046_それぞれの思惑
神帝暦618年5月。
クリスと結婚したいザクルはデーゼマン家の仕事を手伝うためにヘリオへ赴いていた。
しかし元々商人の素質がなかったので鍛冶師となったザクルは、与えられた仕事に冷や汗をかきながら取り組んでいた。
まず彼が最初に取り組んだ仕事はデーゼマン家の財政の柱の一つである薬の帳簿作成である。
薬は月に4回の出荷をしているが、収支報告書は月に1回作成しなければならない。
そればかりではなく、開墾状況についての定期報告書も作成しなければならないのだ。
商人の息子だが計算が苦手な彼にとって、非常に難しい仕事になっている。
さらに報告書を作成しても計算が間違っているとクリスに指摘され何度もやり直しになる始末である。
「はぁ、俺ってダメだよな……」
「何をそんなに落ち込んでいるのですか?」
田んぼの畔で肩を落として落ち込んでいたザクルだったが、後ろに誰かがいるとは思わなかったのでビクッと肩を震わせる。
「あ、アレクサンダー様……」
「僕のことはアレクと呼んでくださいと何度も言っているのに」
「貴族家の次期当主様にそのようなことは言えません……」
計算は苦手でも世の中の身分制度については知っている。
「いずれは義理の弟になるのですから気にしなくても」
「そうでしょうか……。私に貴族様の仕事は向きません。私にできることは鍛冶だけなんです……」
計算の苦手なザクルが何度も失敗していることはアレクの耳にも入っていた。
気の毒だとは思うが、間違いをよしとするわけにはいかない。
特にクリスはそういうことに厳しいのだ。
「そうだ! マリアに計算が上達する方法を聞いてみたらどうかな? マリアなら何とかしてくれるかも」
「マリア様にですか? ……そうですね、聞いてみます」
とぼとぼと屋敷の方に歩いていくザクルの後姿に、悲哀を感じるのはアレクだけではないだろう。
翌日、ザクルの机の上には、クリスからダメ出しをされて返却された書類が積まれていた。
「計算は楽しくすれば向上する」
マリアはザクルに計算を教え込む。
ザクルはマリアに教えてもらうとなぜか計算の仕方が分かり、上達していくのが分かった。
「うん、いい感じ。今の計算のしかたを忘れないこと」
「はい! マリア様、ありがとうございます!」
「クリス姉さまは仕事ができる、できない、を見ているわけじゃないと思う。ザクルさんの努力を見ているはず。がんばって」
「そ、そうなのかな……?」
珍しくマリアが温かい言葉を言った。
そんな励ましを受けながら、何とか書類を仕上げたザクルはクリスの元を訪れる。
そこにはフォレストとアレクもいた。
「がんばっているようだな」
「能力もない私にはがんばることしかできませんので」
卑屈に答えるその姿を見てフォレストは昔の自分を見ているようだった。
「クリス、そろそろ1カ月になる。結論は出ているのか?」
ザクルがいるというのにフォレストはクリスにどうするのか聞く。
当のザクルはクリスにいいところを見せていないので、どう考えても婿にはなれないだろうと考えていた。
アレクはそんなザクルの胸の内が理解できたので、クリスの決断がよいものであることを祈った。
「ええ、もう決めています」
「そうか、ならば聞かせてくれるか?」
「お父様、このような話は先ず本人であるザクル殿にするものですよ」
「む、う~ん。分かった」
「だったら今から2人で町の視察にでもいってきたらどう?」
「そうだな、アレクの言う通りだ。クリスとザクルの2人で視察にいってくるといい!」
父親としては長女の婚姻話なので気が気ではない。
フォレストは実直な性格のザクルのことを気に入っているので婿になってくれればと思っているのだ。
クリスとザクルはフォレストに追い立てられるようにして視察に向かうことになった。
「………」
「………」
デーゼマン家がヘリオを治めるようになってから1年、町は確実に発展しているし人口も増えている。
町は人口が増えると共に大きくなっていき、入町した当初に比べようもなく活気がある。
クリスは視察に必要なことを話し、ザクルはクリスに頷くばかりだ。
今、一番話さなければならない話が話題に出ない。
知り合いの商人などに会えば気さくに話をするクリスだが、ザクルとは一度も視線を合わすことはしなかった。
ザクルは予想していたが、クリスに認められなかったのだと実感しながら、しょんぼりとクリスの後を歩く。
「何をしているのですか?」
「あ、いえ、何も……」
町人から見たらクリスと従者が歩いているように見えるだろう。
ちなみに、この国では騎士や軍人に従う者を従士と呼び、貴族や文官に従う者を従者と呼ぶ。
フォレストの場合は騎士であり貴族であるのでどちらでもいいのだが、騎士時代のなごりで従士と呼んでいるが、クリスの場合は従者である。
アレクの場合も微妙なところで国王より騎士号が贈られているが、アレクの本質は魔術士なので従者の方が正しいのかもしれない。
「私の前を歩いて下さい」
「……はい」
しょんぼりと背中を丸めてクリスの前を歩くザクルを見てクリスはイラつく。
「はぁ、もっと胸を張って歩いて下さい」
「は、はあ……こうですか?」
「私が夫を虐げているように見えて外聞が悪いですから、もっと胸を張ってください」
「はい……え? 夫? ……」
ザクルは立ち止まって振り向く。
クリスは真っ赤な顔をザクルから背ける。
それが夕陽の光によるものなのか、それとも……言うまでもないだろう。
「アムンゼンで初めて会った時の言葉をもう一度仰って下さい……」
「え? え? ……あ、あの……」
「あの言葉は嘘だったのですか?」
「そ、そんなことはありません! 私はクリスティーナ様と結婚したいです! 貴方を初めて見た時から恋焦がれて夜も眠れません!」
「はい、末永く……宜しくお願いします」
その言葉を聞いたザクルがクリスを抱き上げて嬉しさを表現する。
「おおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
いつの間にか集まってきていた家臣と町人たちが、ザクルのプロポーズとクリスの了承の言葉を聞き歓声をあげる。
いつもは冷静なクリスも今回ばかりは周囲を気にする余裕もなかったようで、公衆の面前でこのような話をしてしまったのだ。
その公衆の中にはフォレストやアレク、その他のデーゼマン家の者が混じっていたのは言うまでもないだろう。
数日後にはサンダーラがヘリオにやってきて2人の婚約を喜んだ。
「いや~こんな不器用な男ですから、クリス様の夫になどなれないと最初から諦めていたのです。嬉しい限りです!」
サンダーラはよくやったと何度も、何度もザクルを褒めた。
クリスとザクルの婚約はすぐに発表となった。
ザクルが平民ということもあり結婚式も急ピッチで準備された。
ただ残念ながらクリスは近々王都へいく用事があるため、王都に旅立つ前に身内だけで結婚式を済ますことになった。
「結婚早々、別居になって済まないが、1、2カ月のことだから我慢してくれ」
「お気遣いいただき、ありがとうございます。クリスティーナ様が王都に行っている間に私は鍛冶工房の準備をさせていただきますので、お気になさらないで下さい」
クリスは最初っからザクルが政務に向いていないことは分かっていた。
だから結婚しても政務に携わらせるつもりはなかったのだ。
クリスのために我慢できるのかを見極めるためと、ザクルの人柄を見るために政務を手伝わせていたのである。
元々、鍛冶工房を開くためにザクルはアムンゼンに帰ってきたのだから、結婚しても鍛冶師をすればよいと考えているのであった。
デーゼマン家には幸いなことにアレクという跡取りがいるので、娘たちの結婚相手として貴族には拘らなくてもよい。
また、フォレストはそうでもないが、一族の長老であるカーシャはクリスをはじめとして、エリー、ロア、マリアを他の貴族家へ嫁がせる気はなかった。
「こんな優秀な娘たちを、他の家にやるなんてもったいないじゃないか」
とカーシャは4人の孫娘たちには婿をとるようにと、フォレストたちに言い聞かせているのだ。
ザクルはクリスと結婚をしたらデーゼマン家の分家となることが決まった。
ザクルは三男なのでサンダーラもフリンムリン姓には拘っていないことから、すんなりと分家の話は決まった。
ザクルには新しい家名を与え、デーゼマン家の分家として十三等勲民になる。
十三等勲民は正騎士になった者の最初の位階であり、ザクルはデーゼマン家の騎士として家名が与えられるのだ。
騎士号は十等勲民以上の貴族であれば贈ることができるのだ。
「2人に与える家名はゼンバーだ」
フォレストがクリスとザクルにゼンバー姓を与えると発表した。
「ゼンバーはフォレストの父親の姓だよ。大事におし」
カーシャは簡単に言うが、それはカーシャの夫の姓である。
まだカーシャが駆け出しの薬師だった頃に出会い夫婦となったが、フォレストが生まれてすぐに戦死してしまった。
その姓を分家には名乗ってほしいとフォレストがカーシャに了承を得て用意したのだ。
婚約発表の後、クリスが王都に出発する2日前。
クリスとザクルの結婚式が執り行われた。
デーゼマン家の屋敷で身内だけの式だったが、領民も大いに祝福してくれた。
ヘリオの町中ではいくつもの屋台が出て盛り上がり、デーゼマン家からは領民たちに酒が振舞われお祭り騒ぎとなったのである。




