第1話 愛される女を愛する男
「では、自分はストーカーではないと、そう言いたいんですね?」
「そうだ。愛するが故だったんだ…彼女を守るためだったんだ…だからいつでも助けられるところにいようって…ずっと見守っていたんだ…」
それをストーカーっていうんじゃないんかいと思っても依頼人だからそんな気に障りそうな発言はよしておく。
拘置所内の接見室で依頼人である田原さんとガラス越しに話す。今日は被疑者である田原さんの依頼で弁護人になるため初接見にやってきた。
「そう!俺はヒーローだ!彼女のヒーローなんだ!」
そう田原さんは大声をあげる。と同時に警官が接見室のドアを開けてこちらの様子を見てくる。
「あー。問題ないです」
そう私が警官に言うとすぐにドアを閉めてまた私と田原さんの2人きりの空間ができる。 秘密接見ってのが我々弁護人や被疑者の権利として認められているのだ。警官に我々の会話を聞かせるわけにはいかない。
「そうですか。ヒーローですか」
「そうだ」
田原さんは本気でそう思っているのか、単に開き直ってしまったのかわからないが、胸を張ってそう答える。
田原さんの被疑事実は傷害事件だ。といってもストーカーをしていた女性を傷つけたわけではないし、そもそもストーカーのせいで捕まったわけでもない。どうやら、田原さんが付けていた女性には他にもストーカーがいて、それを発見した田原さんはその女性を守るためにそのストーカーに手を上げたようなのだ。そして殴られたその男はかなりの重傷を負ったため、その凶悪性から起訴される可能性が高く、こうして私が弁護人なるよう呼ばれたというわけである。
「なんとか示談などで不起訴に持っていければいいのですが…」
「示談だと?俺の愛する人をあんな危険や不安に晒したあの男に謝れっていうのか!」
「落ち着いてください田原さん。実刑を避けたいのであればやむを得ない選択なんです」
少なくとも示談交渉していれば、不起訴はないにしても裁判所から執行猶予を付けてもらえる。形だけでも反省しているという姿を見せておきたいところなのだ。
「いやだ。そんなことをしたら彼女を裏切ることになる」
いやいや。そもそも彼女はあなたのことも知らないし、同じストーカーだと思ってますから。こんな冷静なことは言えない。かなり自分の世界に固執している人のようだから抵抗されるような強い言い方は避けた方がいいだろう。
徹夜明けで眠いせいか、目の前で叫んでる男がいても興奮せず冷静でいられる私。
「今日のところはこの辺で帰ります。何かあったらすぐ連絡ください。それと言いたくないことは取り調べで何も言わなくていいですからね。田原さんには黙秘権がありますから」
「ああ…わかった…またよろしく」
田原さんはまたしゅんとなって暗い面持ちになった。やはり今の自分の立場が不安なのだろう。
「ええ。任せてください」
そう励ましの気持ちを込めて挨拶をし、私は拘置所を後にした。
そうこうしているうちに田原さんは起訴され、一回目の公判期日を終えた。それでもまだ田原さんは頑なに反省の色を見せない。
さて困った。困ったものだから事務所で隣の席の菊池さんに愚痴のような相談をしてみることにした。菊池さんは最近いろんなヒーロー事件に携わっていてかなり忙しい。ヒーロー事件は社会問題になるほど注目を集めているから報道関係者もろもろの取材もたくさん入っているみたい。
私の事件は、田原さんが最近話題にあがっているヒーローって言葉に乗っかったというだけで、菊池さんの受け持っているヒーロー事件には含まれないものだ。だから菊池さんの出番ではなく、私のような新米の受け持つ事件である。実際も被害者と示談して執行猶予もらって終わりってだけの言ってしまえば簡単な事件のはずなのだ。
「相手女性の知らない、むしろ迷惑な存在であるストーカーが守ってたなんて勝手なことを言って、そんな暴挙が通るわけないんですよ。そんな人間がヒーローなわけがありません」
私はデスクでお茶をすすって休憩中の菊池さんにそんなため息混じりの愚痴をこぼす。
「まあねえ。でも守るってなんだろうね。理紗ちゃんは昨日、見知らぬ男にタックルかましたみたいだけどなんで理紗ちゃんは捕まらないんだい?」
「それは自分の自転車を守ったからです。正当防衛です」
「自分の物だから正当防衛って成立するのかい?」
「いえ。他人のためでも認められることはあります。でも今回のようにストーカーされていた女性に危険が現に迫っていたわけでもないですから、そんなないような危険から守ったといっても正当防衛にはならないでしょう」
「理紗ちゃんは優等生だねえ。べつに法律の話をしたわけじゃないさ。正当防衛がその事件で真っ当な主張として通るなんて俺だって思っちゃいない」
「どういうことですか?」
何の話だろう。先が見えない。
「いま話題のヒーロー視点で考えてみようよ。自力救済ってやつ。理紗ちゃんは自力救済ってダメなことだと思う?常識的に考えて」
んー。常識的に考えて…か。自分の感性で答えてみろってことだろうか。
「ダメではないでしょう。自分を守るためであれば当然の権利だとも思います。実際に正当防衛として法律上認められているわけですから」
「ほう。自分のためって場合はまさに自力救済だろうね。歴史的にもやられたらやり返すってのは基本だ」
まあ、黙ってやられろってのは誰しも納得いかないだろう。
「じゃあ、自力救済って考えは、自分のためじゃなく他人のために行使される場合にも正当化できるのかな?」
んー。自力っていう言葉からは何となく自分のためオンリーとも思えるけど、ヒーローの実力行使って観点ならそうは言えない気がする。
「むしろ自分のためよりも他人ためのほうが正当性はあるような気はしますね。自分のためっていうと何となく自分の利益を身勝手なわがままで通すような俗なイメージがあります。他人のためっていったほうがほんと何となくですけど正しいことのような気がしてきます。そもそもヒーローってそういうものでしょうし」
「自分のために戦うヒーローなんて見たことがないもんね。なら今回の依頼人もヒーローなんじゃないのかな」
「たしかに他人のために体を張って戦うことがヒーローの条件ならば、今回の依頼人もヒーローとは言えるかもしれません。それでもストーカーされていた女性はそんなこと頼んでもいませんよ。押し付けであり勝手な主張であることには変わりないのでは。となると自分のためというよりももっと質が悪いように思います」
「でもヒーローってのは人知れず戦うもんだろ?べつに夢物語のヒーローは人類に頼まれて怪獣と戦って窮地に一生を得ているわけじゃない」
「たしかに、人知れず戦うってのもヒーローの条件なのかもしれませんね」
となると、ヒーローの行いってのは誰かのためであるにも関わらず、その誰かとは無関係に存在するのか。いや待って。なにを言ってるのかわからない。
「守られている人のためになったのか、なってないのかなんて、結局害悪が生じていない以上もはや判断はつかないよね。守ったお陰で危険はなくなったのかもしれないし、守らなくてももともと危険なんてなかったのかもしれないし」
「となるとヒーローの行為を誰かのためかなんて議論すること自体無意味になるじゃないですか」
「そうだね。その人が誰かのためだと言って体を張っていて、その誰かに何の害悪も生じないのなら、それはヒーローの行いなんじゃないのかな」
「よくわかりませんね」
「ははっ。俺もテキトー言ってるから意味わからんよ」
「ヒーローって何のでしょうか」
「法律的には許されない犯罪者だろうね。現代においてはそれ以上でもそれ以下でもない」
「…」
「強いて言うなら男のロマンだろう」
「またそれですか」
これがヒーロー事件に詳しい弁護士の発言なんだろうか。新米の私には理解できない。それとも女性だから理解できない?いや、女性だからっていう見解は仕事柄許したくないものだ。
「まあ、大いに悩め。若者よ。俺はうんちしてくる」
「そういうことは言わなくていいですから。勝手に行ってください!」
先輩には失礼だけども相談する相手を間違ったみたいだ…。
どうして田原さんは頑なに示談を拒むのか、そこをちゃんと理解してあげて説得できないとどうやら話は先に進まないのだろう。はてさてどうしたものか。
翌日、ストーカーされていたという女性のもとに訪れることにした。できれば巻き込みたくない関係者ではあるが、検察側にはすでに事情聴取されて巻き込まれているだろうからもはや気にする必要はないだろう。といってもこれ以上巻き込まれたくないと言われたらどうしようもない。自分のストーカー同士が争っているなんてきっと恐ろしいだろうし不快だろうから。
そんな心配はしていたものの、その女性に電話をしてみたら案外すんなり事情を聞くことを了承してくれた。場所は駅前の喫茶店である。うちの事務所に呼ぼうと思ったが一般の人には無駄に緊張させるだろう。そんな配慮である。
「今日は来ていただいてありがとうございます。本当に助かります」
「いえ、私も無関係な立場ではないようですから仕方ありません」
ストーカーされていたという女性の石原さんに挨拶をする。
彼女は何も悪くないのに、自分を中心として問題が生じているのだ。とんだ災難でありほんとに可哀想な立場である。
「検察側にはすでにお話したかもしれません。2度聞くことになることも多いと思いますがご協力お願いします」
「はい」
「ではお聞きしますね。まず初めなんですが、石原さんは今回の事件の加害者と被害者とはお知り合いではないんですよね」
まずは検察側から入った情報を確かめる。
「はい。警察の方から写真を見せてもらいましたが全く知らない人たちでした。実はストーカーされてたってこと自体今の今まで知らなくて、ほんとに驚いてます」
「そうですか」
二人もストーカーがいてどちらにも気づかないなんてあるのだろうか。まあ自分がストーカーされているなんて普段想像もしないだろうからそういうこともあるのだろう。
「今回の事件について何か感じたことなどあれば聞かせていただけますか?」
「特には…」
こんな抽象的な質問じゃあ答えられないのも無理はない。今回私の狙いとしては石原さんには田原さんに会ってもらい示談するように説得してもらいたい。頑固な田原さんであっても愛する石原さんの言葉には逆らえないと思うからだ。そのためにも、石原さんが田原さんに面会できないほど嫌悪感を持っていないか確認しておきたい。無理なお願いではあるけれど。
「できれば石原さんには田原さんに会っていただきたいのです。そして田原さんに反省するように言っていただきたい」
もともと無理なお願いだ。なので石原さんの時間を取るのも申し訳ないのでさっさと本題に入っていく。
「それは…」
石原さんがくちごもる。そりゃ嫌だろうな。
「お願いします。田原さんが反省できなければかなり重い刑を科せられる可能性があるんです」
「えっと…」
むしろ重い刑に処せって気持ちだろう。もはや被害者もろともストーカーを駆逐せよって。
「ぜひ…」
「そうですか、無理なお願いです申し訳ありませんでした。こちらで何とかしますので忘れて下さい」
「えっと…ぜひ伺わせてください…」
「ですよね…って、あっ。えーと。来ていただけるんですか?」
あれ。意外すぎて石原さんの言葉が素直に耳に届かない。来てくれるって?
「はい…。田原さんには守っていただけたようなので…」
「…」
思わず無言になる。自分のストーカーに守っていただけたと?あれ私の感覚がずれてるのかな。なにがなんだか。
「ありがとうございます…では後日私と一緒に田原さんのもとへ行きましょう」
軽く深呼吸して冷静になる。なんて予定通りなのだろう。来てもらえることに越したことはないのだ。これで楽勝だ。
その後、石原さんと当日の打ち合わせをして喫茶店を後にした。なんだか腑に落ちない。なんだろうこの気持ち。これが恋ってやつ?なわけあるかい。
石原さんが田原さんに面会する手続きを済ませ、いざ当日。
私は再度石原さんと打ち合わせをして、石原さんを田原さんのもとへ送り出す。一緒にいくと私が石原に言わせてるみたいで説得力がないだろうから私は部屋の外で待っていることにした。石原さんをストーカーに会わせるのも心配だが、石原さんの安全は警官に任せられるだろう。
しばらくして石原さんが部屋から出てくる。あまり明るい表情ではない。当然だろう。
「今回はありがとうございました。田原さんの反応はどうでしたか?」
そう尋ねると石原さんは申し訳なさそうに小さく肩を沈ませてしまった。
「えっと…あまりお話はできませんでした。お役に立てなくて申し訳ありません…。一応争うのをやめてほしいと言いはしましたが…」
石原さんのその一言で十分なはずだ。愛する人のその一言で怒りの矛は仕舞われるであろう。
「いえ。石原さんの前で緊張していただけでしょう。きっと田原さんも反省したはずです」
「ならよいのですが…」
「はい。ありがとうごさいました。では家までお送りしますね」
何だか手応えはないが、まあ大丈夫だろう。とりあえず石原さんを家に送ってから私が改めて田原さんと会うことにする。石原さんも恥ずかしかったんだろうきっと。今頃申し訳ない気持ちでいっぱいのはずた。
石原さんを送り届けてまた田原さんのもとへ向かう。どれどんな感じで待っていることだろう。
「絶対にあの男は許さない」
接見室には、前よりも意思を強くした凛々しい表情の田原さんが待っていた。
「あの…どういうことでしょうか…」
「石原さんをあんな悲しそうな表情にさせるなんて!石原さんは笑顔が1番なのに!」
もう意味がわからない。なんのことを言っているのでしょうこの人は…。とりあえず田原さんの怒りは流して本題に入る。
「では示談には乗っていただけますね?」
「んなわけあるか!」
ですよねー。って理解不能だ。あの愛する石原さんが説得したのに?どゆこと?
「あの…石原さんには示談を進められたんですよね?」
「そうだ。でも石原さんのためにもここで俺が屈するわけにはいかないんだ」
「さようで…」
私の合理的な思考ではついていけない。これが菊池ぱいせんの言っていた男のロマンだとでもいうの?
「ではまた来ますね…。困ったことがあればすぐ連絡ください…」
「うむ」
なんか姫を護る騎士みたいになってますが…。
今日のところは帰って作戦を練り直すしかない。黙って退散しよう…。
ぶくぶくぶくぶくっ。
お風呂の湯船に浸かって口のとこまで潜る。なんか元気でないときはこのぶくぶくってやるのが落ち着くのだ。なぜかは知らないけど。
1人暮らしのアパートに帰宅してすぐにお風呂に入った。考え事にはやはり長風呂だ。
それにしてもどうしたものだろう。田原さんへの説得は無意味なんだろうか。
べつに依頼人である田原さんがこれでいいのなら弁護人の私としてはどうでもいいことなのかもしれない。でも田原さんの利益を思えば最大限刑を軽くする努力はしたいのだ。
あれ、これも菊池ぱいせんの言ってたヒーローっやつか?頼まれてもいないことに立ち向かう。これでは田原さんと一緒だ。むしろ守られた石原さんに何だか感謝されていたのだから、もしかしたら私の方が質が悪いのかも知れない。
「いや、知れなくない!」
勢い良く風呂の中から立ち上がる。軽く立ちくらみがする。
被告人の最大限の利益のために。それが法治国家を任された弁護士の勤め!これが私の正義なのだ!
自分にそう言い聞かせてやる気を高めてみる。
それにしてもどうしたものか。胃がキリキリしてきた…。