それの何が悪いんですか
国軍本部の医務室に、建物が崩れ落ちるのではないかというくらいの怒号が響いた。
「何を考えているんだお前は!」
腕を組み剣呑な視線を向けてくる騎士隊の隊長に、ウィルは直立不動のまま小さく抗議の声を返した。
「でも、あのままじゃ……」
「落馬しかけている人間を助けようとしてはいけないと、あれほど教えただろう! お前まで死ぬところだったんだぞ!」
隊長が怒鳴ってすぐ、隊長の背後に控えている副隊長が控えめな声を出した。
「あの、隊長。ジェイミーは死んでませんよ」
「手綱の操作を誤る騎士など、死んだも同然だ」
衛生隊の治療を受けているジェイミーは、気まずそうに床をみつめている。手首を痛めてしまったらしいが、衛生隊の隊員が診たところによると、幸い骨は折れていないという。
「運がよかったとしか言いようがありませんね。もし対戦相手がウィルじゃなかったら、間違いなくこんな怪我じゃすみませんでしたよ」
衛生隊の隊員の言葉に、隊長はますます目付きを鋭くした。
「ウィリアム。お前、自分がどうして怒られているかちゃんと理解しているんだろうな」
「いえ、あんまり……」
隊長の問いにウィルは正直な答えを返す。
ウィルは無傷だった。ジェイミーも大怪我を負わなかった。一人だけ無事でいるよりも、二人とも無事な方がいいに決まっている。
もちろんウィルは、軍学校で教わったことはなるべく守りたいとは思っている。しかし落馬しそうな仲間を助けてはいけないという教えには、いまいち納得できていない。
過去に何度も事故が起こったということは知っている。馬に乗っていると気が大きくなって、実際の能力以上のことが出来ると思い込んでしまうということも。
とくに隊長は、ウィルに対してはくどいくらいに安全面に気を付けるよう言ってきた。それはウィルの身分を慮っていたからではなく、ウィルが自分自身の能力を必要以上に高く見積もっているのではないかと危惧していたからだろう。
ウィルの返答を聞き数秒間黙り込んだ隊長は、眉間に寄せていたシワをふとゆるめ、真顔になった。
「お前は……陛下にそっくりだな。兄弟そろって、何でもかんでも自分一人でコントロールしたがる」
隊長の言葉に、副隊長、ジェイミー、ジェイミーの治療をしている隊員と、それからなぜか医務室のベッドに意味もなく寝転がっているニックが、ぎょっと目を見開いた。
「た、隊長。不味いですよ。陛下を侮辱するなんて」
副隊長の忠告を無視し、隊長はウィルのことを正面から睨み付けた。
「自分だけは死ぬはずがないと考えているのなら大間違いだ。お前も他の人間と同じで、馬に頭を蹴られただけであの世行きだ。いいか、俺は規則だから守るべきだと言ってるんじゃない。誰だって悲劇を防げるものなら防ぎたいと思うに決まってるだろう」
「防げました。それの何が悪いんですか」
ウィルが口答えした瞬間、ニックが大げさに咳払いした。それから身ぶり手振りで、とりあえず謝っておけ、というようなことを必死の形相で伝えてくる。
ウィルはそれを、見なかったことにした。自分は絶対に間違っていないと思った。ジェイミーを見殺しにする理由など、どれだけ隊長が言葉を尽くしたところで、ありはしないのだ。
隊長はウィルからわずかも視線をそらさず、言葉を続けた。
「安全な選択をすることは格好悪いかもしれないが、悪いことじゃない。称賛が欲しいだけならそこら辺で勝手に慈善活動でもしていればいい。騎士隊はお前の活躍を演出するための舞台じゃないんだぞ」
「隊長だって立場が同じなら、同じことをしたでしょう」
称賛されたくてジェイミーを助けたわけではないことを、隊長はちゃんと理解しているはずだ。それなのにしつこく咎められることに、ウィルは内心、うんざりしていた。
隊長はよりいっそう、不機嫌な声を出した。
「俺に出来ることはお前にも出来て当然なのか。随分と偉くなったもんだ」
「どうしてそんなに突っかかるんですか。隊長の気に障るようなことを何かしましたか?」
「俺の顔色をうかがっている場合か? いいか、何度でも言うぞ。お前は今日、死んでもおかしくなかったんだ」
ウィルと隊長の口論が白熱してきたとき、医務室の入り口から扉を叩く音が聞こえてきた。
隊長が返事をすると、騎士隊の隊員が一人現れた。敬礼したあと隊長の側に歩み寄る。
「ジェイミーの馬ですが、やっぱり様子がおかしいですね。何か盛られているかもしれません」
隊員の報告に隊長は険しい表情をつくる。
「ジェイミー。嫌がらせをされるような心当たりはあるか」
「ありますが、誰の仕業か特定するのは難しいかと……」
幼い頃から貴族間の派閥争いの渦中にいるジェイミーは、決まり悪そうに答えた。
報告に来た隊員が再び口を開く。
「それから、あの、ジェイミーの妹を入室させても構いませんか」
「はぁ? 連れてきたのか?」
隊長は思いきり顔をしかめて隊員を見た。隊員は気まずそうに頬をかく。
「泣きながらジェイミーに会わせろと訴えてきたので、仕方なく……」
「泣き落としか。彼女の必殺技だ」
隊長はそう言って舌打ちしたあと、諦めたように頭を押さえため息をついた。
「……いいぞ、入れてやれ」
隊員に連れられて、リリーが医務室に入ってきた。リリーは不安げな顔で部屋の中を見渡したあと、わぁ、と泣きながらジェイミーに抱きついた。
「ごめんごめん、びっくりしたよな」
ジェイミーは弱ったような表情を浮かべながらリリーの背中を撫でている。
隊長は何も言わず、副隊長をともなって部屋を出ていった。
ウィルはその背中を見送りながら小さく息を吐いた。ようやくお説教から解放されて、肩の力が抜ける。
「うわ、リリー、鼻水出てる」
「うるざい」
リリーは泣きべそをかきながらジェイミーの首を絞めていた。ウィルはその様子を眺めながら、先程の隊長との会話に考えを巡らせた。
やっぱり、自分は間違っていなかったとウィルは思う。危険を冒す価値は、十分にあった。もしまた同じ場面に出くわしたとしたら、また同じことをするだろう。そんなことを考えながら、ボロボロ涙をこぼすリリーの姿をいつまでも眺めていた。




