019_帝国の陰
神帝暦617年6月。
「皆さん、おはようございます。僕はアレクサンダー・デーゼマンです。そうです、僕は生き残りました。かなり危険な状態だったのは間違いありませんが、こうして生き残ったのです」
アレクは窓から差し込む朝日の眩しさと温かさに生きていることを実感した。
「あの日、僕が意識を失った直後に父さんたちが駆けつけてくれて、帝国兵を撃退したそうです。ただ、色々と問題があってですね……」
ドアがノックされた。
「アレク、朝ご飯よ。食べさせてあげるわ」
ドアを開けて入ってきたのはクリスである。
今のアレクはベッドの上から起き上がれない状態なのだ。動けないわけではなく、動いてはいけないと命令されているのだ。
だから、クリスたちが日替わりで朝昼晩と食事を食べさせてくれる。
皆がアレクを構いすぎるので、アレクはうんざりしているのである。
「ああ、アレクの綺麗な顔に傷痕が……」
クリスはアレクの両頬を両手で挟み、まじまじとアレクの顔を見る。毎日同じことをするのだ。
アレクの額にはあの日、アレクが死にそうになった時についた傷痕が残ってしまったのだ。
それほど大きくはないが、額の真ん中に傷痕が残っている。
カーシャが言うには一生消えないらしい。
「足は大丈夫なの?」
右わき腹に木が刺さったせいか、アレクの右足が少し動かしづらくなっている。
歩くことはできるし走ることもできるが、違和感があって少し引きずるような感じになる。
この足もこれ以上は治らない可能性が高いとカーシャが言っていた。
「帝国にはいずれ天罰を下してやるわ。私の可愛いアレクをこんな目に遭わせた報いは、ブタ皇帝の首で償ってもらうから!」
クリスの顔が怖い。鬼がいる。
それに帝国の皇帝がブタなのか、アレクには分からない。
「もう大丈夫だよ。あまり寝てばかりいると体が本当に動かせなくなってしまいそうだよ」
「ダメよ! アレクは4日も生死の境を彷徨っていたんだから、しっかりと治さないと!」
4日間意識不明だったのは1カ月近くも前のことだ。いまだにクリスはアレクをベッドに寝かせたままである。
しかもクリスだけじゃなく、皆が同じようにアレクを過保護にする。
変わらないのはカーシャくらいである。
さらに数日がたった夏の匂いが色濃くなってきた頃。
アレクと一緒に助けられたライスは既に政務に復帰していた。
時々、アレクを見舞うために顔を見せる。
カムラとオウエンは大きな怪我もなかったことから、すぐに部隊に復帰した。
モッタは足の矢傷のおかげで歩行に少し支障が出たため、退役することになった。
そしてアレクはというと、やっとベッドから起き出すことが許されたのである。
アレクは久しぶりに館を出ることができた。
ほぼ1カ月も閉じ込められていたので、さすがに体がなまっている。
「う~~~ん」
両手を上げて背伸びをして、肺いっぱいに空気を吸い込む。
「外の空気は新鮮だ……」
「「おはようございます、アレクサンダー様」」
「あ、おはようございます。カムラ隊長、オウエンさん」
2人は館の前でアレクを待っていた。
「中で待っていてくれればよかったのに」
「これからはそうさせていただきます」
二人は正式にアレク専属護衛になった。
アレクがベッドで過ごしている間に家族会議でそう決定したのだ。
つまり、アレクが館から出る時は必ず護衛がつくことになったのである。
「行きましょうか」
「「はい」」
アレクはゆっくりと歩き出して用意されていた馬車に乗った。
少し右足が不自由で思い通りの動きをしていないが、こればかりは慣れるしかない。
馬車は館がある丘を下りて町中に入っていく。
到着したのは色々な工房が立ち並ぶ工業区の一角。
ある意味、もっとも活気のあるエリアで、アレクの耳に色々な音が耳に飛び込んでくる。
「おはようございますー」
大きな路地から一本奥まった場所にある工房のドアを叩いた。
なかなか返事がない。不在なのか、聞こえないのか分からないので、もっと大きな声で呼んでみる。
そうするとドアがバンと開き、中から見知った顔が出てきた。
「おお、アレクサンダー様ではないか! 元気になったようじゃな」
「モッタさん、おはようございます」
この工房は領主軍を退役したモッタが開いた鍛冶工房なのだ。
モッタは入隊直後は領主軍内の武器や防具を補修する担当だった。
戦闘力が高いのでいつの間にか戦闘員になっただけである。
そんなモッタは今回の怪我でふんぎりがついたそうで、こうやって鍛冶工房を開いたのだ。
「今日はどうしたんだ?」
工房の中に通してもらい、アレクはテーブルの椅子に座わる。
「モッタさんにお願いがあって、お邪魔しました」
アレクはあれから色々考えた。
今回はたまたまフォレストたちが駆けつけてくれたのが間にあったが、死んでいてもおかしくない状況だった。
いつもそんなに上手いくわけがないのだ。
だから、アレクは戦う力を求めることにしたのだ。
しかし、剣や槍を扱うのは無駄だと分かっている。
幼い時からフォレストのようになりたくて剣の訓練をしていたが、アレクには剣の才能はまったくなかった。
スキルは土魔術だけ。そんなアレクが戦うには土魔術を駆使するしかない。
「モッタさんにこんな物を造っていただきたいのです」
アレクは持ってきた紙をテーブルの上に広げる。
「これはなんじゃ?」
モッタは眉間にシワを寄せて紙に描かれた絵を見つめた。
戦うための力は何も体力や腕力だけではない。アレクでも扱える武器を造るためにアレクはモッタの工房を訪れたのだ。
「これは杖です」
「杖だと?」
モッタだけではなく、護衛のカムラとオウエンも不思議そうに声を出した。
魔術というのは、魔力というものをイメージした現象に変える術である。
その時に魔術をスムーズに発動させるのに杖が使われるのだ。
今までアレクは杖なしで魔術を使ってきたが、これからは命をかけた戦いもあるだろうから、杖を使うことにしたのである。
杖は30センチメートルくらいの小さなものから、アレクの背丈くらいのものまで色々な大きさがある。
素材は木だが、木ならなんでもいいわけではない。
魔力をスムーズに通してくれる特性を持った木がよいのだ。
「モーニングスターではないな? 魔術用の杖か?」
絵を確認したモッタさんは訝し気にアレクを見た。
モーニングスターというのは、先端に棘のついた打撃武器の金棒である。
モッタは鍛冶師であり、金棒であれば造れるが、魔術士用の杖となると専門外である。
魔術の発動体としての杖は木が一般的で、それは鍛冶師ではなく木工師に頼む仕事だからである。
鍛冶師のモッタはなぜ自分にこの絵を見せた? と疑問の目でアレクを見ている。
「トレントでその杖を造ってほしいのです」
「トレントだと……?」
トレントとは木の形をした魔物のことで、魔物のくせに魔術を使ってくる珍しい種族である。
魔術を使ってくるだけあって、トレントの枝は魔力の伝導率がよいだろうとアレクは考えたのである。
それにマリアに相談をしたところ、マリアもいい案だと賛成したことでトレントの杖を造ることにした。
ただ、残念ながら金属の杖であれば自分でなんとかするのだが、相手が木ではそうはいかない。
「いくらトレントでも魔術発動体として機能するか分からんぞ?」
モッタの疑問は当然だ。
だが、あのマリアがいい案だといったのだ、きっといいものになるとアレクは信じている。
「それと俺は鍛冶師であって、木工師ではないぞ?」
「はい。でも、トレントの枝は金属のように鍛えるのだと、マリアが言っていましたから」
「金属のようにだと?」
モッタは髭に手を当てて考え込んだ。
「話はわかった。じゃが、トレントの素材を手に入れるのも大変だぞ」
「それなら大丈夫です。昨日、ロア姉さんとフリオが森でトレントを狩ってきました。杖に使う素材は確保してあります」
「なんだと!? トレントまで? ……分かった、ここまでお膳立てされてやらないわけにはいかないな。このモッタの全力を注ぎ込んでやるぞ!」
「ありがとうございます!」
モッタがやる気になった!
これで、第一関門はクリアである。
アレクはモッタと握手をし、何度も礼を言って工房を後にした。
お読みいただき、ありがとうございました。
評価と応援メッセージ大歓迎です!
明日も更新します。