それぞれのお話
この世界には洗剤も洗濯機もないので、洗濯は晴れた日にまとめて小川で済ますらしい。食事は、見たこともない野菜や魚を使った料理。調味料などは似通っているが、セネリーとヒラマはお醤油というものを知らなかった。
似たところも異なったところもあるこの世界。今日一日だけで、日菜はくたくたに疲れてしまった。
夜になると、セネリーたち姉妹はお店の看板を裏返し、しっかり戸締まりをした。
そして、紅茶の用意をしてテーブルで一息つく。ここの紅茶は濃くて不思議に甘く、とても美味しかった。
「日菜、どうかしら。何とか暮らしていけそう?」
「はい。おふたりのおかげです」
ふたりは実にいろいろなことを教えてくれた。この世界の品物のことや、美味しい魚料理の作り方など。
ヒラマが元気よく尋ねる。
「ねえ。日菜がどんな暮らしをしていたか、教えてよ。家族はどんなひとなの?」
日菜は目を瞬く。
家族。
灯ちゃんと恭介さんは、どうしているだろう。薄井さんは?
「えっと……私の家族は、小さな女の子と、背の高い男のひとと、男の子です。あ、それと、猫さんがひとり」
日菜は少しずつ、家族についてふたりに語って聞かせた。話しているうちに胸があたたかくなり、それからきゅっと切なくなる。
「灯ちゃんは優しくて泣き虫な子です。甘いものが大好きで、お野菜が嫌いです。」
ぽわりと心を照らしてくれる、灯の笑顔が恋しくなる。
「恭介さんは素敵なお兄さんです。丁寧で、まるで龍みたいにあたしたちを守ってくれます」
恭介はいつだって、日菜たち、ことに灯を泣かせるようなことはしない。
「薄井さんは……」
薄井さん。臆病で生意気ひと。だけど、一緒にいるとぽかぽかあたたかいひと。
セネリーが不思議そうに首をかしげる。
「あなた、家族なのにずいぶん他人行儀に呼んでいるのね」
そこでヒラマが思い付いたように、
「ヒナったら。そのウスイさんってひとが好きなんでしょう」
「ええっ?」
「だから、他人でいたいのよ。家族と恋愛するわけにはいかないものねえ」
日菜は困惑して、顔を赤らめる。
誰かを好きになる気持ちなんてわからない。日菜の薄井さんに対する思いは、ヒラマが思っているようなものではない。
「……薄井さんは、家族ですよ」
どうかしら、とヒラマが意地悪に笑う。それを、セネリーが咎めた。
「ヒラマったら。ひとの恋路に首を突っ込むのはやめなさい」
「セネリー。ヒナを利用するのはずるいわよ。ほんとは自分たちのことにかまうのをやめてほしいんでしょう?」
途端、セネリーは頬を真っ赤に染めて顔を背けてしまう。例の、騎士団長との関係のことだろうか。
「あの、騎士団長さんってどんな方なんですか?」
興味を引かれ、つい尋ねる。セネリーがすごい勢いで睨んできたので、日菜は一瞬身をすくめた。
「あっその、お世話になるんだし、聞いておきたくて」
あわてて言い繕う。セネリーはため息をついたが、それもそうかと思ったらしい。
「私たちより3つ年上のひとで、本当に最近騎士団長に任命されたの。それにしたって異例の若さよ。真面目だけど、とてもいいひと」
セネリーの声には、普段とは違った優しさが混じっていた。
「彼のお父さんが私たちの父と知り合いでね。私たちも小さいころから見知った仲なの。このお店がお客さんも来ないのに潰れないでいられるのは、彼のおかげ。騎士団が物要りのときには、決まって頼ってくれるの」
きっとあなたの力にもなってくれるわ、と、セネリーは微笑む。
その笑顔にとても美しい何かを感じ、日菜は感心して目を瞬く。セネリーは、本当にそのひとのことが好きなんだ。
「お名前は、なんというんですか?」
「テオデュールよ。テオデュール・ノシュタイン。親しいひとは、テオって呼ぶわ」
立派な名前だ。日菜がそう言うと、セネリーは嬉しそうににっこりした。
「お名前もですけど、この世界とあたしのいた世界は随分と違うようです。あの、王国とか、騎士団とか、そういう仕組みも教えてください」
「あら、そういう話は少し退屈よ。少しずつわかっていった方がいいわ」
ヒラマがいたずらっぽく笑う。
「もうすぐ騎士団長に会えるんだし、テオデュールから聞けばいいわ」
「そうね。もっと楽しい話をしましょ」
そこで、三人はそれぞれの好きなデザートの話に移った。セネリーは季節のフルーツを使ったケーキ、ヒラマはクリームたっぷりのパイ、日菜は綿内さん自慢のみたらし団子。
この世界にないお醤油を使ったお菓子の話に、姉妹はとても興味を持った。
「しょっぱい調味料で作るのに、甘くなるなんて不思議ね」
「お砂糖もたくさん使います。でも、綿内さんのように美味しく作れるひとはなかなかいません」
「いいなあ、ヒナは素敵なひとに囲まれてたのね」
日菜は嬉しく、はにかんで俯いた。本当に、よいひとたちに恵まれたものである。今、セネリーとヒラマに出会えたことも含めて。