婚ぎの月、23日
(試し書きの跡が紙の上部に残っている。)
初めに、文字を教えてくれた恩師アレクサンドロと、5男ながら学舎に送り出してくれた偉大なる商人にして我が父フィリッポに感謝を。
特に恩師アレクサンドロには、学生時代に“小さな樽”と渾名をつけたことに関して、近々神殿に赴き懺悔したい。父に対しても、灯台守が日記を書くために学校に行かせたわけではないのだから、それを合わせて天に悔いを伝えよう。
私としても、こんな国の外れの港町に流れ着くことなど、まったく本意ではないのだ。
周りの反対を押して戦争に向かったのは自分の意志であるし、武功で身を立てるという、明確な目的があったのも確かだ。しかし、得られたものと言えば、そこらの吟遊詩人が語る英雄譚はしょせん物語の中のものだということだ。
碌な装備も配給されず、長い槍を持たされて数列に並べられ、軍師にしか理解できない前進で前や横の男が槍に突かれて命を落としていく。木製の足をもう一本突かなければならなくなったのは、授業料にしては高価で、恩師の洒落よりも下らない。だがしかし、少ないながらも気づくことがあった。
戦場に向かう行軍の時、とある男と並んで歩いた。名前は終ぞ聞かなかったが、気のいい好青年だった。槍の覚えもあるらしく、これを機に国の兵士になり、ゆくゆくは衛士隊に入りたいのだそうだ。彼が私の2列前で死ぬ時までは、私はそのことを純粋に応援していた。
今この日記を書いているとき、世界で彼を知る人間は、私と彼の親や、もしかしたら、好漢であったから恋仲の者もいたかもしれない。しかし、それだけだ。彼は墓さえなく戦場で戦死した兵士の一人として処理される。恋人はいつしか新しい愛でその心傷を埋め、彼は過去の人となるし、親は何もなくともすぐに死ぬだろう。私が死ねば、彼は始めからいなかったかのようになる。私も灯台守として死ねば墓は残るかもしれないが、それは今後も赴任する灯台守の中の一人としての墓だ。私自身の墓は立てられることはない。私が日記を書くのは、この世界に何かを残したかったからだ。この歳で杖を突く身になってしまった私がこの世に何かを残すには、日記しか思いつかなかった。武功で身を立てたかったのも、いま考えると、この世界に爪痕を遺したかったからかもしれない。今となっては、もう後悔すら遅いが。父よ、恩師よ、この懺悔が貴方達に届くことを切に願う。
出来るだけ文字の間を詰めて書いたのだが、結局次頁に入ってしまった。これからリオが来て掃除を手伝ってくれるそうだが、ワインやパンを頼んでおけばよかった。早く来てはくれないだろうか。
明日からは一日の終わりに書くことにする。それでは今日の日記を終わる。
読んでいただきありがとうございます。