魔術師 2
『脳波正常。意識レベル、Grade1。面談及び尋問に支障はありません』
自動ドアの電子音、摩擦音。さらに続けられる雑多な音に釣られて目が覚める。
「開けろ」
起きて、まず目にしたのは一人の男だった。
鋭い眼光に堂々とした佇まい、凄みのある容姿で極道の幹部を思わせる、三十代くらいの男。
(いったいここは……)
どうも記憶が曖昧だ。
自分が今どこにいて、今日が何日で、どういった状況にあるのか……そもそもこの男は誰なのか、全くと言っていいほど思い出せない。
「気分はどうかね?」
「……はい、大丈夫です」
低いが威圧的ではない、思いのほか優しい声音。
人。
それも会話が可能な人。
何も不審な所のない、ごくごく普通のコミュニケーション。
それだけだというのに、張り詰めていた意識がどっと緩んだ。緩んで初めて、目の前に立つ男を警戒していたことに気がついた。
そして同時に思い出した。
ああ……覚えている。
あの現実感のない風景も、踏み潰されるヒトらしき体も、飛び散る血飛沫も全て記憶に残っている。
夢というには濃厚すぎて、現実というにはリアリティーに欠ける不安定な記憶。
夢ならいい。
ただ笑って、呆れて、明日を待てばいい。
だが現実なら?
この理解が到底追いつかない糞ったれな記憶が現実のものなら、僕は一体どうすればいいんだ?
「……色々疑問に思うところもあるだろう。無理もない。
調子が悪くないのなら、早速現状の説明に入りたいと思うのだが……構わないかな?」
混乱は既になく、焦燥もどうしてか感じない。
在るのはただ恐怖のみ。
真実を知りたいと望みながら、心の奥底で恐れている。
「――はい。お願いします」
それでも、恐れには負けられなかった。
RPGの勇者のように勇敢な想いで立ち向かったわけではない。
立派な大人のように、現実から目を背けることを愚かと思ったわけでもない。
『私を……見つけて?』
この夢がもしも現実であったなら、僕には絶対やらなきゃいけない事があるからだ。
「まず君は我々の部隊が実験を行っていた地域……旧市街地付近に倒れていた。おそらく戦闘に巻き込まれる中で気を失ったと我々は考えているが……その時の記憶はあるか?」
「……はい」
夢のような光景。
悪夢のような出来事。
否定したかった事実が語り聞かせるような声音で肯定される。
……わかっていた。
幻であるハズがない。
あれほどリアルな死が、恐怖が……ホラー映画など子供だましに思える地獄の光景が、現実じゃないなんてありえない。
手は震え、足が震え、顎が震える圧倒的恐怖。
体に染み付いてしまったかのように残るこの怖れは、誤魔化しようがないほど現実だ。
「あの、ここは一体……」
「ん? ああ、すまない。君は外人だったな。
ここは翔翼だよ。日本が誇る九州の移動要塞“翔翼”の治療区画。外とは比べ物にならないほど安全だから、警戒する必要はない」
翔翼、移動要塞、外人……
知らない単語ばかりで会話の殆どは理解できない。
だが、耳に馴染んだ単語もある。
日本。
九州。
……どうやらここは異世界というわけではないらしい。
「あの、今って暦でいうところの何年か、分かりますか?」
「は? どうしたんだね唐突に」
「教えてください」
つまりここは――
「……西暦2517年 七月六日だが?」
******
「遅くなりましたー」
「……いや、問題ない。五分の遅れなら、お前にしてはむしろ早い方だろう」
「……? 珍しい。規律にうるさい副隊長が、今日はえらく寛容ッスね?」
「御託はいい。座れ」
「うーす」
しばらくして、男が外に何事か囁きかけると、一人の少年が現れた。
僕と同い年くらいの、目鼻立ちの整った美少年。クラスにいればさぞ女子の注目を集めるであろう美貌が、人を食ったような態度で入室する。
「あ、例の外人っスね。この人がどうかしたんですか?」
「弱くていい。精神把握を発動させながら、お前も一緒に話を聞け」
「はぁ……まぁ構いませんが、バイタルリング……してますよね?」
「原典保持者の保障が要るぐらいの大事ということだ。いいからやれ」
怪訝な表情を浮かべながらも、美少年は命令を受け入れたのか――。
どこからか紫色の本を取り出し、二、三言呟いて僕の方を見遣った。
「では……もう一度聞かせてもらう。
君は2015年……今から502年前の日本に住んでいたのか?」
「はい」
「ファッ!?」
訝しげだった美少年の表情が驚愕に変わる。
……まあ当然だろう。
最初この中年男性に話したときも、怜悧と言っていい涼しげな表情が戸惑いから疑問、混乱と百面相に変わっていったからな。
「どうだ?」
「いやいや……いやいやいやマジですか。……本当です。まず間違いなく嘘はついていません」
「……やはりか」
バイタルリングの故障というわけではなさそうだな――――なんてことを言いながら、頭を抱える副隊長。アキトという少年も、未だ信じられないものを見たという顔をしている。
しかし何なんだ彼は?
副隊長のほうは、まあ見た目と呼び方からそれなりの地位にある人物とみて間違いないだろう。だが同席したこの少年は、容姿の非凡さを除けばただの中学生にしか見えない。にもかかわらず、こちらの言葉の真偽を一瞬で見抜き、断定している。
何者なんだ……?
「実際、可能なのか?」
「無理でしょうね~。真白姉も時間旅行については色々試してるみたいですが、過去にしろ未来にしろ跳べるのは精々20数年前後。制約も多くて、その時代に殆ど干渉出来ない。
あの人がそうなんだから、後はお察しってヤツですね」
「500年……べスティアの出現がなかった最後の時代か。特殊な生い立ち、その上原典適合者となれば、名家の方々がどんな反応をするやら――」
「まあ、プラスに考えましょうよ。
これだけの貴重種……引き取り手なんて山ほどいる。少なくとも僕らの管轄からは外れるでしょうよ」
引き取り手? 貴重種?
……話は見えないが、少なくとも僕にプラスに働くことがない単語なのは確かだろう。
物騒な言葉と、文字通り世界にただ一人取り残されたかのような孤独感から、心臓が早鐘を打つのがわかる。
不安
恐怖
疑心
すべての要素が針のように全身を刺し、穿ってゆく。
「お前は……もう少し言葉を選べ」
「いてっ」
そんな僕の心情を見て取ったのだろう。副隊長が彰人を軽く小突いて諌めた。
「すまない。コイツは言葉も態度も悪いし、性根も善人というわけじゃない嫌なやつだが、丸っきりの悪人という訳でもない」
「うわぁー、微妙な評価」
「君の居た時代がどんなものか知らないが、現在人類はたった一人でも多くの同士が必要な状態だ。積極的に君を傷つけようなんて、誰も思わない」
……意外だ。
どちらかと言えばこの人のほうが冷酷な判断を下すと思っていた。なのにこうして僕を慮って、気遣うような言葉をくれる。
一見とっつきやすそうな少年は、可愛らしい容姿に反して不安を煽るようなことしか言わないのに……。
「いやいや。任務中だと結構エグい指示くれちゃったりするよー、この人。
あと、同い年の男から可愛いは流石にキツイ」
……え?
「彰人、もういい。マインドスキャンを解け」
「う~す」
マインド……スキャン?
「さて、どこから説明したものか……。
文明らしい文明は五百年前に一度滅びかけていて、私たちは君の居た時代に対する知識を殆ど持ち合わせていないんだ。
だから君が何に疑問を持って、何が不安なのか、よく分からない。
良ければ君の質問に私が答えるというスタンスで応じていきたいのだが?」
疑問? 不安?
そんなものありすぎて、何から訊けばいいのか分からない。
最初から全く、丸ごと、全てが違うのだ。別世界と言われても信じられるほどに。
……強いて優先順位を挙げるなら、目先の脅威だろう。
あの黒い怪物……人を襲っていたあの生物について知らなければ命すら危うい。
全ては生きていてこそ。命あっての物種だ。
「あの怪物は……いったいなんなんですか?」
「うむ。当然の疑問だな。
あれは超古代生物……今より五千年前に存在したとされる怪物だ。我々はべスティアと呼んでいる」
べスティア……
「奴らの特徴は大きく分けて二つだ。
あらゆる物を捕食して養分とする雑食性と、外敵の攻撃をすべて遮断する硬い外殻。
べスティアは非常に食欲旺盛で、金属だろうが生ゴミだろうが何でも喰らう。おまけに好物は人間で、我々を見つければどんな大物も放り捨てて近づいてくる……まさしく人類という種の天敵だ。
さらに厄介なことに、我々には通常の手段で奴らに対抗する術がない。
君も見ただろうが、奴らは様々な姿形をしていても表面の色は同じ黒だったろう? べスティアはそれぞれが皆体表を硬い外殻で覆っているんだが、その強度はとても人の手でどうこうできる物じゃないんだ。非常に硬くて、拳銃やライフル、手榴弾はもちろんミサイルを撃ち込んだところで焦げ痕一つ付かない」
出鱈目な生物だな。
……ホントに地球産か?
「……ってちょっと待ってください?
そういえば僕、アイツを殴って……手とか絶対折れてミンチ確実だと思ったのに、逆にあの怪物のほうが水泡みたいに弾けて……」
「ほう?
それは将来有望だな。君の疑問の答えにもなるが、通常兵器の通じないヤツらを倒すには、こちらも特殊な方法に頼らざるを得なかった」
彼はそう言って手を翳し、何もない空間から茶色の本を出現させた。
先ほど少年が持っていた紫の本によく似た、辞書くらいの大きさの本。
「外法には外法を。
理の外にいる怪物を倒すためには、人間を辞めるしかない。
これは一見すれば何の変哲もないただの本だが、正体は人体に適合してその体を根本から造り変える特殊生体兵器……通称、“魔術書”だ」
特殊生体兵器?
「誤解を恐れずに言うのであれば、私も彰人も人間であって人間じゃない。
基本構造こそ酷似しているが、構成する細胞はまったくの別物だ。30メートル上空からの自由落下にも耐えられるし、皮膚は弾丸をも通さない」
なんというか……
生体兵器というより特撮に出てくる改造人間みたいだな。
「まあ、身体能力の強化はオマケのようなモノだ。。
グリモア最大の特徴は魔力……人間に秘められた神秘の力を覚醒させることにある」
「魔力……ですか?」
「ああ」
特撮から一気にファンタジーな単語が出てきたな。
「魔力は我々にとっても未知のエネルギー―で、その解明は未だ出来ていない。その前提の上で説明させて貰うが、魔力とは万象すべてが持つエネルギーそのもの……らしい。
木が燃えるには熱がいる。水が流れるには重力が要るだろう? 同様に、ありとあらゆる事象には何がしかの力が働いている。そして生物とは、自らの意思でエネルギーを摂取、貯蓄できる者のことを指す。
……ま、古代遺跡の石版に書かれていた言葉だがね。
人間の食事。
植物の光合成。
それらによって蓄えたエネルギーを、よりクセの少ない純粋なエネルギーへと変換したモノ。……それが魔力だと言われている」
………………??
よく分からないが、つまりアレか?
魔力はカロリーと同じって解釈で大丈夫なのか? 使ったら痩せるの?
「んー、カロリーというよりビタミンに近いかな。
純粋な熱量じゃないけど、それでも人体には必要不可欠な栄養素。そんなものを人間は呼吸とか食事とかで補給してると思えばいい」
「……彰人」
「や、不可抗力ですって。魔術はすでに切ってます。
ただ精神干渉系はどうしても後に残るというか、同調が続くというか……そこんとこ、サキュバスは不便っスねー」
まただ。
さっきからこの少年は、口に出していない心の内を寸分違わず読み取っている。
驚愕、疑問、感想……
仕草だけで判別するには細かすぎる思考の山に、ジャストな返答を返すなど、いくら天才プロファイラーだからといって出来るものだろうか?
……違う。
直感ではあるが、これはもっと危険な――次元の違う力だ。
「あの、サキュバスって?」
「……あいつが持っていた本の名前だ。グリモワールNo032“サキュバス”。
淫欲と誘惑を司る、このチャランポランに似合いのグリモアだ」
「チャランポランって……ひどいな~」
「想像し難いかもしれないが、これらの本にはそれぞれ魔物が封印されていてね。その魔物の名をそのままグリモアの名前として使っているんだ。番号は……あまり気にしなくていい。ただの区別用だ」
グリモア。
魔力。
魔物。
未来じゃなくて、12世紀とか錬金術や魔術が栄えていた時代に飛ばされた気分だ。
「えっと……
じゃあさっきから彼が僕の心を読んだかのように会話していたのは――」
「あいつの魔術、本の力だ。
すまないとは思ったが過去から来たなんて話、どうしても信じられなくてね。確証が欲しくて私が命令したんだ。……申し訳ない」
「あ、いえ。それは構いませんが――」
心を、読む?
魔術で?
「魔術書に適合した人間は本に封印された魔物の力を引き出すことが出来る。
その力は多種多様で、炎を出したり雷を出したりなんて物もあれば、こいつのように敵の精神を操るモノ、強力な武器を打ち出すなんてモノもある。
私たちは滅んだ文明の代わりに、魔術書を始めとする太古に存在した魔導技術を使って新たな文明を築いてきたんだ」
頭は意外に冷静だ。
訳の分からない状況に置かれながらも混乱は少なく、すんなり現状を把握しようとしている。
纏めるならこういうことだろう。
1 種としては無敵だった人類に天敵が現れた。
2 かつての文明は一度滅ぼされた。
3 一部の生き延びた人間が天敵に対抗する方法を見つけた。
4 その方法は太古の人間が残したオーパーツを使用したもので、それを利用することで人類は新たな文明を築き上げた。
うん。なるほどぶっ飛んでるな。
「信じられないか?」
「いえ、信じます」
彼らに嘘を吐く理由は一つもない。
世界が終わったことは外を見れば明らかで、僕も実際に化け物に襲われた。
……これでまだ信じないというのは、現実逃避が過ぎるだろう。
余りにも突拍子がないとは、流石に思うが。
「そうか。なら話を続けよう。
単刀直入に言って、我々は君に協力を求めている」
「協力、ですか?」
世話になった。
命を救われた。
謂わば僕は大恩ある身だ。今更協力など惜しむつもりはないが、こんな時代遅れの人間がいったい何の役に立てるのか。
「君は既に力を手にしているのだよ、“久織 螢”君」
「ちか……ら?」
「そう。
我々は危機に瀕している。国や一部の共同体の崩壊という意味ではなく、人類という種としての危機にだ。
その危機に立ち向かえる者は数少ない。
その希少な価値を、尊ばれるべきものを、君は得ているのだよ」
希少な価値? 尊ばれるべきもの?
……分からない。一体彼が何を言っているのか分からない。
「君は、魔術師だ」