雨降りの風景画
日菜は商店街の和菓子屋さん、恭介は八百屋さんで働かせてもらっている。
今までは三人、これからは四人と一匹の暮らし。ささやかなものでも、お金は足りすぎることはない。
商店街の皆さんは、あかり荘の住人のことを気にかけてくれる。亡くなった祖父の人柄の賜物だ。
いつだって良くしてくれるので、心あたたまる毎日である。
「日菜ちゃん、お菓子持って帰りなさいよ」
午後5時の閉店後。
和菓子屋さんのご主人の綿内さんが、人のよい笑顔を浮かべて、日菜に声をかけてきた。
その手には、彼女自慢の和菓子。よもぎの炙り餅と花を模した桃色のあんこ菓子だ。
「すみません、いつもいつも」
綿内さんは時たまこうやって、余ったお菓子をくれる。
「灯ちゃん、甘いもの好きだろう」
「はい。喜びます、きっと」
灯は甘いものが好きだし、その中でも和菓子は大好物なのだ。
笑顔で受けとる日菜に、綿内さんはそれから、と言って、お店のショーウィンドウに残っていたみたらし団子を全て取り出した。
「これは日菜ちゃんに。恭ちゃんと、新しく来たっていう男の子にもあげてね」
「こんなにたくさん。いいんですか?」
抱えるほどお土産が増えてしまった。
綿内さんのお団子はとても美味しい。嬉しくて、日菜は頬が緩むのを止められない。
甘いものって素敵だ。食べている間は、疲れも不安もすぅっと消えてしまう。
「ありがとうございます」
綿内さんは、お土産をビニール袋に入れてくれた。本当に親切なひとだ。
お店の外を見ると、雨が降っていた。
そんなに強い雨ではないけれど、傘は必要そうだ。灰色がかった白い空から、しとしとと降り注いでいる。
(困ったわ。傘、持ってこなかった)
あかり荘を出る前はよいお天気だったので、油断した。
「日菜ちゃん、傘貸してあげようか?」
綿内さんが心配そうに言ってくれるが、これ以上お世話になるのも申し訳ない。
どうしようかと考えたところで、お店先に人影が現れたのが目に入った。
傘を持ち、きょろきょろとお店の中を覗いている。その顔を確認した日菜は、驚いて声をあげた。
「薄井さん!!」
お店を出て、急いで駆け寄る日菜に、薄井さんは決まり悪そうに傘を差し出した。
「灯が、持っていけって」
傘を持たなかった日菜を心配してくれたのだろう。
日菜はにっこりして、お礼を言った。
「ありがとうございます。困ってました」
薄井さんは複雑な顔をしていた。不安そうに瞳を動かしている。きっと怪物を警戒しているのだ、と気づく。
外に出るのは怖いはずなのに、日菜のために来てくれたのだ。
「薄井さん、ありがとうございます」
もう一度お礼を言うと、薄井さんはつんと顔を背けた。
「別に。灯に言われて来ただけだし」
「薄井さん、ほらほら、お団子もらったんですよ。帰ったらみんなで食べましょうね」
ビニール袋を差し出して楽しげに話す日菜を、薄井さんは仕方ないなあ、という目で眺め、
「…………太るよ」
「なっ!?」
日菜は途端に頬を膨らませ、薄井さんにビニール袋を押し付ける。そしてさっさと傘をさし、薄井さんを置いて歩き出した。
「あ、おいっ。なんだよせっかく来たのに」
「知りませんっ!!」
恭介といい薄井さんといい、どうしてこんなにデリカシーがないのだろう。女の子を何だと思っているのか。
薄井さんはばつが悪そうに隣まで来て、並んで歩き出した。
「薄井さんはやっぱり意地悪です!!」
「冗談のわからないやつだなあ」
日菜はじとっと薄井さんを睨む。
「女の子の気持ちを軽んじるからてす」
「悪かったって」
雨はしとしとと降り続いている。アスファルトの濡れた匂いがふわりと鼻につく。この分では明日の花の水やりは必要なさそうだ。
雨は銀色。不思議だ。こんなに綺麗に輝く雨、見たことない。まるで針みたいにきらりと光っている。
それを見ているうちに、日菜の機嫌も和らいでいく。綺麗なものはいいものだ。
「薄井さん。許して欲しければ今日のお夕飯の準備、お手伝いしてくださいね」
「う、わかったよ」
少しの間だけれど一緒に暮らしてきて、どうやら彼は家事が苦手らしいことがわかった。不器用なのだ。けれど、何事も練習しなければ上達しない。
ふたりは雨の中を並んで歩いていく。
薄井さんは片手で傘とビニール袋を持っていた。空いた左手をもてあましているようなので、日菜はなんとなく右手を伸ばしてみる。
ふたつの手は少しの間空中をさまよって、どちらからともなく、つなぎあう。傘の隙間から落ちる雨が冷たいけれど、触れあう手はあたたかかった。
じんわりと、幸せな気持ちが広がっていく。
薄井さんは照れくさそうに顔を赤らめる。日菜は微笑んで、つないだ手にぎゅっと力を込めた。