皆言ってる
リリーの兄が騎士見習いから、ただの騎士に昇格した。
王都では毎年、見習い期間を終えた騎士たちを披露するための闘技会というイベントが催される。見習いという肩書きが外れたばかりの新米騎士たちが一対一で戦い、最後まで勝ち進んだ者を表彰するという大会である。
貴族、資産家たちは、毎年この大会の勝者を予測する、大規模な賭けを行っている。大会を主催する国軍はこの賭けを容認してはいないが、禁止することもしていない。なぜなら大会の運営資金はほとんど彼らが持っているからだ。
今年の優勝候補はマーク・ノーリッシュかスティーブ・マリンズのどちらかであると噂されている。二人は軍学校を首席、次席で卒業した秀才で、あらゆる武芸に秀でており、頭も切れ、かつ階級も文句なしという向かうところ敵なしの人材である。
大会の主催者も二人の実力が拮抗していることを十分に理解していて、大会を最大限盛り上げるために、試合の序盤で二人がぶつからないよう配慮している。
ただ、騎士隊の内情を知る者であれば、この予想は安易であり、大会の終盤には番狂わせが待っていると誰もが口を揃えるだろう。
新米騎士たちは、大会で優勝するのはウィルであると分かっていた。それは揺るがない決定事項だった。金はウィルに賭けるべきだと親に助言する者までいた。
優勝候補であるマークとスティーブでさえ、試合の序盤でウィルと対戦することを嫌がった。
皆、注目が集まる大会で結果を残したいに決まっている。優勝は出来なくても、それなりに活躍して軍の上層部や社交界の実力者に己の存在をアピールしたい。
だから第一戦で敗退するわけにはいかない。というわけで騎士たちは勝つ見込みのない試合を互いに押し付け合った。初戦で誰がウィルの相手をするかという話で揉め、最終的に、ウィルの対戦相手はリリーの兄が引き受けることになった。ぼーっとしていたらいつの間にかそうなっていたとは本人の談である。
この騎士隊の裏事情をリリーにぺらぺらと教えてくれたのは、ニックである。
ニックも兄と同じように見習いの肩書きが無くなり正式な騎士となったが、闘技会には参加出来ない。
伝統ある神聖な闘技会の場に労働者階級の血が流れるものが加わったら、神の怒りを買って試合の最中に事故が起こってしまう。そう貴族たちが危惧したためだ。
貴族たちはニックを蔑む気持ちからこのような主張をしているわけではなく、本気だった。彼らは本気で、ニックが闘技会に出場したら事故が起こると思っているのだ。
ニックは貴族たちの意見を無視することも出来た。しかし万が一本当に事故が起こってしまったら、労働者階級出身の軍人への風当たりがますます強くなってしまう。ニックは軍の上層部と何度も話し合いを重ね、闘技会への出場を見送ることにした。
リリーは兄とニック、二人の手下どもを平等に愛していたので、もし二人が対戦することになったとしたら5:5の割合で平等に二人を応援するつもりだった。
しかしニックは大会に出場しないので、リリーの応援は全て兄に注がれることになるはずだった。
ところが兄の対戦相手はウィルである。それを知った時点で、兄への愛はひとまず土に還って、リリーの応援は0:10でウィルに注がれることになる、はずだった。
闘技会の前日、父が従者に言った。明日、ジェイミーとウィリアム殿下の試合を観戦しに行く。その旨をジェイミーにあらかじめ伝えておくように、と。
リリーは困ってしまった。兄も困っているだろう。父はウィルが、試合で負かされたくらいで怒るような人ではないと知っている。しかしウィルの身体能力が、とても優れていることは知らない。
だから父は明日の試合では、兄が勝って当然だと思っているだろう。それどころか、勝つ以外の選択肢は無いと考えているに違いない。もし兄が大衆の面前で、おまけに父が観戦している目の前で負けてしまったら。もしそうなったら、兄はちょっと苦言をぶつけられるだけでは、すまないかもしれない。
大会当日。訓練場を囲むように設けられた階段状の客席は、異様な熱気に包まれていた。誰が試合を勝ち進み、誰が大金を手にするかという話があちらこちらから聞こえてくる。
楽しげに試合の結果を予想する大人たちの中で、リリーは「人の気も知らないで」と心の中で悪態をついた。
今リリーの隣に座っている父は、自分の息子が何かしらで負けてしまったときに、励ましの言葉をかけてやれるような人ではない。
リリーは多分、大会に出場する騎士たちよりも緊張していた。どうか兄がへまをしませんように。奇跡が起こってウィルに勝てますようにと昨晩からずっと祈っていた。ウィルは父の性格を知っているから、もしかしたらわざと負けてくれるかもしれないと、そんな期待もしていた。
そもそもどうして自分がこんなに緊張しなければならないのかと、怒りすら湧いてきた。全てはぼーっとしていた兄が悪いのだ。あとで文句を言ってやらなければ。
リリーが深いため息をついたとき、背後からも同時にため息が聞こえてきた。何となく振り返ってみたら、リリーの背後に座っている人物が「げ」と声を上げた。
「しもべその2……」
リリーが呟くと、しもべその2はものすごく嫌そうな顔をした。
「……どうも」
「しもべその2、こんなところで何してるの?」
「父上の付き添い。ていうか、その呼び方やめろ。せめてその1にしろよ」
「分かった。ねぇ、その1。最近はいい子にしてる?」
「おかげさまで!」
しもべその2もとい、その1は、やけくそ気味にリリーの問いかけに答えた。
ちょうどいい遊び道具が見つかった。一人で考え込んでいても神経がくたびれるだけである。リリーはその1と適当に世間話をして、緊張をまぎらすことにした。
その1は、リリーの隣に父が座っているからか、それとも自分の隣にその1の父が座っているからか、真面目にリリーとの会話に応じてくれた。
順調に会話を重ねていると、その1がこう切り出した。
「ジェイミーさんはついてないよな。初戦の相手がウィリアム殿下だなんてさ」
リリーは少し感心した。ついこの間までウィルの顔と身分が一致していなかったその1が、今ではウィルが闘技会の優勝候補であるという裏情報まで握っているなんて。
リリーの感心は、早合点だった。
その1は身を屈め、声を潜めてこう続けた。
「知ってる? この試合、殿下の出来レースだって噂だ。だからジェイミーさんも殿下の顔を立てるためにわざと負けなきゃならないんだってさ」
リリーは思わず顔をしかめた。
「誰がそんなこと言ってるの?」
「皆言ってる。だって、考えてもみろよ。これといった取り柄のない殿下が、どうして騎士隊なんて花形の隊に入隊出来たと思う? 見習い期間だって、ずっと王都から離れなかったじゃん。特別扱いされてる証拠だよ」
「公務と軍の仕事を両立するために支部への移動を免除されたのよ。南で起こった山火事の慰問にだって、行ってたわ」
「王家が作ったシナリオを真に受ける人間がいるとはね。こう言ったら悪いけどさ、殿下は結局、子供を残すことくらいしか存在価値がない……」
「ケニー!」
その1の言葉を、その1の父が遮った。その1もとい、ケニーが小さく舌打ちする。
「父上がおっしゃっていたことでしょう」
「不敬だぞ。申し訳ない、ハデス伯爵。ご令嬢に悪影響がなければいいが……」
「構わない。現実を知ることはリリーのためにもなるだろう」
リリーはケニーと、ケニーの父と、それから自分の父に順番に目を向けて絶句した。
どこかの誰かが勝手に作り上げたウィルの虚像を、三人はまんまと真に受けているらしい。ウィルの人生は、ウィルとは全く関係のない場所で回ってしまっているようだ。
突然、客席が騒がしくなった。着飾った新米騎士たちが馬に乗って入場を始めたのだ。訓練場の中心に並んでいる衛兵たちが、一糸乱れぬ動きで銃を空に向けた。目の覚めるような銃声を合図に、様々な思惑が交錯する闘技会の幕が上がった。




