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リリーなら出来るよ

 見慣れていないから脅威だとも感じなかった銃が、リリーは急に恐ろしくなった。


 髭もじゃはリリーを使って、ウィルをおびき出したいというようなことを言った。目的は金ではない、とも言っていた。


「王家の失脚を狙ってるとか?」


 ケニーが恐る恐る尋ねる。


 髭もじゃはくわえていたタバコを、空中に掲げた。すかさず髭もじゃの部下とおぼしい男たちのうちの一人が、灰皿を手にリリーたちの方に近づいてくる。


 髭もじゃは部下が手に持ったままの灰皿にタバコを押し付けながら、無駄に優しげな声で言った。


「そんな大層なもんじゃねぇなぁ、俺たちの仕事は。ろくでもねぇ大人の、アホみてぇな計画に付き合ってるだけだ。それでブツが手に入るんなら、王弟の命だって俺たちにとっては安いもんさ」

「ブツって?」


 ケニーが食い気味に尋ねる。髭もじゃはポケットを探り、銀色の箱を取り出して、ケニーに手渡した。


「開けてみな」


 長方形の箱の蓋を、ケニーが怖々と開ける。中には、真っ白い粉が入っていた。リリーの頭の中は疑問符で一杯になった。


「これがお金よりもっと、いいもの?」


 リリーは期待はずれの手品を見せられたときのように、内心がっかりした。確かに小麦は貴重だが、金よりいいわけはないだろう。それよりも何よりもウィルの命が小麦粉より安いと、この髭もじゃが考えていることが許しがたい。


「一回くらい、吸っとくか?」


 髭もじゃはケニーの手から小麦粉の詰まった箱を取り上げながら、意地の悪い顔で言った。


 小麦粉を吸う?


 何のために?


 大人って分からないな。リリーは呆れた気持ちで頭を左右にふった。


 ふと、遠くから怒鳴るような声が聞こえてきた。捕まえろ。そっちへ行ったぞ。そんなような言葉が聞こえてくる。


 騒々しい声や足音が、リリーたちがいる部屋に近づいてきた。


 髭もじゃが表情を引き締めて、立ち上がる。そして部屋の扉に向けて銃を構えた。部屋に点在している男たちも腰に下げている武器を手にして身構える。


 部屋の扉が開いた。


 そこにいたのは、ウィルだった。


 リリーはどうしてか、扉の向こうからウィルが現れたことをそれほど不思議には思わなかった。


「誰だてめぇ」


 髭もじゃはウィルに向かってドスの利いた声で尋ねた。


 散々「ウィリアム様は来てくれるかな」とかなんとか言っていたくせにこいつ、ウィルの顔が分からないのか。


 リリーは信じられない、という顔で髭もじゃを見上げた。


 ウィルは銃やら刃物やら向けられていることに欠片も関心を寄せずに、まっすぐリリーの側まで歩いてきて、ソファーの前に跪いた。


「よかった、無事で……」


 ウィルはそう言って、リリーを抱き締めた。


 リリーはこんな風に抱き締められたのは、生まれて初めてだった。挨拶程度の抱擁ならしたことがあるが、これは多分、そういうのとは違う。


 恋人にするようなことをウィルがしてくれたことが嬉しくて、リリーは今の状況がすっかり頭から抜け落ちそうになった。でもウィルがわずかに震えていることに気づいて、現実に引き戻された。


 ウィルがどういう経緯でここに来たのかは分からないが、騎士隊を引き連れているとか、護衛をともなっているという気配はない。リリーたちは今、ありったけの武器に囲まれている。いくらウィルが強いといっても、この状況を自分たちだけで切り抜けることは不可能に思えた。


 ウィルが現れてから少しして、複数人の男たちが部屋に詰めかけた。残念ながらリリーたちの味方ではなかった。


「まさかこいつ、ウィリアムか? 納屋で処分しろっつったろ。絨毯が汚れるじゃねぇか」


 髭もじゃが苛立たしげに声を荒げる。扉の向こうから現れた男たちは気まずそうに顔を見合わせている。


「すんません。隙をつかれて」

「部屋の場所バラしてんじゃねぇよ」


 髭もじゃの苦言に男たちは釈然としないという顔をする。


「いや、どうしてこの場所が分かったのか、俺たちにもさっぱり……」


 リリーは今さらながらに、ウィルに危険が迫っているということを本人に教えなければと思い立った。


「ウィル、逃げなきゃ。あなたは小麦粉のために殺されるのよ!」


 真剣な顔で訴えるリリーを、ウィルはなんとも呑気な、そして怪訝な顔で見返した。


「小麦粉……?」

「私たちのことは気にせず、逃げて!」


 今さらそんなことを言われましても、とウィルの表情は語っている。


 それはそうだ。ウィルは別に、散歩のついでにここに乗り込んできたわけではないだろう。多分、リリーのことを助けに来てくれたのだ。そう解釈しても、お前はまれに見る自信家だな、などというそしりを受けることはないはずだ。


「しゃーねぇなぁ……」


 髭もじゃはひとつ舌打ちしたあと、ウィルの襟首を掴み、乱暴にリリーから引き離した。


 ウィルは三人の男たちの手によって、床にうつ伏せに押さえつけられた。髭もじゃが銃口をウィルの頭に押し付ける。


「ウィル!」


 リリーの叫び声を無視して、髭もじゃは周囲を見回した。


「まだ掃除当番が回ってきてない奴は?」


 髭もじゃの問いに、ウィルと同い年くらいの年若い男が反応した。髭もじゃは若者に銃を手渡しながら言った。


「引き金引くだけだ。簡単だぞ」

「……本当に、いいんすか? 本物の王弟ですよ」


 および腰の若者に髭もじゃはきつい眼差しを向ける。


「つべこべ言ってねぇで、さっさとやれ」


 リリーはまるで氷の海に突き落とされたかのような気分で、床に押さえつけられているウィルを見ていた。


 男がウィルの頭に銃口を押し当てた。リリーは思わずウィルの側に駆け寄ろうとしたが、侍女に止められた。


「ウィル、嫌だ、死なないで!」


 侍女に抱き留められたまま、泣きながら懇願する。撃たないで、ではなく死なないで、というのはずいぶんと理不尽な願望であるが、ウィルならきっと願いを叶えてくれるような気がしたのだ。


「ねぇリリー、ゲームしようか」


 頭を床に無理やり押さえつけられた格好のまま、ウィルが言った。リリーは涙の溜まった瞳をぱちぱちと瞬いた。


「ゲーム……?」

「目を閉じて、耳を塞いで、そのままの状態で三分くらい過ごせたら、リリーの勝ち。ひとつだけ何でも願いを聞いてあげるよ」


 リリーは混乱した頭で、なぜウィルがそんなことを言い出したか必死で考えた。自分が撃たれるところを見せまいとしているのだと思い至ったとき、上手く息が吸えなくなった。


「嫌だ、怖い……」

「簡単だよ。試しにやってごらん。ほら、歌でも歌って」

「出来ない。絶対に出来ない」

「頼むから。リリーなら出来るよ」


 ウィルの声にわずかに焦燥が滲んでいる。


 ウィルに銃を突きつけている男がひとつ深呼吸をした。そして、引き金にかけている指に力を込めた。


 リリーの心が絶望の色に塗りつぶされかけた瞬間、視界が何かに覆われて、ウィルのことが見えなくなった。隣に座っているケニーがリリーの頭を両腕で抱え込んだのだと、数秒後に理解した。


 リリーがウィルから視線をそらしたと同時に、何かが破裂したような音が響いた。銃から弾が発射された音だとすぐに分かった。リリーはウィルに言われた通り、目をぎゅっと閉じて耳を塞いだ。


 次に目を開けたときに、ウィルの魂がこの世から消えてなくなってしまっていたら、どうしよう。きっとウィルがいなかったら、リリーの人生は灰色だ。どんなにおしゃれなドレスを着ても心は踊らないだろうし、どんなにおいしいものを食べても砂の味がして、どんなに綺麗なものを目にしても何も感じなくなってしまうのだ。


 耳を塞ぐ手が震えるが、なんとか力を振り絞って外部の音を閉め出す。しかしどんなに努力しても、完全に全ての気配を感じないようにすることは出来なかった。


 銃の音がしてから、体感ではすでに三分以上が経過したような、そんな気がしていたとき。


「すげー……」


 頭上から、ケニーの呟きが降ってきた。


 その声がやけに気になった。この状況で、何を感心することがあるというのか。


 憤懣(ふんまん)やるかたなくなって、リリーはケニーの両腕を押し退け顔を上げた。ケニーの腕には全く力が入っていなかった。彼は呆然と、一点を見つめ固まっていた。


 リリーはケニーが見ているのと同じ方向に視線を向けて、彼と全く同じ反応をした。


 部屋にいた男たちが、床に倒れている。白目を剥いている者も、泡をふいている者もいる。全員がたまたま同時に、ぜんまいが終わってしまったかのように、動かない。


 ただひとり、髭もじゃだけはまだ身じろぎするだけの力を体に宿していた。ウィルにうつ伏せの状態で組伏せられ、背後から首を絞められているが、一応まだ、意識はあるようだ。


 片腕で髭もじゃの首を絞めているウィルは、自分に向けられている視線に感づいたのか、その体勢のままリリーたちの方に顔を向けた。


 ウィルはいたずらを咎めるような声でリリーの名を呼んだ。それから、こう続けた。


「だめじゃないか。まだ三分経ってないよ」


 今この瞬間にも時間は進んでいるということをようやく思い出したかのように、リリーの瞳に溜まっていた涙がぽとりとドレスの上に落ちた。リリーとケニーと侍女の三人は、あんぐりと口を開けたまましばらくの間固まっていた。

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