王宮で飼ってる鶏が一日に卵を二つ産んだ話聞きたい?
季節はまだ夏といってさしつかえない時期だが、朝の空気はすでにヒヤリと冷たく、少しずつ冬が近づいているようだ。
パカン、と木が割れる音が響く。ウィルは割れた薪を拾い上げもう一度半分に割ったあと、斧を切り株に突き刺した。背中を反らせて空を見上げれば、澄んだ青色が昨日より少し遠ざかって見える。
「何で俺までお前の処罰に付き合わなきゃならないんだよ」
どこから調達してきたのか、麻布にくるまったニックが地面に仰向けに倒れたまま気だるげに呟いた。
寝そべっているニックのすぐ側には木造の小屋がある。小屋の中から、薪を抱えたジェイミーが出てきた。進行方向に横たわっているニックを見下ろし、ジェイミーは迷惑そうな顔をする。
「どうしてわざわざ人の通り道で昼寝するんだ」
「文句なら隊長の機嫌を損ねたウィルに言えよ。俺はこいつの処罰に付き合ってやってるんだぞ。もっと敬え」
「どの辺が付き合ってるんだよ。仕事サボってるだけだろ」
ジェイミーはニックをまたぎ、ウィルの側に歩み寄る。
「そろそろ代わろうか?」
「いや、まだいいよ」
ウィルは両手を組んで伸びをしたあと、切り株に足を添え斧を引き抜いた。薪を立てて斧を振り上げたとき、身を屈めているジェイミーの肩口が、ふと目に入った。
「それ……」
斧を振り上げたまま呟く。ウィルの視線をたどったジェイミーは、はだけていた襟元を慌てた様子で引き上げ、それから苦笑いした。
「目ざといな」
「僕のせいで失格になったって言えばよかったのに」
「人の話なんか聞かないよあの人は。それに、落馬したら失格って規則はお前が作ったわけじゃないし」
笑って肩をすくめるジェイミーを見て、ウィルは振り上げていた腕を下ろし、斧を地面に落とした。
「リリーは大丈夫かな」
「知ってるだろ。父上はリリーには絶対に手を上げないよ」
「そうじゃなくて、気にしてるんじゃないのか」
「どうかなぁ……。そうかもしれないけど……」
ウィルとジェイミーの会話を遮るように、ニックが深いため息をついた。
「なぁウィル。お前のそれはもう、趣味みたいなもんだな」
「それって、何が」
「人の心配」
ニックは「よっ」と声を上げて上体を起こすと、立ち上がり、ウィルが苦労して割った薪を蹴散らしながら近づいてきた。切り株に乗っている薪を軽く蹴り飛ばしたあと、薪の特等席を我が物顔で陣取る。
ウィルは静かに斧を拾い上げた。
「割って欲しいのか?」
「まぁ落ち着けよ。お前さぁ、昔からそうだったけど、最近心配性が度を越してるよ。人の家庭のことでお前が悩んだってしょうがないじゃん」
ニックの言葉に、ウィルは振り上げかけていた斧をひとまず下ろした。
「仕方ないだろ。この性分は遺伝なんだ」
「そうなの?」
「そうだ。兄上の心配性なんてこんなもんじゃないからな」
そう。ウィルの兄は超がつくほどの心配性である。もはや心配性が政治を行うための原動力である。その性分をウィルは、ほんの少し受け継いだだけに過ぎない。
「なんかそれ、イメージ崩れる」
ジェイミーが複雑そうな表情で呟く。ローリー国王は完璧で隙がない、というのがこの国の一般常識であるので、無理はない。
「それに闘技会の件はもっとうまく処理できたような気がするし。それがちょっと、悔しいだけ」
ウィルは斧を放り投げ地べたに腰を下ろすと、投げやりに心の内を明かした。
ニックが闘技会に参加できなかったことや、ジェイミーの緊張を取り除くような言葉をかけられなかったこと。落馬するとき、もう少し工夫していれば、ジェイミーのミスで二人が落馬したようには見えなかったかもしれないこと。
とにかく先日の闘技会に関して、ウィルは後悔しっぱなしだった。二人とは違ってそうそう責められたり殴られたりはしない立場なのだから、もっと出来ることがあったはずなのに。
ウィルの話を聞きながら、ジェイミーは呆れた表情をつくる。
「そんなこと言ってたらまた隊長に怒られるぞ。一週間の薪割りが一ヶ月になったらどうするんだ」
「いいよ。薪割り好きだから」
「そういう問題か? 人の問題に頭を悩ませるんじゃなくて、そろそろ自分の心配をしろよ。念のため忠告しとくけど、今リリーが手作りクッキーをお前に食べさせようと目論んでるからな。絶対に食べるなよ。死ぬぞ」
ニックが片眉を上げて、意外だと言いたげな表情になる。
「貴族は自分で料理を作ったらだめなんじゃないの?」
「そうだけど、本に書いてあったんだってさ。意中の男を落とすにはまず胃袋を掴めって」
「リリーちゃんは王宮暮らしの男の胃袋を掴めると本気で思ってるのか。どんなテンションで生きたらそんな前向きな人になれんの」
話の流れが芳しくない。ウィルは会話のなかに別の話題をさりげなく滑り込ませることを試みた。
「王宮で飼ってる鶏が一日に卵を二つ産んだ話聞きたい?」
「話題変えるの下手くそか。もうちょっと頑張れただろ」
ニックが脱力しながら言う。
流れを変えることに失敗したおかげで、話の焦点が完全に定まってしまった。
ジェイミーが口を開く。
「迷惑ならはっきりそう言わないと、リリーは諦めないよ。訴え続ければいつかウィルが折れると思ってるんだから」
それはひとえにジェイミーの教育の賜物であった。ジェイミーが何でもいうことを聞くので、リリーは少々押しの強い性格になってしまったのだ。
ウィルは、リリーがそうなってしまったことは必然だったと思っている。自分の後ろをちょこまかついてくるリリーを冷たくあしらうことは多分、ウィルにも出来なかっただろう。
「迷惑ってわけじゃないんだけど……」
ウィルの言葉にジェイミーは目を丸くする。
「なんだ、てっきり嫌がってるのかと思った」
「嫌とかどうとかっていうより、本気に出来ないだろ。まだ十五歳だし」
確かに、とジェイミーは笑いながら頷く。どこか肝心な部分がうやむやになっている二人の会話に、ニックが真顔で口を挟んでくる。
「じゃあ、十五歳じゃなくなったら本気にすんの?」
確かに、と今度は真面目な顔でジェイミーが頷く。
ウィルはニックの問いに対する返答には困らなかった。分かりきっている事実を、口にすればいいだけだったからだ。
「リリーには王宮の生活は合わないよ」
王宮は、何から何まで干渉される場所だ。個人のためではなく国のために歯車が組まれている。当然、理不尽な仕打ちも受ける。
王家は今、ウィルが結婚することを禁じている。しかしもしこのままローリーが結婚しなかった場合、必ずいつか、彼らは手のひらを返す。
外部から嫁いできた者には、皆意見しやすい。
ウィルの未来の妻には、周囲に意見されるばかりの毎日が待っている。とりわけ、王位継承権を持つ子供を生むことに関して。
王家に嫁いで来て心を病んだ者は多い。それは当たり前過ぎる結果で、だから必要以上に親しい相手と結婚することは、ある意味不健全なのだ。
名を上げたいとか、贅沢な暮らしをしたいとか、ウィルのことを利用してのしあがりたいと考えるくらいの気概のある女性と結婚する方が、安全である。これは決して悲観的な考え方などではなかった。
「どこに嫁いだって苦労することの方が多いと思うけど。貧乏人の世界にだって嫁ぎ先を追い出されたなんて話はざらにあるんだし」
ウィルは訝しげな視線をニックに向ける。
「だからリリーと結婚しろって言ってるのか?」
「いや別に、お前の好きにすればいいけどさ。でもそんなにリリーちゃんのことが心配なら、側に置いておくほうがなんぼかマシなんじゃないのって話」
「リリーはもっと、静かな田舎みたいなところに嫁いだ方が幸せなんじゃないかな」
「すごいな。リリーちゃんの幸せはお前の思うがままってわけね」
ニックの皮肉に、とげは全く感じられなかった。だからウィルはむっとすることも、かといってジェイミーみたいに「確かに」と頷くこともできず、困り果てた末に空を見上げた。
鳥の群れが飛んでいる。ニックとジェイミーもウィルにつられて空を見上げ、しばし沈黙が続いた。
ニックがポツリと呟いた。
「なぁ、俺たち、頑張ろうぜ」
ウィルとジェイミーは同時にニックの顔を見た。ジェイミーが口を開く。
「頑張るって、何を?」
「何でもいいよ。俺たちは頑張るって、今決めた」
自分勝手なニックの決断に、ウィルとジェイミーが異議を唱えることはなかった。
「ああ、そうしよう」
「何か頑張ろう」
鳥の群れが山の向こうに消えてしまうまで、三人はのんびりと空を見つめ続けていた。




