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都会のすずめ  作者: わた
少女と少年のお話
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はじめまして

いつも通りに、目覚まし時計が鳴った。

日菜はベッドから跳ね起き、カーテンを開く。


今日も気持ちのよい天気だ。朝焼けがうっとりするくらいきれい。こんなきらきらした光景を毎朝見れるなんて、ちょっとしたお姫さま気分だ。


コン、コン、とドアがノックされる。


「はい、どうぞ。おはようございます」


挨拶しながらドアを開けると、そこには眠たそうに目をこする灯と、対照的に爽やかな表情の恭介の姿。


「おはようございます」

「おふぁよぅございますー……」


あくびまじりの灯に笑いかけ、日菜はパジャマの上からエプロンをつける。


「すぐ朝ごはん作りますね。恭介さん、二日酔いは大丈夫ですか?」


恭介は灯をテーブルにつかせてから、おかげさまで、と微笑んだ。


灯も恭介も、朝からきちっと正装だ。

毎日朝ごはんを日菜の部屋で食べるけれど、二人とも寝坊したこともなければ服装が乱れていたこともない。


ただ、灯の着物が汚れないように、恭介は毎朝袖をたくしあげてやっている。


日菜は急いでフライパンを火にかけ、卵をかき混ぜる。お祖父ちゃんが好きだった砂糖多めの卵焼きが、朝の定番メニューだ。

あとはお味噌汁をあたためて。煮物も切り干し大根も余っていたはず。


その時、カリ、カリ、とおかしな音が聞こえた。


「あ、ねこ子さんです!!」

「ねこ子さん?」


灯は椅子から飛び降り、庭へつながる窓を開ける。

そこには、昨日の子猫がいた。ミャオ、と可愛らしく鳴いて、灯の足にすりよる。


昨日日菜が大量に買ったペットフーズを食べた子猫は、だいぶ回復したらしい。


「ねこ子さんって、その子の名前ですか?」


灯は子猫を抱き上げ、嬉しそうに笑う。


「はいっ。ねこさんで、女の子なので、ねこ子さんです」


日菜も笑った。なかなか素敵な名前をつけるものだ。

それにしても、人形もぬいぐるみも持たない灯が、母性を向ける相手ができたのは嬉しいことである。


「ではねこ子さんもどうぞ。まだまだペットフーズは残っていますからね」


灯は神妙な面持ちでねこ子さんを部屋に入れ、


「ここは日菜さんの部屋なのです。おりこうにしていないとだめですよ」


などと注意する。日菜は思わず笑ってしまった。

ねこ子さんは理解したのかしていないのか、とにかく灯を見つめてミャオ、ともう一声鳴いてみせた。


お茶をいれていた恭介はおかしそうに口元をゆがめ、ねこ子さんのためにミルクを皿に用意した。


「ねこ子さんはお嬢の妹のようですね」

「では、わたしはお姉さんですか?」

「はい。そうするとお嬢も大人っぽく見えますね」


そう恭介に微笑まれ、灯は頬を赤らめる。おねえさん、と唇が動き、大きな目がきらきらと輝いた。


「わたし、大人っぽいですか?」


照れたように首をかしげる灯。

日菜はわざと意地悪い笑みを浮かべ、灯のお皿にひとつ多く人参を入れた。


「お姉さんなら、人参さんも残さず食べなくちゃですよー」

「えぇっ」


灯はとたんに泣きそうになる。

少しかわいそうだが、ここで引いたら灯のベータカロチンが足りなくなってしまう。これは偏食を克服するチャンス。ねこ子さんこそ、お祖父ちゃんの思し召しだ。


「甘く煮てありますから。美味しいですよ」

「う……」


ねこ子さんが不思議そうに見つめている。

恭介がもう一度灯をテーブルに着かせてやり、気の毒そうに苦笑する。

それを見て、日菜はしっかり釘をさした。


「恭介さん!!今日は代わりに食べてあげちゃだめですよ。灯ちゃんがねこ子さんに、お姉さんらしいところを見せるんですから」


恭介はギクリと身体を硬直させ、


「……参りました」


と呟く。


「お嬢、人参は栄養満点です。食べればすぐ大きくなれますよ」

「うぅ……にんじんさん、にがてです」


そう言いつつも、そばでミルクをなめているねこ子さんの手前、灯は頑張る気になったようだ。さあ来いとばかりにお匙を握りしめている。

この威勢が失われないうちに、と日菜は急いでお皿をテーブルに置く。


「さあさあ食べましょう!!朝ごはんは一日の元気の源ですよー」


みんなでテーブルについて、手を合わせる。


「いただきます!!」


灯は人参とにらめっこをし、やがておそるおそるひとつ掬った。

日菜と恭介は息を飲みながら、それを見守る。

小さめに切られた人参が、そうっと灯の口に運ばれていく。初めて自分から人参を食べようとする灯に、日菜は深い感動を覚えた。それは恭介も同じらしく、ふたりは涙ぐんだ目を交わしあった。


きつく目を閉じ、勢いをつけて、灯はぱくっと人参を食べた。


これまで、ハンバーグに入れようがプリンにしようが決して食べようとしなかった人参を、今灯は口に入れたのだ。


「灯ちゃん、偉い!!」


日菜は手をたたいて喜び、危うく茶碗を取り落としかけた。

灯は苦々しい顔をして人参を咀嚼し、急いでお茶で流し込む。


「うぅー……にんじんさん、おいしくないです」

「おいしくないものも食べるのがお姉さんです。お嬢は立派なお姉さんになった、ということですよ」


それを聞いて、灯の顔はぱっと輝いた。


「にんじんさん、食べられます。体に良いのですからね!!」


お姉さんと言われた途端にそんなことを言う灯に、日菜と恭介は顔を見合わせて笑った。


「じゃあ、ブロッコリーさんやお茄子さんも食べられますね?」


この勢いで灯の好き嫌いをなくしてしまおうと企む日菜と、困り顔で涙を浮かべる灯。

ふたりを穏やかに眺めていた恭介が、いたずらっぽく口を挟んだ。


「では日菜さんも、チーズを食べられるようにならなくてはですね」

「えっ」


日菜は固まる。昔から、乳製品が大の苦手なのだ。


「ず、ずるいですよぅ……」


灯は形成逆転とばかりに笑顔に戻り、


「では、日菜さんより先にわたしが苦手な食べ物を食べたら、わたしは日菜さんのお姉さんですね!!」


競争です!!とばかりにやる気を見せる灯。

日菜は弱ってしまう。乳製品だけは、お姉さんになろうと食べられる気がしないのだ。


「あたしは妹でいいですよー……」


とんだことになってしまった、と日菜はひとり頭を抱えるのだった。





朝ごはんの後。

お皿を洗っていた日菜のもとに、灯が洗濯物かごを持ってきてくれた。


「ありがとうございます。重かったでしょう?」

「平気なのです」


傍らでは、ねこ子さんがあくびをしている。


日菜は洗濯物を干す前に、灯にあの少年の話をしようと思い立つ。

椅子に灯を座らせ、自分も座る。


「灯ちゃん。今あたしの部屋には、男の子が寝ているんです」

「男の子?」


隣の和室にちらりと目をやり、灯は不安そうな顔をする。


「わたしの知らない男の子ですか?」

「はい。でも、悪い人ではありません。あたしを助けてくれた人なのです」


日菜は少しずつ、昨日の出来事を話して聞かせた。ただ、灯が怖がらないように、空が怪物になった話は言葉を濁らせておいた。


「黙って連れ込んでごめんなさい。大家さんは灯ちゃんなのに」


灯はしばらく黙っていた。

やがてにっこり笑い、明るい声で言う。


「日菜さんを助けてくれたひとを、あかり荘に入れないわけがありません。わたしは全然かまいませんよ」


日菜はほっとして、お礼を言う。


「お名前は何とおっしゃるのですか?」

「名前……」


そういえば、名前を聞いてもいない。


灯は不思議そうに首をかしげ、何かわけがありそうだと悟ったのか、それ以上は何も聞かなかった。


「お腹、空いてますね、きっと」


微笑む灯につられ、日菜もにっこり笑った。


「そうですね。朝ごはんを持って、様子を見に行かないと」






和室の襖を開けると、少年は起き上がり、布団の上でぼうっと壁を見つめていた。


「……おはようございます」


声をかけると振り向き、居心地悪そうに俯く。


「朝ごはん、いかがですか?」


自慢の卵焼きと切り干し大根。それに白いご飯が乗ったお盆を見て、少年のお腹がまた空腹を告げる。

日菜は笑って、布団の傍らに朝食を置いた。


「どうぞどうぞ。おかわりもありますから」

「……どうも」


少年は箸と茶碗を取り、笑顔で布団の横に正座する日菜を不審そうに見る。食事するところをじっと見ていられては、それは落ち着かないだろう。

日菜はかまわずに、明るく声をかけた。


「あたし、日菜っていいます。篠屋日菜。あなた、お名前は何というんですか?」

「名前……」


少年は深いため息をついた。


「……わからない」


小さく呟かれた言葉に、日菜はきょとんと目を瞬く。

少年はぼんやりと自分の手を見つめる。


日菜はひとまず頭の中を整理しようと努めた。

自分の名前がわからないということは、記憶喪失というやつだろうか。それはなんとも……。


そこで少年を見て、日菜は考えるのをやめた。


初めて見たとき、この男の子はこの世界の子なのかとふと疑問に思ってしまったけれど。


日菜は微笑み、少年の手を包み込んだ。


こうやって触れることができるのだし、少年はどう見ても悪い人だとは思えない。

それにこのひとは恩人だ。力になる理由には充分すぎる。


「あなた、このアパートに暮らしませんか?」


少年の目が、驚いたように見開かれる。


あかり荘はもともと、祖父が困ったひとのためにと営んでいたアパートだ。

部屋が埋まるなんてことはないおんぼろアパートだし、家賃はいらない。

灯ちゃんだって、彼を拒絶はしなかった。


家族が増えるだけ。そう思えばいい。


「何も覚えていないのでしょう?」


気圧されたように、少年は頷く。


「なら、思い出すまで。ここで暮らしたらいいですよ!!」

「な…………」


笑顔で素敵な提案をした日菜を見つめ、少年は深くため息をついた。


「……だめだよ。僕は君とは何の関係もないんだ」

「関係ならありますよ。あなたはあたしを助けてくれました」


恩人を見捨てるなんて薄情なことを自分にさせる気なのかと、日菜はやや気分を悪くした。


少年はしばらく口をつぐんでいたが、やがて苦々しそうに、


「……助けてなんていない。あれは、僕のせいだから」


日菜は再びきょとんとする。


「正確に言うとね、君は僕に助けられたんじゃなく、僕に巻き込まれたんだよ。あの赤い空は、僕を追ってきたんだ」


少年の透き通った薄い色の瞳が、 まっすぐに日菜を見つめる。冗談を言っているわけではなさそうだ。


「どういうことですか……?」


少年は辛そうに顔を歪め、頭を押さえた。


「……ごめん。わからないんだ。ただ、あの異様な空も、雲も、僕を狙う怪物の群れの一部なんだよ」


だから、と続ける。


「僕とは関わらない方がいいよ。また怖い目に遭いたくなかったら」


ひんやりと冷たい目を向けて、少年はそんなことを言った。


「何が起こるか僕にもわからない。何も覚えていないから……。ただ、僕は怪物に追われている。それだけは、わかる」


日菜はあの不気味な空を思い出す。

とても恐ろしい、不安な気持ちにさせる空だった。あれがまさに怪物なのだと言われても、すんなり納得してしまう。


「どうして追われているのかは、思い出せないんですね?」


黙って頷く少年。


「あたしは、あなたを助けますよ」


当たり前だ。このまま少年を放っておくのは、あまりに危険だ。

少年は痺れを切らしたように、いまだ添えられていた日菜の手を振り払った。


「だから、僕を助けたって、君に危険が及ぶだけなんだ。わからない?」

「わかりますよ。ただ、それがあなたを追い出す理由にはなりません」


日菜はなおも少年の手を握る。今度は、少しだけ力強く。


「このアパートなら、あなたを守ってあげられます」


自信を込めて微笑む日菜に、少年は一瞬目を見張る。それから力なくため息をついた。


「怪物は、君なんかが思いもよらないくらい、恐ろしくて強大なんだよ」

「あら、それなら」


日菜は微笑みを崩さない。


「このアパートは、あなたが思いもよらないくらい、安心できて居心地よいんですよ」


少年は、驚いたように日菜を見る。

その目からぽろぽろと涙が溢れだしたので、日菜はあわてふためく。


「ど、どうしたんですかっ?」

「わ、わからない。ただ……」


ごしごしと拭うも次から次に涙はこぼれ、少年は途方にくれる。ついには拭うのもやめ、頬には涙が流れっぱなしになる。


「……僕は、ここにいていいのだろうか?」


ぽつりと漏らされた呟きに、日菜は大きく頷いた。


「もちろんです!!」


怪物が一体どんな存在なのか。それは日菜にはわからない。

けれどこのあかり荘が、このアパートのあたたかな日常が、そんなものによって壊されるわけがない。日菜はそう信じている。


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