079_帝国進軍
ある王国軍兵士が後に、自分の生涯でもこの日ほど必死に走ったことはないだろうと語った。
その王国軍兵士は退役するまで40年も軍に在籍し、数多の戦場で戦いを経験した。そんな歴戦の兵士であっても、神帝歴621年8月4日は長い人生において最も命の危機を感じた日であった。
「ふっ、この剣はどれだけ敵を切っても切れ味が落ちぬ。アレクに感謝だな」
アレクが造ったマーロ合金の剣は、どれだけ帝国兵を切っても刃こぼれ一つ見せなかった。
普通なら血糊によって切れ味が落ち、敵を切ることで刃こぼれができる。しかし、マーロ合金製の剣はその輝きを失うことなく帝国兵を切り裂いていく。
「えーい、敵は少数だ。数で押し込め!」
帝国軍の前線指揮官と思われる人物の声が聞こえてくる。ずいぶん焦っているような声に、フォレストはにやりと口角を上げる。
「我は、フォレスト・デーゼマン! 命が要らぬ者はかかって参れ!」
フォレストは帝国兵を威嚇するように、戦場によく響く大きな声を出した。
鉄壁デーゼマンの名声は帝国兵なら知らない者はいない。その鉄壁デーゼマンが立ち塞がっていることで、帝国兵の士気は下がっていく。
圧倒的な数を誇る帝国軍だが、フォレストの存在感にはその数が有効に働いていないのだ。
「俺はアズール・ハンマーシュミットだ! 鉄壁デーゼマン! 俺が相手だ!」
士気が下がった帝国兵の中から躍り出てきたのは、フォレストよりもさらに大きな体をした人物であった。
「ふん、貴様のような者では相手として不足だが、余興にはいい。こい!」
「その減らず口を叩けなくしてやるぜ!」
巨大な剣を両手に持ったハンマーシュミットが突進してくるのを、フォレストは冷静に見つめる。
「はぁぁぁぁぁぁぁっ!」
ハンマーシュミットの大剣が振り下ろされる。
フォレストは左手に持った盾でその大剣を受け止めるのではなく、受け流した。
「く、生意気な!」
「甘いな」
受け流されて地面にめり込んだ大剣を引き抜こうとしたハンマーシュミットだったが、その脇腹にフォレストのマーロ合金の剣がめり込んだ。
「ぐあっ!?」
ハンマーシュミットはなんとか致命傷を免れたが、傷は深くとても戦闘を継続できる怪我ではない。
だが、ここで逃げれば鉄壁デーゼマンの名声をさらに高めるだけではなく、自分にとっては敵を前に逃げ出した汚名となる。だから、逃げることだけはできない。
「舐めるなぁぁぁぁっ!」
血を吐きながらも痛みに耐えたハンマーシュミットが、大剣を振りかぶって渾身の一撃を繰り出す。
「そんな汚い面を舐めるか!」
フォレストが右手に持ったマーロ合金製の剣を逆袈裟切りに振り上げる。
両手対片手、振り下ろし対振り上げ、どう考えてもフォレストのほうが分が悪い。だが、フォレストのマーロ合金製の剣はハンマーシュミットの大剣をいとも易々と折ってしまう。
「なっ!?」
かつてこの大剣で切り負けたことがなかったハンマーシュミットはバカ面を晒す。
「ふん!」
フォレストのマーロ合金製の剣がハンマーシュミットの胴体を切り裂く。
「ハンマーシュミットとやらを討ち取ったぞ!」
フォレストが吠えた。
この一騎打ちとフォレストのありえない戦闘力によって、帝国兵が尻込みする。
その隙はフォレストが退くだけの時間を与えることになった。
デーゼマン領でヘルネス砦から最も近いのは、かつて帝国の強襲偵察部隊によって住民が皆殺しにあったエール村である。
ヘルネス砦から撤退した王国軍はこのエール村へ辿りついたが、村を取り囲むその巨大な防壁を見て驚かされた。
「ここは、村であろう?」
「そのはずですが……」
バルマー司令官は副官のオルトマス少佐に確認するが、オルトマス少佐も困惑気味である。
なんとかエール村の防壁内へ入った王国軍は4500人ほどで、兵士たちの顔は憔悴しきっていた。
ヘルネス砦を出る時は6000人がいたが、多くは討死したのかもしれない。ただ、中には逃げ出した者もいるとバルマー司令官は考えている。
事実、1500人の半数ほどの兵が逃げ出していて、自分たちの故郷へ向かったり独自に帝国軍から逃げたりしている。
「失礼。某はこの村の村長を務めている者ですが、我らの殿はどちらにおいでですかな?」
バルマー司令官とオルトマス少佐に声をかけたのは、獣人種犬族の老人で村長のバストム。
「デーゼマン殿は殿を務められている」
バルマー司令官が申しわけなさそうに答えた。
「殿ですか……」
バストムは杖を突きながら2、3歩歩き、王国軍兵士を受け入れて閉まる途中の門を見つめた。
その時であった、門の上にいる者がまだ王国兵がいると声をあげたのだ。
門は再び開き始め、残っていた王国兵をその中に入れる。
「殿!?」
門をくぐってくるのはデーゼマン家の兵士であり、アースリザードに跨ったフォレストの姿が見えた。
「ん、殿がアースリザードの後部に?」
フォレストは常に1人でアースリザードを駆っていた。それなのに副官のガブリオ・ボールニクスの後ろに乗っているので、バストムは妙な違和感を覚えた。
杖を突きフォレストへ近寄ると、全身に赤黒い血糊をつけたフォレストがガブリオの手を借りてアースリザードから降りるところであった。
その光景を見てバストムは、フォレストが怪我をしたのだと悟った。
「殿、お怪我を?」
「おお、バストムか。ははは、抜かったわ、撤退途中に流れ矢が膝の後ろに当たってしまった」
運がなかったと言えばそうなのだが、撤退途中に鎧で守ることができない膝の後ろに矢を受けてしまった。
フォレストは大したことはないと言うが、ガブリオの肩を借りなければ歩くことさえできないその光景は、鉄壁デーゼマンほどの人物であっても怪我をするのだという印象を兵士に与えてしまったのだ。
「すぐにエリザベート様のところに」
「む、エリーがきているのか?」
「はい。こちらへ」
バストムが先導し、ガブリオに肩を借りてフォレストはエリーが治療を行っている建物へ入った。
「お父さん!?」
エリーが悲鳴をあげた。
「大丈夫だ。大した傷ではない」
だが、ガブリオに肩を借りなければ歩けないのだから、その姿は痛々しい。
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