081_アレクサンダー・デーゼマンという英雄
軍務大臣は帝国軍の侵攻を防げなかったことで国王に辞表を提出したが、国王はそれを慰留した。
ハイネルト・ヒリングは軍務大臣としては凡庸だが、国王の叔父ということもあって国王への忠誠が厚い。
家柄か名声があって国王への忠誠が厚く、そして軍人たちの尊敬や信頼を集める人物でなければ軍務大臣を任せることはできない。そういった人物はそれほど多くなく、ハイネルト・ヒリングを慰留した理由もそこにあったが、もう一つ理由がある。
それは、今軍務大臣を更迭すると、他の大臣たちも同様に更迭しなければならないからだ。
軍務大臣は帝国軍の海からの来報を予想し、大臣級会議に海岸線の警戒網を築く予算を割いてほしいと諮った経緯がある。そこで大臣たちを説得できなかったのは軍務大臣の責任だが、軍務大臣の提案を一蹴した大臣たちにはさらに大きな責任があるだろう。だから軍務大臣を更迭したら、他の大臣も更迭しなければ筋が通らないのだ。
もっとも、あるていど軍の人事が落ち着いたところで、数人の大臣を勇退という形で更迭する必要はあるだろうと、国王は考えている。
逆に軍務省幹部の統括参謀長やその一派は更迭され、今回の敗戦の責任を負わされた。
海から帝国軍が襲来することを否定した事実もあって、統括参謀長を更迭するのに否定的な声は上がらなかったのだ。
もし反対すれば、その者も粛清されないとも限らない。それほど今の王国はピリピリした雰囲気が漂っている。多くの領土を奪われた以上、それも仕方がない。
これによって、軍務省の三役である軍務副大臣、統括参謀長、王国軍統括幕僚は完全に軍務大臣の親派(国王派)によって占められることになった。
アレクも終戦2カ月後の10月に少将へ昇進を果たしている。昇進が10月になったのは、准将に昇進したのが8月だったため期間を空けることになったのだ。
昇進の理由は言うまでもなく帝国軍との戦いにおいて、大きな戦功を立てたことである。もちろん、国王の意向もあるが、唯一の明るい話題を提供してくれたことが大きく取り上げられたのだ。
国王と軍務大臣、そして宰相の3人の思惑が一致し、アレクが英雄に祭り上げられたのである。元々英雄と言われていたアレクが帝国軍との戦いで大きな戦果を挙げた。国王たちはきたる失地奪還戦において、英雄アレクサンダー・デーゼマンを前面に押し立てて士気を高めるつもりなのだ。
しかし、11月になって軍務大臣が頭を抱える事態が発生したのである。
「………」
「それは……」
「なんと……」
「困ったことになりましたな……」
軍務大臣、軍務副大臣、統括参謀長、王国軍統括幕僚。軍務省の最高幹部たちが揃い頭を抱えた。
「間違いないのだな?」
軍務大臣が王国軍統括幕僚に確認する。
「間違いありません」
その言葉を聞き軍務大臣は天を仰いだ。
「なんとか慰留できないものですかな、王国軍統括幕僚」
大柄で金髪を短く切り揃えた軍務副大臣のセドリック・ミュラトールは、元々現場の人間だけあって軍人といった風貌をしている。
その軍務副大臣が王国軍統括幕僚に鋭い視線を向ける。
「何度か説得しましたが……」
「難しいということですな?」
細身の目立たない顔立ちの統括参謀長エドワール・ノヴェールは表情を表に出さない人物だが、今回は苦笑いを浮かべて確認をする。
「フォレスト・デーゼマン殿が先の戦いで矢傷を負ったのはご存じだと思います」
王国軍統括幕僚の話に3人が頷く。
「矢の刺さったのが膝の裏ということもあって歩行に支障があり、フォレスト殿は杖が必要な生活を送っております。これでは戦働きができないと、隠居を決意されたとの由」
3人がため息混じりに頷く。
「デーゼマン領は帝国に対しての最前線。当主が戦働きできないのは、問題があると……」
王国軍統括幕僚は首を横に振る。
「残念ながら領地持ち貴族の代替わりは、貴族家の問題。王家と言えどもこれを妨げることはできません」
王国軍統括幕僚の言葉に3人も頷いた。
「少将はいつ家督を継ぐことになるのだ?」
軍務大臣はできることなら2年後くらいをと願っているが……。
「数日のうちにはフォレスト殿の隠居届けと、嫡男アレクサンダー殿のデーゼマン家継承の届けが提出されることになるでしょう」
来年夏、帝国との休戦協定が失効するのを待って、失地を回復させる大攻勢を予定している王国軍である。
その主力に据えようとしていたアレクだが、デーゼマン家の家督を継いだら軍から身を引くことになる。
それが領地持ち貴族の定めである。どれほど国の重職に就いていようとも、自領の運営を優先させなければならないのだ。
大攻勢のことは極秘だったことからアレク本人も知らないことであり、知っていてもデーゼマン家が国王や軍部の思惑に配慮するかは別の問題だ。
「今からでも事情を説明して慰留してはどうですかな?」
軍務副大臣の言葉に軍務大臣も頷く。
「説明すれば慰留できるかもしれませんが、すでにデーゼマン家の内部では代替わりの準備が進んでいるはず。それに当主フォレスト殿の足が不自由ということは、戦働きに支障が出ます」
「先ほど王国軍統括幕僚が仰ったように、デーゼマン家の領地は帝国との最前線。当主の戦働きに不安があっては領民も落ち着きませんでしょうな」
王国軍統括幕僚の言葉を統括参謀長が引き継ぐ。
「難しいか……?」
軍務大臣が呻くような声を出す。
「おそらくは」
誰からともなくため息が出た。
アレクがデーゼマン家を継ぐということは、軍籍から抜けて領地に入るということだ。
これによって、国王と軍務大臣の思惑は大きく狂うことになる。軍務大臣は直ちに国王へこれを報告した。
国王の反応は軍務大臣の予想していた通りのものだった。
貴族の代替わりは国王でも妨げることはできないため、国王は苦虫を嚙み潰したような表情をする。
「なんとかならぬのか?」
「残念ながら」
国王は低い声で唸った。
「ならば軍に所属しながら領地経営をさせよ」
国王の発言に軍務大臣は首を傾げる。
「アレクサンダー・デーゼマンに対し、特例を設けよ」
「領地へ戻っても軍に所属させるというのですか」
「そうだ」
「………」
できないことはないが、今までにそのような前例はない。だから特例なのだが。
「今の我々には英雄が必要だ。英雄がいればこそ兵士は士気を高め、戦ができるのだ」
帝国軍によって領土を盗られることまで考えてアレクを英雄に仕立て上げたわけではない。しかし、今はアレクサンダー・デーゼマンという英雄がいることで、失地奪還作戦は悲観的なものではなくなっているのも事実。
「承知しました。宰相殿とも諮り最善の対応をいたします」
「うむ、それでいい」
国王は大きくて無骨な左手で髪の毛と同じ明るい茶色の髭を撫でる。その深緑色の瞳は何を考えて虚空を見つめているのか?
軍務大臣はすぐに宰相に面談を申し入れ、アレクの家督相続問題について国王の意向を伝え対応を協議する。
宰相も国王の考えに賛成し、協議は速やかに進んだ。
<<お願い>>
評価してくださると創作意欲もわきますので、評価してやってください。




