ようこそ、ここはアオジの森だよ
秋の乾いた空を彩っていた紅い葉達が零れ落ちる。
冷たさが加わり、薄手では肩を震わせるほどの風が肩を撫で上げる。
都から程近い場所に『アオジの森』がある。平時であれば森林浴に最適だが、魔物がごくごく稀に出没することから気苦労が絶えないスポットになっている。
冬半ばであることも相まって、特有の芳香はとうに薄れている。可憐な花弁さえも地に触れてしまった後だった。
今のここは閑静な場所だ。本来観光に来ようともしない時期に、地面を踏み締める足音が静かにひとつ、ふたつ、みっつ。規則的で緩やかな足取りで、三人の冒険者が森の入り口に近付いていく。
既に息も絶え絶えな術師の格好をした女の傍に剣を持った戦士が寄り添う。心配しているというよりもまたか、といった呆れの感情が強い毛色を示していた。
先行するもう一人の甲冑を着込んだ男は森の入り口に打ち立てられた看板を一瞥する。曰く『魔物出没注意』というえらくざっくりした内容で、赤色のペンキで描かれているものだから無駄に恐怖を煽ってくる。塗料の匂いは鼻先が捻じ曲がる程強烈で、木漏れ日の間からテラテラと輝きを放っている。
足元を見ると、地面に靴跡が見受けられた。すり足で地面をこするとまだ踏みしめられてからそう時間は経っていないのだろう、と甲冑の男が推測する。
加えてこの看板が立てられたのも今しがた。それも作りたてということになる。
「ようこそ、ここはアオジの森だよ!」
森の入り口から外れた獣道よりしわがれた声が響く。心なしかその音は弾んだ声音を響かせていたが、少々焦りの色も垣間見えた。
「あーあー、あんたら冒険者かい? なら良かったけどここらは魔物が出没するから注意してな!」
雑木林をかき分けるようにして出てきたのは初老の男だった。しかし体躯は思いのほかがっしりしていて、肩には看板らしきものを抱えている。
危なげなく持ち運んでいるそれには『立ち入り禁止』の文字が書かれていた。奇しくも目の前にあった看板の文字と書き方が一緒だった。
「そいつは俺が書いたモンでな。ここらで木こりをして木材を売ってるんだが、最近狼の魔物が出没するようになっていかんともしがたくてよ」
どうやら間違いはないらしい。先ほどの出没注意の看板と男を見比べながら、甲冑の男は首を傾げた。なら大事になる前に男も逃げておいた方が良いのではと疑問をぶつけた。
「へへぇ、でも仕事しねェと殺される前に飢え死ぬでな。それに職人は手ェを動かさくなっても死ぬんだ」
カラカラと軽快に冗句を笑い飛ばす。胆力ある物言いといい、男もこの森に常駐している口だろう。この手の職人を名乗る者は作業場を現地で行う者も多いらしく、魔物がいたところでそれも数度経験しているに違いない。呑気に見えるのは危機感がないのではなく慣れによる順応だ。
「とはいえ退治するアレソレを仕事道具で賄うことも出来ねェし、後で冒険者を寄越そうと思ったんだが。良かったら引き受けてくれねェか?」
無論報酬はたんまりと出す、と男は頬をポリポリと書きながら申し訳なさそうに具申した。
既知でない、見知ったばかりの人物からこうした仕事を受けるというのは特段珍しいことではない。冒険者にとって報酬と労力が見合うものなら臨時収入として懐に収めるのも選択としては悪くない。事無かれでやんわりと否定する者も当たり前だが存在するし、この臨時の『依頼』についても甲冑の男達は同様の選択権を得られている。
とはいえどうせこの森を通過するのに歩き回る必要がある。甲冑の男は仲間の二人に意見を求めると、共に問題は無いと首を縦に振った。
「おぉありがてェ。ヤツらは俊敏で群れを作って行動するから注意しろよ! 10数匹くらいの群れだから気をつけてな」
◇
朝に冒険者達と出会ってから半日して、狼の魔物の尾を刈り取って冒険者達は戻って来た。丁寧に拭っているが鉄臭いにおいがするのは、冒険者の着用している甲冑だけのせいではないに違いない。
木こりの男は報告のための打ち合わせ場所として指定した森の中のログハウスで数を確認する。こんなことしたくはないが、緊急の依頼を出した都合上、手間はこちらが負担しなければならない。
「間違いねェ。最近この森を荒らしてた種類の魔物だ。大柄のもあるからコイツがボスか。いやぁ助かったよ」
この森は気候に恵まれていて、冬場でも木の実が地面に転がったままになるくらいには食料に困窮することはない。渡りの群れが飢えを凌ぐために森に居付いた手合いである。
男は木こりの仕事をしてもう40年を超えるが、経験則からそう答えを導き出す。残党の魔物が残っていたとして、ボスが退治されてしまえば流浪するか、孤立して森を出て行くことになる可能性は高かった。
「こいつが報酬だ。少ないかもしれねェが折半して小遣いにしてくれ」
男は汚れた袋にぎっちりと詰め込んだ銀貨を机の上に置く。冒険者ギルド等に3人分の冒険者の斡旋をするなら十分な金額が封入されている。
甲冑の男が手慣れた手つきで無作為に袋から選んだ銀貨を手に取る。銀貨の縁を指でなぞったり裏表を確認してから袋に入れ直し、懐に仕舞いこんだ。
「そうだ、アオジの森を抜けた先はまだ紅葉が見られるらしい。気を付けて行ってきな!」
当たり前だが、彼らは冒険者だ。紅葉なぞに毛程も興味がないかもしれないし、淡々と隣の町を目指して進むかもしれない。世辞かは不明だが術師は期待に眼を輝かせていたし、男達も簡素ながら礼を伝えて足早にログハウスを去って行った。
気付けばもう闇の深い時間になっている。最近はめっきりと暗くなる時間が早まったもので、またこの季節がやってきたということを痛感する。
せめて彼らに飯を奢ったり泊まったりと促していれば良かったかもしれない。一日でばたばたとしていたせいで気が回らなかった。次にここを通った時にはもう一度礼をしなければならない。
これが一期一会の出会いだとして、また次の冒険者が来た時にすればいいか、と男は楽観視して伸びをした。
「……いけね。あの看板外すの忘れてた」
魔物の所為で止まっていた仕事に、今しがた思い出した急務の雑用と、冒険者同様に男も忙しい日々に翻弄されなければならない。
木こりの男は冒険者が辿ったであろう道を逆に、風に運ばれた金木犀の匂いの糸を引きながら森の入口へと歩み出した。