を払っていなかった。
外に出るのと同時に、アイツがこちらを振り向いた事で、俺は反射的に止まってしまった。
「……? あたしに何か用?」
自殺令嬢とやらは怪訝な面持ちで、見ようによっては不機嫌そうに問いを放った。
実際、不機嫌なのかもしれない。
「わわわわいえいえいえ何でもありませんぼく達はただ散歩していただけですあはははは」
何しろトレンドでステータスな、俺には理解が及ばない、自殺という楽しみを邪魔されたんだからな、ハッ!
「用? 身を投げるのが趣味のイカれた女に付き合うヒマなんざ、俺にはないね」
侮蔑を思いっきり塗した怒りを投げかけてやる。
後ろのアツシの顔色は、多分青ざめているだろうが知った事か。
すると、意外な反応が、アイツから返ってきた。
目を、丸くしたのだ。
憎悪を返す訳でもなく、怒りをぶつける訳でもなく、嘲りで応える訳でもなく。
ただコイツは俺の言葉に、純粋に驚いていた。
「じゃあ、どうしてこんな辺鄙なビルの最上階に来たの?」
コイツの意外な反応が、冷静さを取り戻させたのだろうか……先程の発言を、今の自身の状況と照らし合わせると、どう考えてもおかしいという結論しか出てこない事に、俺はようやく気付いた。
そもそも、俺は、コイツの自殺を止めるべくここに来たはずだ。
それがあんな発言をしては……いや、待て。
会話を向こうが続けてきたという事は、この会話に、アイツは何らかの関心を抱いたという事。なら、先程の台詞に矛盾するような発言はマズイし、間が空くのもマズイ。
「フン、イカレタ自殺令嬢のイカレタ自殺っぷりを拝んでやろうと思っただけさ」
自分でも小悪党っぽい台詞だと思えた言葉は、瞬時にしてコイツの興味を削いでしまったようだ。
俺の頭から爪先までをさっと眺め、
「そ。あたし、ウソツキは嫌いなの。それじゃあ」
アイツは背を向けて、てくてくと歩き出した。
その下に何もない、空に向かって。
「な、おい、待て!」
突然の事に、頭が回らなかった。
ただ、身体だけがかろうじて反応し、つんのめるような形で走り出した。
アイツの足が空を踏むのと同時に重心が崩れ、こちらを顧みた。
走りながら、俺は手を伸ばす。
届く訳なんて、ないのに。
それでも伸ばせば、手が届くんじゃないのかと、一縷の望みを抱いて。
それを見たアイツは……また目を丸くした。
手を伸ばす事もなく、どうしてそんな事をするの、とでも言いたげに。
制服をはためかせ、落下していく少女から……俺は、目を逸らした。