044_それぞれの思惑
万全の準備をして仕かけた戦だった。
しかし、思惑とはまったく違った結果が報告されてから数カ月。
森を越えた部隊は壊滅的損害を出し、ヘルネス砦を包囲していた部隊も大きな被害を出した。
しかも、指揮権を与えた子飼いの将軍が捕虜になるという最悪の結果である。
テルメール帝国の南方方面軍を預かるウインドス・フォン・オードストロフ侯爵は、髪の毛と同じ金色の立派な髭を撫でて会議室の窓から見える葉の生い茂った樹木を見つめる。
「森を抜ける案は悪くなかった。しかし森を抜けた先の町があり得ないほどの防御力と戦闘力を持っていた。その情報を取得できていなかったのが敗因だな」
「しかし、町の防御はたいしたものではなかったはずです。3回の偵察でも騎馬隊は屈強でしたが、数は少なく町も木の塀だったはずです!」
オードストロフ侯爵と同じ金色の髪の毛に美しいエメラルドグリーンの眼を持ったこの若者は、オードストロフ侯爵の嫡子であるカールである。
このカールは武人としては父オードストロフ侯爵を越えたと言われているが、若いせいか好戦的な性格なのが玉に瑕である。
この性格のせいで小隊長までならいいが、将軍にはできないとオードストロフ侯爵は考えていた。
そんなカールの言葉はオードストロフ侯爵も知っていることだ。
「威力偵察部隊で捕虜になった8人の誰かが漏らしたのやもしれませぬな。それとも他のルートから漏れたか。情報漏洩は問題ですが、たった5カ月で町に防壁を築くその生産力が気になりますな」
白髪頭の男性はロベルト・フォン・バルゼン伯爵である。
帝国軍南方方面軍の参謀長の職に就いている62歳の老人だが、好々爺のような風貌に反して視線だけは鋭い。
「ふん、侵攻される方向だけに急遽防壁を造ったのであろう」
カールは面白くなさそうに言い捨てた。
「カール殿。帰還した兵によれば、強固な防壁が町を取り囲んでいたとのことですぞ」
「たった1日やそこらで逃げ帰ってきた兵の言うことなど信用できるか。どうせ処分されるのが嫌で出まかせを言っているだけだ」
さらにカールは吐き捨てた。
「なるほど、カール殿はご自分が率いるべき兵が信用できないわけですな」
参謀長は鋭い視線をカールに向ける。
カールの階級は中尉であり、役職は小隊長だ。
才能はともかく、家柄でいえば将来南方方面軍の司令官職に就く可能性もある。
その相手にこういった苦言や皮肉が言えるのは最古参であり、参謀長であるバルゼンだけである。
「なっ!? そんなことを言っているのではない!」
「兵が出まかせの報告をしたと仰ったのはカール殿ですぞ?」
「くっ!?」
百戦錬磨の参謀長とひよっこのカールでは口論にもならない。
「カール殿、落ちつかれませ。参謀長殿も口を慎みなされ」
間に入ったのはアーベン・フォン・ヒーバス男爵だ。
ヒーバス男爵は次席参謀の職に就く38歳の軍人だが、その大きなお腹からはとても軍人には見えない。
だが、この諫め方は明らかにカールが上だと言っているのが分かる。それがバルゼン参謀長には気に食わず、視線鋭く次席参謀を見た。
「ヒーバス次席参謀は何か勘違いをされているようだ」
バルゼン参謀長が首を振る。
「と、言いますと?」
「この場になぜカール殿がいるのだ? カール殿はいったいなんだ?」
「………」
会議室内に緊張が走った。
そもそもここの会議は方面軍の首脳陣が集まる場である。
そこにいち小隊長でしかないカールが出席して、あまつさえ我が物顔で発言することはあり得ないことだ。
まったく軍の規律というものを無視しているのである。
「バルゼン殿は私がいるのがそんなに不満か!?」
声を荒げるカールだが、バルゼン参謀長はさらに首を振る。
「カール殿は何を勘違いしておられるのか某には理解できぬが、この場は幹部が集まる場ですぞ。カール殿は何をもってこの場に出席して発言をされているのか?」
軍の階級は中尉で、役職も小隊長であるカールが幹部なわけがない。
カールは南方方面軍司令官の護衛任務でこの場にいるのであって、カールは出席者ではない。
「なっ!?」
「カール、下がれ」
これまでカールとバルゼン参謀長のやり取りを静観していたオードストロフ侯爵が口を開いた。
「父上!?」
「下がれと言っているのだ」
「………」
カールは歯をギリギリと噛みバルゼン参謀長を睨みつけた。
バルゼン参謀長はそんな視線を何処吹く風である。
長年軍に在籍して、何度も死にかけた経験のあるバルゼン参謀長である。ひよっこのカールがどんなに睨んでも怯むことはない。
カールが会議室を出ていき、会議室内を静寂が支配する。
「皆、カールがすまなかった」
参謀長は副司令官や編成部長と同列の三役の1つで、総司令官に次ぐ役職だ。
そして、この場は貴族の屋敷ではなく、南方方面軍の総司令部内にある会議室である。
貴族の位階と軍の階級では、軍の階級が優先されるのが帝国の身分制度である。
オードストロフ侯爵の護衛として会議室に入ってきた息子のカールだが、護衛に発言権などあるわけないのだ。
それを正したバルゼン参謀長が正しいのであって、発言したカールが悪いのである。本来であれば厳罰に処せられてもおかしくない行為だが、父親が司令官のため見逃されている。
そのことから司令官のオードストロフ侯爵はそこまで要求されることはないが、この場を収めるために詫びたのである。
幹部たちはオードストロフ侯爵の詫びにあたふたしたが、当のバルゼン参謀長は当然と言わんばかりの表情をして飄々としている。
場が収まって、会議が再開される。
「閣下、あの町は放置なさいませ。森を通らねばあの町には意味はありません」
そう提案したのはバルゼン参謀長である。
「参謀長は作戦前も森を抜ける案には反対であったな」
「はい。森を抜けなくとも、全軍をもってヘルネス砦を攻めればよろしいのです」
バルゼン参謀長の主張は終始一貫している。
魔除香なるアイテムに頼って森を抜けなくても、南方方面軍の全兵力である4万人の兵をもってヘルネス砦を攻めるのが一番効果的であるというのがバルゼン参謀長の主張である。
「魔徐香があり魔物との戦闘がなくても森の行軍はそれだけで兵が疲弊します。武具を軽装にしなければならぬうえ、食料を大量に抱えていけるわけもなく、輜重部隊も送れないのであれば森を通る兵は引き返せない特攻兵となってしまう。それは今回の件でご理解いただけたと存じ上げます」
「だから森の先で村なり集落なりを攻めて、食料を確保させようという作戦だったのではないですか」
ヒーバス次席参謀の言葉にバルゼン参謀長は首を横に振る。
その仕草がヒーバス次席参謀には不快なものだった。
「次席参謀、偵察部隊によってもたらされた情報がいつまでも新鮮だと思わぬことだ。情報は生き物である。今回の件がいい例となろう」
最後に送った威力偵察部隊員が戻ってきたのは、作戦開始の5カ月も前の話である。
それに威力偵察部隊が壊滅して情報が漏れた可能性も考えられる。
そんな中で作戦を決行したことがバルゼン参謀長は気に入らなかったのである。
それを主導したヒーバス次席参謀の浅はかさに腹が立ってならないのだ。
「今度は偵察部隊を直前に送ればよろしかろう」
「情報を集めていかがいたすのだ? 軽装とはいえ1000の兵をたった1日で全滅に追い込んだ町があるのだぞ?」
バルゼン参謀長は呆れながらも表情に出すことはない。
森を通る作戦は奇策だからまだ見るべき点があったのだ。
それが、奇策ではなくなった今、森を通ることになんのメリットも感じない。
「1000で足りなければ2000でも3000でも送り込めばよろしかろう」
「魔除香を大量に用意する費用を兵の増員に使ったほうがよっぽどよろしかろう」
魔除香はゼント共和国で最近販売され出したもので、たまたま手に入れた次席参謀が魔除香を使った作戦を立案したものだった。
しかし、魔除香は非常に高価なもので、これを大量に購入する資金は莫大となる。
金をかけるなら兵の増員と武装強化、それに攻城兵器の開発生産費に注ぎ込むほうがよほど生産的だとバルゼン参謀長は主張しているのである。
参謀長がこの考えから一歩も引く気がないのは誰にでも分かった。
結局、会議は何も決まらずに終了した。
停戦協定は2年間もあるので、まだ余裕があると皆が考えている中、バルゼン参謀長は次の一手をすでに考えている。
しかし、森を抜けて進軍する案が根強くあり、思うようにはいかなかった。
これもカールとヒーバス次席参謀が森を抜ける案を強く推したからである。
そして、今でも森からの進軍に拘っているからだ。
このままではダメだとバルゼン参謀長は打開策を実行に移す決意をした。




