王国の騎士
やかましく車輪が石を轢く音が聞こえた。それに、聞き慣れないコトコトという音。それが馬の足音だと気づいたのは、お店に向かってくる馬車を認めてからだった。
布張りの粗末な馬車には、全身を銀色の装甲で包んだ人が乗っていた。あれが、騎士というものだろうか。
お店の外に出て、目の前に止まった立派な馬に目を奪われる。こんなに間近に馬を見たのは初めてだ。とても大きい。たてがみがふさふさしていて、黒い瞳が利口そうだ。
セネリーとヒラマも出てきて、日菜を間に挟むようにして立った。
馬車から、ひとりの人物が降りてきた。馬を操る騎士とは違って、軽そうな格好をしている。ばさりとマントが翻った。
背の高い青年だ。淡い金髪を透かすようにして、同じ薄い色の瞳が煌めいている。
やっぱり、この世界のひとは、色素が薄くて繊細な印象を与える。薄井さんと一緒だ。
「テオ、よく来てくれたわ」
「最近は忙しくてね。なかなか顔を見せられなくてすまない」
このひとが、騎士団長のテオデュールさんなのか、と日菜は驚く。もっと筋肉もりもりのひとを想像していた。ところが目の前のテオデュールは、細身で華奢にさえ見える。
「その子が、手紙にあったヒナかい?……別の世界から来たっていう」
穏やかな目を向けられ、日菜は飛び上がる。テオデュールの目は優しいはずなのに、なぜだかひどく怒られているような気持ちになった。
「私を疑うの?テオ。確かに信じられないかもしれないけど、ヒナは嘘なんてついていないわ」
やんわりと責めるように言うセネリー。テオデュールは微笑んだ。
「まさか。君とヒラマのことは信用してるさ」
仲が良いんだな、とすぐにわかる、親しみの込められた言葉だった。
「ヒナ。私はテオデュール・ノシュタイン。君を王都まで送り届ける。よろしく」
「あ、はいっ。よろしくお願いします」
差しのべられた手を取ると、ゴツゴツしていて固かった。かつての……出会ったばかりのころの、恭介の手に似ていた。
「ではすぐに向かおう。悪いが、王都は遠いのでね。ゆっくりするのはまた今度」
テオデュールは申し訳なさそうにセネリーを見る。
「いいわ。それよりもヒナをよろしくね」
「手を出しちゃ駄目よ。他所さまの女の子なんだから」
ヒラマがからかうように口を挟む。それを小突きながら、セネリーは日菜に向かい合った。
「元気でね。あなたに会えてよかったわ」
日菜は感激のあまり声が出ず、ただ強く頷き返した。
テオデュールに手伝ってもらって、馬車に乗り込む。中は木でできた椅子に囲まれる造りだった。
動き出す馬車から顔を出し、日菜は小さくなっていくセネリーとヒラマに手を振る。
「セネリーさーん!!ヒラマさーん!! ありがとうございましたー!!」
やがて完全にふたりの姿が見えなくなると、日菜はそっと腕を下ろし、少し俯いて椅子に座る。
馬車は、見た目以上に揺れる。がくがくと震える視界に、もう酔ってしまいそうだ。おしりも痛い。日菜はもともと、乗り物に慣れていないのだ。
テオデュールが気遣うように、ひと束の藁を差し出してくれる。
「ほら、これを敷くといい。気休め程度には楽になる」
「あ、ありがとうございます」
言われた通りおしりの下に敷くと、確かに痛みは軽くなった。思わず微笑んだ日菜に、テオデュールも笑顔になる。
「ところで、君の話を私にも聞かせてくれないか。どうして、この世界にやってきたのか」
「あ、はい……。そうですね」
そこで日菜は、セネリーたちに聞かせた話を繰り返した。
怪物に狙われる、この世界にいたはずの薄井さんの話を。
「……怪物」
「あの、この世界には怪物が普通にいるんですか?」
テオデュールは首を横にふる。
「君の言うような、得体の知れない存在は私も知らない。……その少年には、何か秘密がありそうだ」
日菜は俯く。こちらの世界の住民も、薄井さん自身さえ知らない秘密。それを、日菜が見つけることなどできるのだろうか?
「それにしても不思議なことだよ。世界の隔たりを飛び越えるなんて。まるで神話のようだ」
「でも、恭介さんは不思議なことではないと言っていましたよ。世界と世界の隔たりは、曖昧なものだって」
「おや。キョウスケさんとは誰だい?」
テオデュールは楽しそうに尋ねてくる。日菜も笑顔で答えた。
「あたしの家族です。背の高いお兄さんで……あ、なんだかテオデュールさんに似ているかもしれません。丁寧で優しいひとですよ」
「そんなひとに似ているだなんて、光栄だね」
その言葉と口調に、日菜はすっかりこの青年が好きになった。それと同時に、セネリーが彼に惹かれる理由もわかった。
日菜ははりきって、灯と恭介との生活のこと、薄井さんと猫子さんが来てからのこと、家族のことをたくさん話した。
「灯ちゃんは泣き虫さんなんです。いつも恭介さんが守っていて、恭介さん、優しいですけど、とっても強いんですよ。反対に薄井さんは臆病さんで、ちょっと意地悪です」
彼のぶっきらぼうな態度を思い出して、日菜は頬を膨らませる。
テオデュールが声をあげて笑った。
「それでも君は、彼のために世界を飛び越えてしまったんだね?」
「家族ですから。家族のためなら、あたし何でもする所存です」
テオデュールは愉快そうに頷く。日菜は興味を引かれ、今度は質問をしてみた。
「テオデュールさんは、セネリーさんと恋仲なんですか?」
途端、テオデュールは激しく咳き込む。
「な、なんだいそれは?」
「ヒラマさんがおっしゃっていましたよ」
「ヒラマ……」
咳が収まってから、テオデュールは涙目で日菜を見る。
「確かにね、幼いころ私とセネリーは夫婦になろうと誓いあった」
「わあ……」
目を輝かせる日菜。今目の前にいる人物が、きらきらした恋の光に包まれていることが、なんだか不思議でどきどきしてしまう。
「……小さいころの話だよ。最近は忙しくてあまり会えていないし」
そう言ったテオデュールは、少し寂しげだった。
「でも、好き、なんですよね?」
「あぁ……。あ、いやっ……」
日菜はにっこりする。
「素敵な恋人同士だと思います」
テオデュールは困ったように笑い、ふうっと息を吐き出した。
「……出会ったばかりの君に言うことではなかったね」
「お聞きできてよかったです」
「不思議な娘だな、君は」
日菜は恋というものに、ほのかな憧れを感じた。
好きな人に好きになってもらえて、それはどんなに嬉しいことだろう。手と手が触れあうだけで愛しくて……。
ふと、自分の手を見てみる。
雨降りの日、薄井さんと繋いだ右手。じんわりあったかくて、自然に笑顔になったっけ。
まさか、ね。