018_帝国の陰
体が浮き上がる感覚を覚えて目を覚ます。
何が起きたのか分からず、ただ漠然と意識が浮上する感覚を受け入れていた。
視界がぼやけてはっきりしない。体の感覚がない。
自分はどうなったのか、確かめる術を思いつかない。
「△△△△△△△△△ △△△△△△△△△」
誰かが何かを言っているようだが、何を言っているのか分からない。
「△△△△△△△△△ △△△△△△△△△」
体が引き起こされているようだが、体が思うように動かない。聞こえない。
「………」
次第に視界と聴覚が戻ってくる。
「アレクサンダー様! アレクサンダー様!」
「兄さん! しっかりして」
「フリ……オ?」
「そうだよ、フリオだよ」
まだ視界がぼやけているが、耳の方はカムラとフリオの声を受け止めた。
「僕は……?」
「馬車が横転したんだよ」
「………」
ここでやっと状況が把握できた。
馬車は道なき道を走っていて、おそらく石か何かを踏んだことで大きく跳ねて横転したのだ。
「っ!? ライスさんは?」
「大丈夫です。ライス殿は左手を骨折していますが、命に別状はありません。それよりも―――」
カムラが言いよどんだ。
それでアレクに伝えづらいことがあるのだと、悟る。
「フリオ……僕はどうなっている?」
「それは……」
フリオのその声で長く持たないのだと、理解した。
体の感覚が戻っていなくても、フリオの声を聞けば分かるのだ。
「大丈夫だよ、言って」
「脇腹に馬車の……木の破片が刺さっているんだ……」
少しずつ感覚が戻ってきて、頭に痛みを感じるようになってきた。
しかし、首から下は感覚がマヒしている。木の破片が脇腹に刺さっているからだと理解した。
体を動かそうとしても動かない。
アレクには傷口がどうなっているか分からないが、脇腹に木の破片が刺さっていることが致命傷になり得る傷なのだろう。
「……」
アレクははっきりしてきた頭を回転させて考えた。
「ポーションは?」
「申し訳ありません。馬車が横転したおりに全て割れてしまいました」
「そうですか……頼みの綱が割れてしまっているのですね……。そう言えば、他の護衛は?」
「オウエンは周囲の警戒を、ハッタは足に矢を受けましたが生きています……」
そこで言いよどむということは、この先を聞くまでもないと分かった。
「ウラフさんとセマレスさんは死んだよ……」
フリオは目を潤ませて辛いことを口にした。
考えるんだ。生き残るためにどうするべきか。アレクは必死に考えた。
「フリオ」
「何?」
「町に戻って父さんを呼んできて」
「でも―――」
「バトルホースなら町まで全力で走らせてもバテないはずだ。だからこれはフリオにしかできないことなんだ」
フリオは悔しそうな顔したが、それを見たアレクは口の端を少しだけ上げて笑った。
「これは兄としての命令だ。今すぐ全力で町に戻って援軍を呼んでくるんだ。分かったね」
「……分かったよ」
それでいい。フリオがいくのが一番速いのだから。
視線が定まらないが、フリオがバトルホースを走らせた足音が聞こえてきた。
「カムラ隊長、正直に言ってください。僕の出血は多いですか?」
「……はい、かなり……」
「木を抜かずに傷口を布か何かでぐるぐる巻きにしてください」
カムラはアレクの指示通りにした。
もし木の破片を抜いたら、その瞬間に血が一気に噴き出しアレクは出血多量で死んでいただろう。
カムラにも出血を少しでも抑えるためにはそれしかないと分かっていた。
「巻きました」
カムラは自分の纏っていたマントを破りアレクに巻きつけた。
「近くに林があったはずです。そこに逃げましょう」
「しかし、今動かすのは……」
傷口が開いたり、木が動いて内臓を傷つけでもしたら、死期が早まる。カムラはそう言おうとしたが、言えなかった。
「敵がきます。林の中に逃げ込んでください」
「……分かりました」
とんだことになってしまった。アレクはそう思い、おかしくもないのに笑ってしまった。
「どうしたのですか?」
「いいえ……」
声は出していなかったが、笑っていたのがカムラにも分かったのだろう。
カムラは不思議そうだった。死にかけているのに笑うなんて気が狂ったと思ったのだろう。
「林に移動する。オウエンはハッタを、ライス殿は1人でも歩けますね?」
「了解」
「はい」
「カムラさん、すみません。体が動かないので面倒をおかけします」
「我々がもっと早くに帝国兵に気づいていれば、アレクサンダー様をこのような目にあわせることもなかったのです。申し訳ありません……」
そんなことはないと言おうとしたが、声が出なかった。
アレクは気を失ったのだ。
「すまんな、オウエンよ。ヘマをこいた」
「いつもの憎まれ口はどうしたんだ?」
オウエンとモッタは何度も戦場で助け合った戦友だ。
足に矢を受けたモッタはドワーフなので、ヒューマンのオウエンとは背が違い過ぎて、肩を貸せない。
だから矢を受けた左足側に寄り添うようにモッタを支えて歩く。
林の奥でアレクは目を覚ました。
「寝ていたのか……。カムラ隊長、敵は?」
「見当たりません」
「そうですか。もし僕が死んだら構わず逃げてください。ですが……すみませんが、僕が生きている間は面倒をおかけします」
「助かりますよ。希望を持ってください」
バトルホースの脚ならそれほど時間はかからないはずだ。
しかし、フォレストが兵を準備して助けにくるには時間がかかるだろう。
早くても明日になるだろう。それまで自分は生きていられるだろうか?
帝国兵に見つかって殺されなくても、この脇腹の傷では長く生きていられないだろう。
明日の朝日が見られれば生き残れるかもしれない。
気を張って救援を待つことにしよう……。アレクは最後まで諦めず生きようと歯を食いしばる。
「アレクサンダー様」
「!?」
アレクはカムラの声で何度目かの気絶から目覚めた。
「帝国兵が近づいてきます。林の奥へ移動します」
「はい……」
ズキンと脇腹がうずいた。どうやら体の感覚が戻ってきているようだ。
カムラに抱えられて移動している間、振動で今まで感じたこともない痛みを感じ始めた。
抱えられている身で贅沢は言えないが、振動を与えないでほしいと思う。
「すみません。我慢してください」
アレクが歯を噛み痛みに耐えているのが分かったのか、カムラが心配して声をかけた。
痛みで時々意識が飛びそうになりながら、帝国兵から逃げ回る。
戦闘するだけ無駄なのは、誰の目にも明らかだ。
こちらには足手まといのアレクとライスがいるし、戦闘員のモッタも怪我をしている。
カムラとオウエンだけで数十人の帝国兵と戦うのは自殺行為というものである。
「いい判断でしたね」
「……なんのことですか?」
逃避行を続けるのは大変なことだ。特にアレクのような自力では動けないお荷物がいるのだから。
だから休憩はあるていど必要だ。そんな何度目かの休憩の時にカムラがアレクに話しかけた。
「フリオ様のことです。あのままではフリオ様も道連れでしたでしょう」
アレクはバレていたかと、苦笑いをする。
フリオは優しいからアレクを見捨てることはできなかっただろう。
フリオなら2、30人の帝国兵を1人で殲滅できるかもしれない。
だが、それは護るべきアレクがいなければの話だ。
アレクを護りながら多勢を相手にするのは、いくらフリオでも難しいことだ。
だからアレクは自分が死んだ後のことを考えた。
もしアレクが死んでフリオまで死んでしまったら、デーゼマン家の男子がいなくなってしまう。
フリオが救援を求めに町まで戻れば、少なくてもフリオは生き残る。
それでいい。2人とも死ぬことはない。
アレクは最後まで足掻くつもりだが、最悪を考えてフリオを町へ向かわせたのだ。
さらに何度目かの移動をした。
寒い。意識が朦朧として喋る力もなくなってきた。今が夜なのか、朝なのかも分からない。
そろそろ限界だとアレクは考えた。
「僕はもうすぐ死ぬのか……」
木の破片が脇腹に刺さってからどれだけの時間が経っただろうか。
「カ・ム・ラ・・隊・・長……」
「どうしました?」
「僕・・は・もう・・だめ・の・よう・・です。僕・を・・おいて・にげ・て」
「何を言っているのですか!? まだ大丈夫です! 気をしっかり持ってください!」
そのカムラの声はアレクに聞こえていない。意識が―――。
「フリオ、生き残るんだぞ……」
「父さん、母さん、先に逝く不幸を許してください……」
「クリス姉さん、エリー姉さん、ロア姉さん、仲よく家を盛り立ててください……」
「マリアはいつもマイペースだから、もう少し皆に合わそうね……」
「カーシャ母さん、皆をお願いします……」
アレクはうわ言のように皆の名を呼ぶ。
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