072_帝国進軍
神帝歴620年9月某日。
ソウテイ王国とテルメール帝国の国境を守るヘルネス砦からもたらされた情報を重く見た軍務大臣ハイネルト・ヒリングは、王都の主要幹部を集めて臨時会議を開いた。
内容はデーゼマン家が6月に得ていたものと同じで、帝国南部方面軍の多くが北に向かったというものだ。
「帝国が我が国の国境付近の軍を退去させたのであれば、何も問題ないのでは?」
このような楽観的な考えの者は、意外に多い。
当然のことだが、軍務大臣もただ軍事力の縮小をしたのであればそれに越したことはないと思っているが、あの帝国がそのようなことをするとはとうてい思えない。
もし軍事力を縮小するのであれば、先の敗戦時にそれをやっていたはずだし2年間の停戦協定中に行って停戦協定を終戦協定に変更する交渉があって当然だ。
だが、停戦協定が失効した今になってそれを行うのは明らかにおかしな話であり、帝国から王国に対してなんのアクションもない。
そういったことから楽観視するよりも警戒するべきだと軍務大臣は考えている。
テルメール帝国は南にソウテイ王国、南西にゼント共和国、西にアトモス皇国、北西にケルザン国を中心にした小国連合といった敵国があり、隣接する国は全て敵国という状況だ。
それでも戦線を維持するだけの生産力と軍事力を有していて、ソウテイ王国は、これらの国と軍事同盟ではないが、連携してテルメール帝国に当たる約束をしている。
帝国南部方面軍の規模が縮小されると、他の国へ向けられる軍事力が増強される可能性が出てくる。
他国へ軍事力が向けられた場合、ソウテイ王国としてもテルメール帝国へ軍を進め、他の国を援護する必要がある。他の国が落ちれば、分散していたテルメール帝国の強大な軍事力がソウテイ王国に向く可能性があるため、なんとしてもこれを防がなければならない。
「軍事力が縮小されたことは何かの前兆であると考えるべきである。その考えのうえで、諸侯に聞く。帝国は何を考えているのか?」
集まった軍幹部と軍務省幹部は押し黙った。ここで自分の意見を発表するのは簡単だが、その意見が見当ハズレだったら恥をかく。だが、発言しないと無能と思われる。
上位の幹部たちは脳をフル活用すると共に、誰か意見を言えよとお互いを牽制し合う。
この会議室は軍部でも准将以上の将官しか出席できないのだが、その末席には本来いるはずのない大佐のアレクもいる。
アレクがこの場にいるのは、新設された王都特機駐屯地の司令官だからである。階級よりも役職のほうが優先されてアレクはここにいるのである。
アレクも他の幹部たちと同じように脳をフル活用しているかと言えば、そうではない。
王都特機駐屯地の司令官といっても、大佐であり若輩者のアレクが発言することなどありえないからだ。だから気配を薄くして空気になっている。
「統括参謀長、意見を聞きたい」
軍務大臣が指名した統括参謀長は軍務副大臣と王国軍統括幕僚に並ぶ軍務省の三役の1つであり、参謀本部を従える作戦立案のトップである。
その統括参謀長が敵の動きを把握して動きの目的を分析するのは当然のことである。そのため、軍務大臣は統括参謀長を指名したのだが、実を言うとこの統括参謀長は反軍務大臣派でもある。
もしここで統括参謀長の意見が見当違いなことであれば、軍務大臣はそれを理由に統括参謀長を罷免しようと考えているのだ。
理由はどうあれ、こういった敵国の動きを分析するのは参謀本部のトップとして当たり前のことなので、統括参謀長としてはできるだけ当たり障りのない意見を言わなければならない。
「情報が少なすぎてまだ明確な判断ができませんが、停戦協定が明けてからのこの動きは明らかに不自然。警戒するべきでしょう」
統括参謀長は極めて無難に答えた。
「情報が少ないのであれば、情報を集めたまえ。それをするのも参謀本部の職務であろう」
軍部には情報収集をする3つの部署が存在するが、そのうちの2つは公にされておらず、公になっているのは参謀本部内にある部署である。
だから軍務副大臣が指摘したように、参謀本部に情報収集の責任があるのは正論である。
「時間をいただきたい」
「どれほどの時間がかかるのですかな? 3年前のように帝国が軍を準備していたにも関わらず侵攻の準備段階の情報がまったく掴めていないというのであれば、話になりませぬぞ」
軍部の重鎮であるボリス・ワーレン上級大将は、人種差別のないソウテイ王国でも珍しい妖精種風族である。
美しい銀色の髪の毛を肩下に伸ばしたワーレン上級大将はすでに100歳を超えているが、その容姿は若々しい20歳のそれである。
ワーレン上級大将は軍を指揮してよし魔法を使ってよしの良将として国内外に名声を轟かせており、今は王都周辺の防衛を任されている。
そのワーレン上級大将が指摘したのは、帝国軍が森を抜けてデーゼマン領へ侵攻すると共にヘルネス砦へも軍を進めた件である。
あの時は、デーゼマン家より情報がもたらされていたにも関わらず、参謀本部はそのような事実はないとしてデーゼマン家の情報を否定した。結局、帝国軍の進軍があって軍部は面目を潰す羽目になった。
「情報部の人員を最大限活用して帝国南部方面軍の動向を確認します」
いつまでと期限を切ると自分の首を絞めることになることを統括参謀長は知っている。だからと言ってこのような曖昧な答えで幹部たちが納得しないことも知っている。
「話になりませんぞ。参謀本部は組織としての体を為していないというのが、よく分かりもうした」
話に入ってきたのは、茶色の髪の毛をドレッドヘアにしている妖精種山族のガハルト・バルデン大将である。
ワーレン上級大将が統括指揮する三軍の一軍を指揮しているが、普段はワーレン上級大将と意見が合わず一線を引いている人物だ。
そのバルデン大将がワーレン上級大将の意見に乗るのは非常に珍しいことである。それほどに今の参謀本部は組織力が脆弱になっていて、軍上層部は危機感を持っているのだ。
「失礼ではないか、バルデン大将」
バルデン大将の言葉に統括参謀長は嫌悪感を露わにする。
「はて、ワシが何か失礼なことを言ったか?」
当のバルデン大将は統括参謀長の言葉をまったく意に介していない。
だが、失態続きの参謀本部を立て直すこともできない統括参謀長への風当たりは強く、バルデン大将だけではなく他の幹部たちもワーレン上級大将やバルデン大将に呼応して統括参謀長を責めた。
そんな中にあってアレクは、身を小さくして自分なりに考えを巡らせている。
元々、数カ月前にその情報を得ていたアレクはすぐに舅であるステイラム・オイゲンス王国軍統括幕僚を通して情報を軍務大臣に上げていた。
そのため、考えをまとめる時間はそれなりにあった。そんなアレクだが、帝国南部方面軍の思惑を測りかねているのが実情だ。
出席者全員に発言権があるが、そんな名目上のことを本気にして意見を言うほどアレクもバカではないので、会議の進行とは関係なく思考の海に潜ることができるのだ。
そんなアレクが気になったのは、帝国南部方面軍が北へ向かったということだ。今の帝国が北へ軍を動かすのは明らかにおかしいのだ。
現在、帝国が交戦状態にあるのはソウテイ王国の他に、ゼント共和国、アトモス皇国、小国連合だが、それらの国々は基本的に西か南にあって、北に帝国の敵はいない。
もちろん、北に向かってから西へ転進することは十分に考えられる。
ここでアレクはあることに思い当たった。それは海である。
ただし、帝国も王国も海軍は脆弱でアレクの記憶では、海上からの侵攻はこの70年ほどはない。
もし、帝国が海軍に力を入れたら、その軍の向かう先は当然のごとくこのソウテイ王国だろう。
なんと言っても、王国の海軍は形だけだし、海に面している町や漁港は大した防御力を備えていない。
もしアレクが帝国軍を指揮する立場であれば、なんの対策もされていない海から侵攻すると結論づけた。だが、そのことをこの場で発言するのは、立場上憚られる。会議後にオイゲンス王国軍統括幕僚に相談することにした。
結局、今回の会議は情報を集めるということでお開きになった。
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