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わたしのかぞく

作者: にしん

 お父さんと、お母さん。

 そして私。

 これが私の家族構成、だった。




 私は、ずっとひとりだった。

 小学生のとき、同級生たちがお兄さんやお姉さん、妹や弟と楽しそうに遊んでいる姿を見て、羨ましい、そう思ったことがある。

 中学生一年のころ、そりが合わないのか、喧嘩が絶えない兄弟たちの愚痴をこぼす同級生の姿を見て、大変だね、なんていいながら心の中では、私にはその相手もいないのに、とまで思うようになった。

 中学二年の冬、私の家族は三人から、二人になった。お母さんは星になったらしい。そんな風にいわなくても、ちゃんと理解できるよ、お父さん。そう言いたかったけれど、滝のように絶えなく流れる涙のせいで、言えなかった。家族が増えることをずっと望んでいたのに、私の家族は減ってしまった。お母さんが星になった事実より、そのことにひどく悲しんでいたのは、お父さんには秘密だ。

 もう増えることは決してない、寂しい二人家族。これは揺るがない現実だった。そのはずだった。


 高校二年の冬、私に新しいお母さんと、念願の弟ができた。




 お母さんは髪を結うのが特別上手だった。手先がとても器用で、お母さんが手を加えるものは、まるで魔法にでも掛けられたように、たちまちきらきらとしたものに早変わりする。だから、私の中でお母さんは魔法の手を持った魔法使い。私の長い髪も、お母さんの手でいつも可愛く飾ってもらっていた。毎日変わる私の髪型に、友達たちも目を輝かせていた。私は褒められたことをお母さんに話し、お母さんも私の話に笑顔で応え、じゃあ、明日はこうしよう、ああしようと、まるでいたずらを思いついた子どものように笑った。

 けれど、お母さんは自分の髪には無頓着で、いつも乱雑に一つに結っているだけだった。綺麗な黒髪なのに、勿体ない。そういったことがある。お母さんは、「雪子の髪を結うのが楽しいの。さらさらな雪子の黒髪に惚れちゃったのよ」と答えた。私には言葉の意味が、まだよくわからなかったけれど。


 ある日、お母さんと喧嘩をした。もう内容すら思い出せないような、本当にどうでもいい、そんな喧嘩だ。けれど私は余程腹を立てていたようで、その日一日、お母さんを無視した。お母さんも少し不機嫌そうだった。お父さんは、私とお母さんの間で、ただただ困惑していた。

 翌日、お母さんはいつも通りに私の髪を結った。しかし、私は頭に違和感を感じていた。できたよ、というお母さんの言葉で鏡を見ると、私の髪型はどこぞの化け物のようなへんちくりんな代物に早変わりしていた。私は驚いて絶叫した。その私の様子を見て、お母さんは大笑いしていた。お母さんはやっぱり魔法使いだ。逆らうもんじゃない。幼い頃の私の教訓だった。

 その後、お母さんは笑いながら私の髪を結い直し、満足げに私を送り出した。お母さんのいたずらのおかげで、私は少しばかり幼稚園を遅刻し、私を幼稚園まで送ったお父さんも、上司にお小言をくらったという。やれやれ、我が家の女性陣には振り回されっぱなしだ、とお父さんは苦笑いをこぼしていたことは、後になってわかったことだった。




 こつん、こつん。

 控え目に、私の部屋をノックする音が聞こえた。私は読んでいた本に安っぽい栞をはさむと、閉じられたままの、傷ひとつない綺麗な色をした自分の部屋の扉を見た。聞こえてくるであろう、弟の声を予感して。

「ゆきちゃん。お鍋、できたよって。お父さんとお母さんが、呼んでるよ」

 表で走り去るバイクの音にすら掻き消されてしまいそうなか細い声で、つい数週間前に突然弟になった春太は言った。自然と私の口からため息が漏れる。春太の声の小ささにではない。お父さんと再婚相手の奈津さんの思惑に、だ。

 お父さんと奈津さんはどうやら、私たちふたりに早く仲良くなってほしいらしい。その考えはわからなくもない。これから長く、一つ屋根の下で一緒に暮らしていくのだ。仲良くなってほしいに決まっている。バツイチの子持ちで再婚した二人だ。自分の子

供と相手の子供の相性なんて、特に気になるところだろう。

 だからって、これはない。ここ何日間ずっとこの調子だ。何かにつけて春太に私を呼ばせる。その逆もしかり。私と春太との会話を促そうとしているのが見え見えで嫌だ。子供だと思って馬鹿にしている。私も春太も、姉弟になりたくてなったわけじゃない。本物の姉弟みたいに仲良くなっても、一生この微妙な空気感のままでも、別にどっちだってかまわない。私はそう思っている。だってこういうのは、なるようにしかならないのだから。

 私は手にしていた本を乱雑にベッドに放ると、立ち上がって扉を開けた。少し乱暴な開け方になってしまったらしく、扉の外にいた春太はその華奢な肩をびくつかせた。私は春太のことを無視するように横を通り過ぎると、リビングに続く階段を、速足で降りた。その後ろを春太が一生懸命ついてきているのが、私の少し後ろから聞こえる、そのかすかな足音で、なんとなくわかった。あぁ、なんだかもやもやする。




「お父さんもお母さんも、兄弟がいたから、一人っ子の私の気持ちなんてわからないんだ」


 そういって、何度もお父さんとお母さんを困らせた記憶がある。幼稚園に通っていたころ、小学生の低学年だったとき、何度となく口にしていた。その度にお父さんは笑って誤魔化し、お母さんは苦笑していた。

 その反応の仕方に変化が現れたのは、私が中学に上がる直前、お母さんの病気がわかったころあたりだった気がする。お父さんは怒った。お母さんは泣きそうな顔で、怒るお父さんをなだめていた。それからお母さんは、涙を溜めたままの瞳で私に笑顔を見せ、決まってこう言うのだ。


「ごめんね、雪子。ごめんね」




 リビングに着いたとき、最初に目に映ったのはお父さんと奈津さんの仲の良さそうな姿だった。まるで昔からずっと一緒だった夫婦のように、煮立ちはじめた鍋を楽しそうに見ている。普通になるはずのその光景に、私はなぜか怯んでしまった。堂々とリビングに入ればいいものをそれが出来ずに立ち尽くしている私は、少し泣きそうな、間抜けな表情をしていたと思う。

 別にお父さんと奈津さんに対して反抗心があるわけじゃない。むしろ、大変な思いをしたであろう二人には幸せになってもらいたい。だがそう思う反面、心のどこかに違和感にも似たもやもやが残った。自分でもこのもやもやが何なのか、目の表面にじわりと浮かぶ水分が何なのか、よくわからない。お父さんの幸せを素直に喜べないなんて、私は駄目な娘だ。


 いつの間にか、私の隣に春太がいた。ちらりとその横顔を盗み見ると、春太は大きな目で二人の姿を捉えていた。その目に、あの二人はどう映っているのだろうか。窺い知ることは出来そうもない。

 と、ふいに春太は視線を私に向けた。色素が薄い茶色の瞳で私をしっかりと捉える。正面から見ても、彼が何を思っているのかはわからなかった。私のことを見たのは一瞬だけらしく、春太はまたリビングに視線を戻したかと思うと、堂々と中に入っていった。ああ、あの子は強いのかもしれないな、と私はぼんやりとする頭で考えていた。

 お父さんと奈津さんは入ってきた春太に驚いて、慌てて少しだけ距離をとったが、赤面したままの笑顔はそのまま春太に向けられていた。なんだか入りづらいな、とも思ったが、春太に先を越されたのが悔しくて私もリビングに入った。なるべく堂々と。お父さんと奈津さんは、私にも笑顔を向けてくれたが、今度は完全に二人の間に距離ができてしまった。遠慮をしているのだろうか。私は、邪魔だったのだろうか。


 四人で囲んだ鍋は美味しかった。本当に。私は素直に美味しかったです、と奈津さんに言うと、奈津さんは「よかった」と、ほっとした様子でふわりと笑った。なぜか私は、お母さんの笑顔を思い出した。何故か、胸のもやもやが少しだけ大きくなった気がした。




 お母さんのお葬式はささやかに行われた。けれど、お母さんの人柄からだろうか、知り合いの人が沢山来ていた。そんな参列者に、お母さんの遺影は笑いかけているようだった。そんな中、親族の席にいた私は、泣いてはいたものの、それはお父さんの涙にもらい泣きをしたような安いもので、まだお母さんの死を実感できないでいた。

 ある朝、髪を結うために洗面台の前に立ったとき、私の髪が四方八方思い思いの方向にはねているのを見てぎょっとした。慌ててとかし髪を結ったときに、ふいにお母さんと喧嘩をした翌日のことを思い出した。可笑しくなってくすっときた。そういえば、そんなこともあったなぁ。今思えば、お母さんは私の髪で遊んでいたように思う。でも、私の髪を褒めてくれた。毎日魔法を掛けてくれた。もう、お母さんがあの手で、私の髪に魔法を掛けてくれることはないんだ。途端にとてつもない喪失感が私を襲った。涙が溢れた。嗚咽が漏れた。次第に私は、大声をあげて泣いた。

 心配して駆け寄ってきたお父さんは、私の姿を見て、目に涙を浮かべて私の頭を撫でた。頑張らなきゃな、そう呟いたのが聞こえた。




 食事を終えて風呂を済ませた後、自室で途中だった本を夢中で読んでいたら、もうだいぶ時間が経っていたらしく、日付が変わろうとしている時間帯だった。今日はどれだけページを進めても、睡魔はいっこうに襲ってくる気配はない。ため息をついたとき、こつんこつん、と控え目なノックの音が聞こえた。全く予想していなっかたその音に、私はひとり困惑していた。扉の外にいるのが誰なのかは、小さなノック音でわかっていた。わかっていたから、なおさら驚いた。けれど時間が時間だ。この時間までずっと起きていたのだろうか。最近の子どもはませているんだな。けれど、あの子が私に用があるなんて考えづらい。何にしても、一人で考え続けて、あの子をずっと廊下に立たせているわけにもいかない。。とりあえず中に入れてやろうと私は扉を開けた。扉の外にいたのは、やはり春太だった。

 私の部屋に入った春太は、初めて入った新しい家族の小部屋に明らかに戸惑っていた。私が自分の机とセットの椅子をぽんぽんと叩いて示すと、控え目な動きですこし高めの私の椅子に座った。どうして私の部屋に来たのかを聞こうと思い私が口を開いたのと、春太の腹の虫が鳴いたのは、ほぼ同時だった。


「お腹すいて、眠れなくて」

 晩ご飯のときに遠慮していたのだろうか。けれど、春太のその情けない表情に私は思わず笑ってしまった。私が笑ったのを見て春太も笑った。その笑顔は、やはりどことなく奈津さんに似ている。

 机の引き出しから、小腹がすいたら食べようと思っていたクッキーの箱を取り出す。中から一枚を抜き取り春太に手渡すと、一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに顔を綻ばせてありがとう、と嬉しそうに言った。なんだ、普通に話せるじゃないか。ぼそぼそとしか話せないのかと思っていた私は少し驚いた。

「どうして奈津さんじゃなくて、私の所に来たの?」

 私がベッドに腰掛けつつそう問いかけると、春太はクッキーを小さくかじりながら困ったように笑う。

「二人で一緒にいるから、間に入りづらくて」

「なに、二人でいちゃついてるの?」

 冗談で言ったつもりだったが、春太は顔を真っ赤にして首を左右にぶんぶんと振った。

「違うよ。僕たちの話をしてた」

 ああ、なんとなく想像がつく。どうしたら私たちが仲良くなるのだろうと話をしているに違いない。少しの沈黙の後、春太は口を開いた。

「ゆきちゃんは、お母さんたちが仲良くするの、嫌?」

 春太の質問に驚いた。なんだ、今日は驚いてばかりだ。聞いてきた本人の顔を見ると、不安そうに目をあちこちに泳がせている。

「嫌、じゃない。奈津さんいい人だし。お父さんにはもったいないくらい」

 そっか、とつぶやいた春太に、同じ問いを投げかけてみた。すると、私と似たような答えが返ってきた。でも、と春太は続ける。

「少し変な感じ。だって、僕のお父さんは一人だったけど、今は違うお父さんがいて。でも、今のお父さんも本当のお父さんだから、仲良くしたいよ。僕に色んな話をしてくれるから、楽しい。だけど、僕が今のお父さんと仲良くすると、前のお父さんが寂しくなっちゃう思うかなって」

 その後の言葉に詰まった春太に、難しいよね、と言ったら、うん、と力なく返ってきた。この子はただ現状に身を置いているわけじゃなかった。私が、この子はまだ十歳だから、子供だから、だから何も思わずここに居られるんだ。本当の、昔からの家族みたいに二人の空気の中に入っていけるんだと、勝手にそう思っていた。でも違った。なんとなく私の中のもやもやが何なのか、わかった気がした。お母さんの笑顔が過るわけも。私も春太と同じなんだ。

「お母さんには、なかなか言いづらいから」

「私もお父さんに言えないなぁ」

 春太は私とお父さんには決して似ることのない笑顔を私に向けた。

「なんだ。ゆきちゃんも同じだったんだ」

 安心したように息をついた春太の姿は、今日の奈津さんのそれによく似ていた。

「じゃあ、僕とゆきちゃんは仲間だね」

「えぇ?そこは姉弟にしようよ」

「だってゆきちゃん、お姉ちゃんって感じがしないから」

 そんなことを思われていたのか、生意気な子供だ。私はベッドから立ち上がると、椅子に座っている春太のその華奢なその身体に軽くタックルをしてやる。すると春太は負けじと応戦してきた。隙あり、とばかりに春太の手にあったクッキーを奪ってぱくり。奪ったクッキーを咀嚼していると、膨れっ面になった春太の姿が目に入った。膨らんだ春太の柔らかな頬を人差し指で軽く押すと、口からひゅーっと空気が抜ける音がして、それが無性に面白くて可愛くて、ふたりで笑い合った。

「今はまだ、春太の仲間でいいよ。ゆっくり姉弟になろうよ。お父さんとか奈津さんとも、ゆっくり家族になろう?焦ったっていいことないよ」


 そうだ、焦る必要なんてない。何せ時間はたっぷりあるのだから。その時間の中で、いつかお母さんも奈津さんも、お父さんも春太も、家族として大好きになる日がきっと来る。

 笑顔で頷いた春太は、まだ薄い手で拳をつくると、私に向かって伸ばした。私が首を捻ると、仲間の印、と嬉しそうに言った。

「よくやるんだ、学校の仲間と。ゆきちゃんも、僕の仲間だから」

 だからほら、と、私にもやろうよと促してくる。私は口元が緩むのを感じながら、春太にならって拳をつくった。

「とりあえずの仲間だからね。いつかお姉ちゃんって呼ばせてやるからね」

 言ってから私たちは拳をこつんとぶつけた。何だか子供っぽくて、気恥ずかしい気持ちもあったけれど、それ以上に清々しかった。私は自分の手と、私と決して似ることのないであろう春太の手を見つめた。何故か頭の中に、お母さんのことを指していた魔法の手、という言葉が浮かんでいた。


 夜も遅いので、春太に部屋に帰るように促した。去り際に春太は、明日、お母さんたちきっと驚くね、と言った。私たちのことをやたらと気にかけていたのを、やはり春太も気付いていたようだ。二人のちょっと驚いた、けれど平静を装った顔を想像して、私たちはまた笑い合った。

 布団に潜ると、嘘みたいに眠気が襲ってきた。また一日が始まる。けれど、今までとは確実に違う毎日の訪れの予感に、私は胸を高鳴らせて目を閉じた。




 お父さんとお母さん。

 もう一人のお母さん、奈津さんと、今はまだ仲間の春太。

 そして、私。全員で5人。

 少し変わっているけれど、これが今の家族構成。

 これは、私の家族の話。




 おわり



お読みいただき、ありがとうございました。初めての投稿で少し緊張しました。

楽しんでいただけたのなら幸いです。

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