043_それぞれの思惑
神帝暦618年4月。
春らしい陽気のある日、エリーは双子の妹であるロアと弟のフリオを連れて森の中に入った。
森には薬草が豊富にあって、エリーにとっては宝箱のようなものである。
しかし森には危険な魔物や動物が多く生息しているので、残念ながらエリー1人では入ることができないのだ。
そのために弓の名手であるロアと槍の名手であるフリオを護衛として連れてきているのである。
「エリー、見ろ! イノシシが獲れたぞ!」
護衛なのに魔物や動物を狩るのに夢中のロアを見ると、エリーはため息が出た。
「ロア姉さんはあれでちゃんと護衛をしているから安心していいよ。それに僕もいるから」
「ありがとうね、フリオ」
周囲にいる魔物や動物をエリーに近づく前にロアが狩り、もしロアの警戒網を掻い潜ってエリーに近づくものがいれば、フリオが自慢の槍の錆にするのだ。
もっとも、未だにロアの警戒網を掻い潜ってきたものはいない。
しばらく歩くと森の雰囲気が変わった。
この変化は魔力の濃淡によるもので、ここから奥は魔物ばかりのエリアとなる。
魔物は魔力の濃い場所に好んで生息していることが多いが、魔力の濃い場所には特殊な薬草が育つためエリーはずんずんと奥へ入っていく。
「止まって!」
いつの間にかエリーとフリオの後方に現れたロアが2人を止める。
「フリオ!」
「うん!」
その瞬間、大木を削るような音と共に黒い影が現れた。巨大な影である。
「大熊か!?」
この森に生息している魔物の中ではかなり大型の魔物だ。
2本の後ろ足で立ち上がれば6メートルはあるだろう巨体から繰り出される前足の一撃は大木をもへし折るほどだ。
「グラァァァァァァッ!」
獲物を見つけた大熊は嬉しそうに咆哮をあげた。
その咆哮にエリーは体を硬直させ、持っていた薬草の入った籠を落とした。
しかしその咆哮を聞いてもいつも通りに動けるのがロアとフリオである。
大熊の咆哮が止む前にロアが放った矢が大熊の喉に突き刺さった。
「ちっ、外した!」
矢はギリギリ急所を外れたので大熊は即死を免れたが、その痛みに怒り狂った。
ロアにしては珍しいことであり、もしかしたらわずかに咆哮の効果があったのかもしれない。
エリーは死にそうなほどの恐怖をその身に受けていた。
ロアとフリオがいれば安全だと思っていても怖いものは怖いのである。
そしてあんなに大きな熊が相手だとロアやフリオが強くても勝てないのではないか、そんな不安が頭の中に渦巻いた。
「はぁーーーっ!」
フリオが果敢にも大熊に走り寄り自慢の槍で突きを放つ。
右手のスナップを利かせて回転させた槍は大熊の腹部にしっかりと突き刺さった。
大熊は腹部の痛みを堪え怒りを込めて右前足の薙ぎ払いを繰り出そうとした。
フリオの槍は大熊の腹部に刺さり、筋肉の収縮によって槍を抜くことができないはずだった。
しかしフリオは刺した時とは逆に回転させた槍を力任せに抜き去ったのだ。
「グロォォォォォォッ!」
刺された時よりも抜かれた時の方が痛かったのか、大熊は後ろ足で立つのを止めて4本足になると、軽やかにバックステップをするフリオ目がけて猛突進する。
フリオが大熊の突進をひらりと躱すと同時に大熊の右目に矢が刺さった。
「グロォォォォォォッ!」
大熊はまるでこの世の終わりのような咆哮をあげた。
大熊の不幸はロアとフリオの2人がいる場に現れたことだろう。
もし1人であれば生きていられる時間はもう少し長かったはずだ。といっても数分の差でしかないと思われるが。
「はぁぁぁぁぁっ!」
フリオの必殺の槍が大熊の首に突き刺さる。
突き刺さった槍をさらにねじ込むと大熊の太い首を貫通した。
そこで終わらないのがフリオである。
槍を引き戻さずに両手で槍を力任せに振り回すと、大熊の巨体が宙に浮いたのである。
これに驚いた大熊はじたばたと4本の足を動かすが、フリオはお構いなしに大熊の首に刺さった槍を振り切った。
宙を飛んでいく大熊の首から槍が抜け、大量の血が飛び散って周囲の樹木を赤く彩る。
数メートルも投げ飛ばされた大熊は恐怖した。
今までは常に自分が狩る側だったのに、今は狩られる側になったのだと、本能で理解したのだ。
生まれて初めて感じる恐怖によって体が動かない。
そんな大熊の眉間、残っていた左目、そして僅かに開いていた口から喉に突き刺さる矢。ロアの連射だ。
この3本の矢がトドメとなり大熊は息絶えた。
「ロア姉さんにいいところを持っていかれた~」
「こういうのは早い者勝ちなのよ~」
2人の前になす術もなく倒された大熊の死体を見て、普通の者であれば呆然自失であっただろう。
しかし、エリーは脳筋姉弟の姉である。
「ロア、フリオ、熊の手と肝は薬になるからすぐに解体しましょう!」
薬になる部位の採取を2人に指示するのだった。
恐怖で体が動かなかったことは遠い昔のようだ。
屋敷に帰ったエリーは森での収穫をカーシャに報告する。
「ほう、魔力草もあったのかい」
「群生地を見つけたから定期的に採取できると思うわ」
「それはいいねぇ。採りつくさないように気をつけるんだよ」
魔力草は薬の効果を高める薬草である。
王都付近では採取できず、滅多に手に入らなかった薬草が採取できたのは嬉しい誤算である。
危険な森ではあるが、魔力草の群生地を見つけられたのはエリーにとって僥倖であり、他にも珍しい薬草があるかもしれないと、これからの探索にも期待が持てる。
「大熊の手に肝もあるね。大丈夫だったかい?」
「はい、ロアとフリオがあっという間に倒してくれました」
「ああ、あの2人と一緒にいったんだったね」
ロアとフリオの名を聞いて妙に納得するカーシャだった。
しかしそれはカーシャだけではなく、デーゼマン家の者であれば誰でも思うことであろう。
その日の夕食は熊肉尽くしだった。
大熊の肉は無料で町中に振舞われ、広場では祭りのような賑わいを見せた。
「こりゃ~美味い! 歯ごたえがあるけど薄く切られているので丁度よい弾力だ~」
「本当だよ、シシ肉よりも濃厚な味だよ~」
人々は嬉しそうに熊肉を食べていく。そこに酒が入るので自然と踊り出す者が出る。
そうなると囃子が奏でられて、祭りの様相を呈す。
最近は獣人種の姿が多く見られるヘリオだが、森で助けた獣人の多くは帝国軍によって滅んだ開拓村があった場所に移り住んでいる。
しかし、自然と獣人種が増えているというわけではない。デーゼマン家は獣人種を保護しているという噂がまことしやかに流れていて、王国中や隣国のゼント共和国から移り住んでくる獣人種が増えているのである。
ソウテイ王国では人種差別は少ないが、まったくないわけではない。
貴族にも獣人種や妖精種が多くいるが、やはり人間種よりも冷遇されているのは事実なのだ。
なぜなら、このソウテイ王国の王家が人間種だからである。
獣人種や大量に増えた奴隷が一緒になって踊り出す。
デーゼマン家の領地では人種による差別はないし、奴隷でも腹いっぱい食べることができ凍えることもない。
それが差別された経験のある人々を呼び込むのだった。
「ご領主様、ありがとうございます! 美味い肉に美味い酒、天国にいるようです!」
「皆、お代わりもあるからたくさん食べてくれ!」
「はい!」
すでにヘリオの人々はデーゼマン家の支配を完全に受け入れている。
こうして美味い食べ物や酒を腹いっぱい口にすることができるようになったのもあるが、デーゼマン家は戦に強いからだ。
領民としては、これ以上ないほどの領主である。
しかし楽しそうな領民たちから少し離れた一角では剣呑な雰囲気を出している人物がいた。
「いくら何でも大熊を釣り上げて投げ飛ばしたらこうなるのは当然だよね? 分からなかったのかな?」
「ご、ごめんよ、兄さん……」
「もう、フリオ用に特別に造った槍なのに……」
フリオの愛用している槍はマリアが厳選した素材を元に、アレクが土魔術を駆使して造り上げた非常に硬いマーロ合金の槍だ。
アレクはマーロ合金を造り出すのに何カ月もかかったのを思い出した。
毎日ヘロヘロになるまで魔力を消費してやっと造り上げた伝説的な合金である。
そんなマーロ合金でも重量が5トン以上もある大熊を投げ飛ばせば曲がってしまうのは当然だ。
むしろ、折れなかっただけも素晴らしいと褒めることができるだろう。
「罰として当面は木の棒で我慢するように!」
「え~、そんな~」
「そんな~じゃない! このマーロ合金を加工するのにどれだけ苦労したか、分かる!?」
過去の賢者が最初に造った特殊な合金で、加工するだけでもとてつもない集中力と魔力量が必要になる。
わずかな歪みを直すにもとても苦労する合金なのだ。
この合金の加工をするよりも防壁を造っていた方がよほど楽なので、アレクの怒りは納得できるものがある。
「これに懲りたら次からは大熊を串刺しにして投げないこと!」
「……はい」
しょんぼりと返事をするフリオはやはり弟であった。
武においてはフォレストやリーリアに匹敵し、あと数年もすれば2人を超えるだろうと言われていてもアレクにとっては弟なのだ。
「アレク、私の弓も強化して!」
「ロア姉さんの弓を? いいけど、マリアに相談するね」
「お願いね!」
大熊に刺さった矢が思った以上に浅かったのを見たロアも威力アップをアレクに要望する。
今現在使っている弓もロア用にかなり強化されているが、それでも威力が足りない獲物が森にはいるのである。




