人を殺すということ。
ニュースを色々と見ていたら、ふとこんなお話が浮かんできて、書き留めずにはいられませんでした。
「ねぇ。先生は人を殺したことある?」
「あるよ」
「え?本当に?!」
「うん。小学校の時だったかな…
今ではどうしてだったか良く思い出せないけど、
同じ学年でものすごく嫌いだったやつがいたんだ。
その時の先生はただの子どもで、
そいつが居なくなれば世界は平和になると思ってたんだ。
小学生の言う世界って、どんだけのものなんだろうね。
でも、その時は本当にそう思っていた。
居なくなるっていっても簡単に転校するわけではないし、
健康そうだったから病気で入院しないし、
事故だってそう都合よくは遭わない。
思い詰めて、思い詰めて…
で、自分の手で排除すれば良いんだって思ったんだ。
考え付いたって言うより、ふと、そんな答えが浮かんだって感じで。
そっか、殺せばいいんだ!
って、何だかスッキリしたんだよね。
その日の夜は、どうやって殺すかばかりを考えながら眠ったんだ。
そしたら…
そいつの葬式の夢を見た。
先生は参列しているんだか、斜め上から見ているんだか分からない視点で、葬式の風景が全部見渡せた。
まず目に入ったのは、居なくなれば良いと思っているそいつの遺影と、その横でご両親が泣いている姿。
母親なんか泣き崩れて、親戚の人に支えられながら座っていた。
担任の先生も泣いていた。
『どうして守れなかったんだろう!』
って泣いていた。
そいつのクラスメイトも泣いていた。
不思議なことに、先生のクラスメイトも泣いていたんだ。
『どうしてこんなことになったんだろう』
って。
式場中が悲しみに包まれていた。
あんなに居なくなればいいと思っていたやつなのに、みんなが泣いている。
ふと気付いたら、先生自身も泣いていたんだ。
『ごめんね』とか『もう会えないんだね』とかつぶやきながら、耐え難い喪失感が全身を覆うのが分かったんだ。
決して周りの悲しみに引きずられたんじゃなくって、自分の内側から、後悔と大事なものを失くしてしまった悲しみがブラックホールのようにわいてきて、全身を飲み込んだ。
その時、気付いたんだ。
確かに大嫌いだったけれど、本当に居なくなるってすごく怖いことなんだって。
失っていい人なんか居ないんだ!って。
そこで目が覚めた。
現実に涙を流しながら、全身をブルブル震わせていた。
寒くて寒くて、怖くて仕方が無かった。
震え続ける手で自分を抱きしめながら、何度も『ごめんね、ごめんね』と自分が落ち着くまでつぶやいていた。
翌朝、一番にそいつに会いに行って、口に出して謝った。
そいつは何が起きたのかよくわからない顔でポカンと先生の顔を見ていたよ。
その間抜けな顔を見ていたら、
本当に、本当に、実行に移さなくって良かった!
という思いが体中を駆け巡って、冷え切っていた体が温まっていくのがわかったんだ。
だから先生は子どもの頃に、心の中で本当に人を殺してしまったことがあるんだよ」
昔のブログで掲載した拙い駄文ですが、なんとなく愛着があって、転載しました。
これはフィクションです。