ケーキはお菓子じゃなくてデザートだもん
甘い甘いはちみつで明るく染め上げたみたいな、キラキラした髪が風になびいている。パーティーでにぎわう庭園に現れたのは、絵本から飛び出してきたような世にも美しい男の人だった。
その人の登場に、おしゃべりに花を咲かせていた人々は惚れ惚れとしたため息をついた。それから、せっせと身なりを整えはじめる。
「国王陛下、我が屋敷にご足労いただき大変光栄にございます。ハデスの名に恥じぬよう、誠心誠意おもてなしいたします」
父が膝を折って、大げさに口上を述べた。他の大人たちも胸に手を当てて体勢を低くしている。
テーブルを囲み椅子に座っている子供たちだけが、突如現れた長身の男に興味津々な視線を向けていた。
国王陛下と呼ばれた男は苦笑を浮かべながら、跪いている父を見下ろしている。
「今日の主役はあなたの娘ですよ、ハデス伯爵。堅苦しい振るまいなど、必要ありません」
大人のくせになかなか気の利くことを言うものだ。リリーは少しだけ気分がよくなった。
「あの人、誰のお父さま?」
話の分かりそうな人だから気が向いたら一緒に遊んであげよう。そんなことを考えながら正面に座っている女の子に尋ねてみる。女の子はびっくりしたような顔をしてリリーを見返した。
「リリーちゃん、知らないの? あの人は王さまだよ」
「王さまって何なの」
「すごく偉いの。この国で一番偉い」
「ふぅん」
どうしてそんなに偉い人がリリーの家に来たのだろう。もしかして父の友だちなのだろうか。とすると、父は結構、偉いのか。
何にせよ、今日の主役はリリーなのだ。あの偉い人はきっとプレゼントを持ってきてくれているに違いない。お人形ならいいなぁ、とリリーはワクワクしながら王さまが近くに来てくれるのを待っていた。
ところが待てど暮らせど王さまはこちらに近づいてこない。大人たちが彼に群がり進路を塞いでいるからだ。
王さまが持ってきたプレゼントは想像以上にものすごいらしい。あれだけの大人たちが横取りしようと躍起になっているのだから。
彼がプレゼントを死守してくれますようにと、リリーは祈るほかなかった。だってあんなにたくさんの大人たちに奪われたプレゼントを、取り返す自信なんてない。
どうにかこうにか王さまは大人たちの群れを切り抜け子供たちの近くにやって来た。心なしかぜぇぜぇと肩で息をしている。見たところプレゼントの箱を持っていないようだが、もしかしたら持ち運べないくらい大きいからどこかに置いてきたのかもしれない。
「や、やぁ、おチビさんたち。ごきげんよう」
お菓子が並ぶテーブルの上に両腕を乗せて、王さまはその場に身を屈めた。ごきげんよう、と子供たちが元気に挨拶を返すのを聞きながら、彼は片手で頬づえをついてテーブルの上をざっと見渡した。
「このなかで一番おいしいお菓子はどれか、教えてくれないかな」
王さまの言葉を聞いた瞬間、そらきた、と言わんばかりに子供たちは椅子から飛び降りた。クッキーや棒つきキャンディーをつかんで我先にと差し出す。
「これ、これが一番おいしいよ!」
「違うよ、ケーキはお菓子じゃなくてデザートだもん」
「この飴すっごいよ! ほら、ベロが黄色くなっちゃうの」
「あ、ちょっと待って」
はちみつ色の髪の毛はあっという間に子供たちの山の中に埋もれてしまった。
「……」
お気に入りの、透明のつるつるしたキャンディーは何とか両手に掴んだものの、流れに乗り損ねてしまったリリーはまだ椅子の上におしりを乗せたままだった。
今日はリリーの誕生日なのに。
そう呟いたところで、誰にも聞こえない。
ぐしぐしと目もとを拭っていると、誰かに肩を叩かれた。
鼻をすすりながら振り返ると、優しげな雰囲気の男の子が立っていた。背の高さはリリーの兄と同じくらい。普段あんまり見かけない黒髪が、風になびいてさらさらしている。
誰だろう。
首を傾げるリリーの隣に男の子は腰を下ろした。
「誕生日おめでとうリリー。大きくなったね、びっくりした」
ほがらかに笑う男の子を見て、リリーはますます首を傾げる。それを真似をするみたいに、男の子はゆっくり頭を傾けた。
「あれ、もしかして覚えてない? 小さい頃よく一緒に遊んだんだけど」
小さいころも何も、これ以上小さくなったらリリーは赤ん坊になってしまう。赤ん坊は言葉が話せないから、遊んだり出来ないじゃないか。
そう反論しようとしたが、何となく恥ずかしくて何も言い返せなかった。男の子はしばらくリリーの反応を待っていたが、反応が無いなら無いで別に構わないのか、すっくと立ち上がってどこかに行ってしまった。
名前くらい教えてもらえばよかった。ちょっと反省しながら落ち込んでいると、先程の男の子がまた戻ってきた。
「はい、これ」
差し出されたのは、細長い箱だった。リボンがかかっているからもしかしてこれはひょっとして……。
「プレゼント?」
「そうだよ」
男の子はリリーが両手に握っているキャンディーをさりげなく取り上げて、代わりにプレゼントの箱を握らせた。開けていいよ、と言いながら、手にしたキャンディーを口に放っている。
箱の中身は、リリーそっくりのお人形だった。髪の色から目の色から、何から何までそっくりだ。
小さくなってしまった自分を見て目をぱちくりさせているリリーに、男の子は言った。
「最近リリーは人形で遊ぶのに凝ってるって、ジェイミーが言ってたから。気に入った?」
このお人形を一番の宝物にしようという一大決心をしていたリリーは、男の子が兄の名前を口にしたことにしばらく気づけなかった。
気に入った、と頷いて、どんな服を着せてあげようかなと考えて、兄にも見せてあげなければと考えて、ようやく男の子の言葉に驚いたのだ。
「兄さんを知ってるの?」
「うん、知ってる。誕生日、お祝いできなくてごめんねって言ってたよ」
男の子はなぜか、申し訳なさそうな顔をしながらそう言ってリリーの頭をなでた。それがすごく優しい手つきだったから、リリーの目にはまた、涙がにじんだ。
「いやだ、ゆるさない。もう兄さんとは一緒に遊んであげないんだもん」
男の子は困った顔をしながら、リリーの顔を覗き込む。
「ジェイミーね、今元気がなくて、寮から出られないんだ。リリーと遊べなくなったらもっと元気がなくなっちゃうよ」
「……そうなの?」
兄が寮から出られない状態であると、どうして誰も教えてくれなかったのだろう。もしそのことを知っていれば、もう遊んであげないなんて子供っぽいわがままは言わないように出来たのに。
許さないと言った手前すぐに撤回することも出来ず、リリーはますます涙をにじませた。本当に兄の元気がなくなってしまったらどうしよう。もらったばかりの人形をぎゅっと抱きしめて、意地を張ったことを後悔していると、突然、体がふわりと宙に浮いた。
「大きくなったねぇ、リリー。もうすっかりお姉さんじゃないか」
リリーの目の前には、先程まで子供たちに群がられていた王さまの顔があった。息をのむほどに美しい笑顔は、あらゆる憂うつをどこか遠くへ押しやってしまえそうなほどの威力がある。リリーはこれまでの人生で(まだ七年しか生きてないが)、これほどまでに綺麗な人を見たことがなかった。だからすっかり圧倒されて、ポカンと口を開けたまま何も答えられなくなってしまった。
それにしても、とリリーは考える。自分は彼が言う通り、本当に大きくなってしまったらしい。いつの間にやら地面は遥か遠く、人形をプレゼントしてくれた男の子がこちらを見上げている。
王さまの足元には子供たちが群がっていて、私も、僕もとだっこをねだっている。王さまは困り顔をつくって子供たちを見下ろした。
「残念ながら、私の腕は二本しかないんだよねぇ」
さっきまでリリーと話をしていた男の子がたしなめるような声を上げた。
「兄上、急に抱き上げるからビックリしてるじゃないですか。かわいそうですよ」
「ああ、ごめんごめん。あんまり成長してるもんだから、ちょっと感動して……」
あんぐりと口を開けたままのリリーは、地面に下ろされた後とりあえず、首をかしげた。
リリーは王さまを知らなかったのに、王さまはリリーを知っているようだ。どうしてだろう。
そのとき、やたらと背筋がピンと伸びている男の人が、王さまの近くに寄ってきた。
「陛下、お時間です」
「え、もう?」
王さまは、リリーが早く寝なさいと言われたときにするような顔をして肩を落とした。やたらと背筋が伸びた男の人は容赦なく頷く。
「これ以上わがままには付き合えませんよ。このあとも予定が山のように詰まってるんですから」
えもいわれぬ、どよどよとした空気をかもし出しながら、背筋の伸びた男の人は言った。王さまは「わかったわかった」と快活に笑って、リリーの目の前に身を屈めた。
「それじゃあね、リリー。いっぱい食べてもっと大きくなるんだよ」
うん、と頷いたリリーの頭をわしゃわしゃとなでて、王さまは立ち上がる。
「行こうか、ウィル」
人形をプレゼントしてくれた男の子に、王さまはそう呼びかけた。
ウィル、という名前にリリーはハッとする。この名前は何度も聞いたことがある。兄がいつも話して聞かせてくれる人の名前だ。
『ウィルはすごいんだ。教えられたことはなんでもすぐに、出来ちゃうんだから』
このウィルは多分、あのウィルだ。リリーはとっさに、王さまの後ろをついていく男の子の背中に声をかけた。
「ウィル」
男の子は振り返って、にこりと笑った。
「なに?」
その笑顔に、リリーはなぜか、ずきゅんとなった。
「今度、一緒にあそぼう」
きっと、ウィルと遊ぶのは楽しいだろう。そうに違いない。リリーは人形を抱き締めながら、ウィルの返事を待った。ウィルはちょっと驚いた風に目を見開いて、それからまたにっこり笑った。
「いいよ。じゃあ、明日迎えに来るね」
リリーはその場で飛び跳ねたくなった。しかし実際は、もじもじしながら頷くことしか出来なかった。
やっぱり、七歳は楽しいのかもしれない。七歳になれてよかった、とリリーは叫びたかった。家族がバラバラでも、それはそれ。もらったばかりの人形にどんな名前をつけようかと、リリーの頭の中はそんな楽しい悩みごとでいっぱいになった。