「お姉さんなのだから妹に譲りなさい」と言われてきましたが、妹だけは譲れません。
「あなたはお姉さんなのだから、コリンナに譲りなさい」
それが両親の口癖で、当然のように妹のコリンナに譲ってきた。
妹がどう思っていたかは、また別の話だけれど。
「…………ねえ、マルーナお姉様。私、これいらないのだけれど」
今日も今日とて顔を引き攣らせたコリンナが、私の部屋を訪ねてきた。
貴族令嬢の部屋にしてはあまりにも質素、だけれどとても落ち着く自室を私は気に入っている。
そしてコリンナの手には、先日母が新しく作らせたブローチがあった。
「あら、それもコリンナに譲りなさいと言われたのよ」
「だからって、こんな趣味の悪いブローチなんて……」
「お母様の趣味を悪く言うものじゃないわよ」
「マルーナお姉様もいらないから私に流しているんでしょう? わかってるからね…!」
コリンナはそう言いながら私のそばにやってきて、私の肩に甘えるように顔を埋めてくる。
可愛い妹がいつまで経っても甘えてくれるのは嬉しいが、言うことは言わないとね。
だって、私は両親の言う『お姉さん』なのだから。
「もうダメよ、お化粧がついちゃうわ」
「……私、お化粧好きじゃない」
「コリンナは本当にお母様と趣味が合わないわねぇ」
「そういうお姉様だってそうじゃない」
「お母様って、最初に私に渡して、それをわざわざコリンナに与えることで差をつけたいみたいだけど、根本的にズレているわよね」
「ねえ、マルーナお姉様。早く家を出ましょうよ……」
コリンナの泣きそうな声が聞こえてきたから、その頬を包んで顔を上げさせた。
その顔はさっきの引き攣った表情よりも悲しげで、思わず自分の膝の上にコリンナを座らせた。
とうに大きくなった妹を簡単に膝の上に乗せるのだから、私もまだまだ甘い。
「まだダメよ。準備は進めているけど、しれっといなくなるには今は時期ではないわ」
「……でも」
「もう少しだから待っててね、コリンナ」
「…………もう早く、マルーナお姉様と二人になりたい」
そう言って、コリンナはひしっと私の首に腕を回してくる。
早くこの大事な妹を連れ出してあげなきゃと思いながら、私も抱き締め返すのだった。
どうやら、お母様自身が長女として妹に譲りなさいと言われて育ってきたようだった。
それに不満を抱えたまま私とコリンナが生まれたものだから、自分の苦しみを解消するように、私を自分に見立ててコリンナばかりを可愛がっているらしい。
コリンナが母に瓜二つなほど容姿が似ているのもあるのだろう。
私としては妹に譲りなさいと言われても、特に困ってこなかった。
そんなこと言われなくても妹は可愛いし、妹が喜んでくれるならまあいいかと思ってきた。
正直お母様の趣味とも性格ともそりが合わないから、真正面から向かうことないとなんとなく幼少期にはわかっていたし。
私には与えずに、コリンナにばかり与える。
ドレスも、ぬいぐるみも、侍女も、愛情も。
だから私は貴族令嬢にしては何も持っていないものし、自分の身の回りのことは自分でできるようになってしまった。
残念ながら、貴族の矜持みたいなものは私には育たず。
最低限の教育以外は干渉されてこなかったのもあって、家を抜け出して下町で働いてみたのだが、そのことに何も抵抗を感じないことが確認できたので、家を出る決意をするのに時間はかからなかった。
入り婿ではなく平民となる道を選んだ叔父に手紙を出すと、運のいいことにしばらくは面倒を見てくれると言うので、一人で黙々と手筈を整えていた。
だけれど、それらはコリンナの心を傷つけるには十分だったと気づいた時には、私はちゃんとコリンナを見ていなかったんだと猛省した。
母の偏った異常な愛、私とあからさまに扱いの違う違和感、それを咎めるどころか面倒臭そうに同調している父への不信感。
何もかもがコリンナを少しずつ苦しめ、両親が留守だったある日、とうとう私の前で泣き出した時には「私がコリンナを守らなきゃ」と思った。
「私は、お姉様と仲良くしたいだけなのに……!全部お母様に止められるっ!お姉様のものを私が奪っているってことは、私が悪い子なのっ……?」
そうやって泣きじゃくる妹をなんとか抱き締めて、私も泣いた。
泣きながら、必死に謝った。
「一人で抱えさせてごめんね、コリンナは悪い子なんかじゃないわ!」と。
その日は、はじめてコリンナと一緒に同じベッドで寝た。
こっそり私の部屋にやってきたコリンナと手を繋いで。
いつか一緒に家を出るかと訊くと、目に光が戻ったように月明かりを映した顔がようやく笑ってくれて、あの時ほど安堵した瞬間はなかっただろう。
だから、物はいくらでも譲れるけれど、コリンナは譲れないのだ。
そのことで母に一生責められようが、二度と会わなければ問題もない。
幸い、父は私たち姉妹に関心はなく、ようやっと生まれたうんと年の離れた弟にしか興味がない。
まだ立てるようになったばかりだという弟に全部を預けて旅立つ姉は非難されるだろうが、そこは亡き者として扱ってもらうしかない。
私はこの家でずっといない者も同然だったのだし、いいですよね?
私には、生まれた時にしか会わせてもらえなかった弟よりも、コリンナの方が大事なのである。
あらやだ、妹と弟で愛情の差があるなんて、お母様みたいだわ。
「……もうすぐだからね、コリンナ」
それから半月経った頃、コリンナの婚約話が持ち上がった。
私ではなくコリンナの、というところがお母様の意志を感じられて、天晴れだな思ってしまった。
まだお父様が探しているというだけだったが、いよいよ時が差し迫っていた。
「マルーナお姉様、どうしよう……、私…」
「大丈夫よ、コリンナ。すぐに叔父様に連絡を取るわ」
真っ青になった血の気のないコリンナの手を握って、私は宥めることしかできなかった。
家を出る決行日は、両親だけで参加する夜会の日となった。
隣国にいる叔父が、その日に迎えに来てくれると連絡してくれたからだ。
私がその日の昼間にいつものように家を抜け出し、除籍手続きをすることになった。
コリンナも行くと言ったが、母に怪しまれるわけにもいかず、一人で手続きをしに行った。
ただの手続きだけだが、あっさり家の人間でなくなってしまって、こんなものかと思った。
案外、肩は軽くなるようだった。
これで、私はコリンナのためだけに生きられるとホッとしてしまって、うっかり泣くところだった。
やっと、大事な妹をあの家から出してあげることができる。
それが、嬉しかった。
両親が馬車に乗ったのを確認して、ひっそりと影のように私たちも家を出た。
使用人たちも夜泣きしている弟に集中していて、思ったよりも楽に家を出れた。
叔父様は、近くに荷馬車を止めて待っていた。
ちょうどこの国に仕事で来る用事があったからと、働き先の荷馬車で迎えに来てくれていた。
隣に乗っているのは奥様なのか、風格のある堂々とした女性も一緒だった。
「やあ、大きくなったな二人とも」
幼い頃に一度だけ会ったことのあった叔父様は、父に似ていない人好きの笑みを浮かべていた。
今日からこの方にお世話になるのだと、身が引き締まるようだった。
「マルーナ、コリンナ。本当に、家を出るのでいいんだな?」
叔父様は、そう私たちに確認した。
私よりも先に頷いたのは、コリンナだった。
「マルーナお姉様みたいに使い物にならないと思いますが、ぜひお願いいたします……!」
その立ち姿は、貴族令嬢の皮を破ったただの少女で、やっぱり泣くところだった。
コリンナの隣に立って、妹の手を握り、私も頷いた。
「威勢のいいお嬢ちゃんだね!そういう子は嫌いじゃないよっ!」
隣にいた女性は早く乗んなと言って、荷馬車の後ろを指差した。
「この人、俺がお世話になっている商会長だから。悪い人じゃないから安心しな」
そう言って叔父様は彼女を指差したので、商会長さんはその叔父の指を掴んでグギギと曲げた。
叔父の悲鳴をよそに、商会長さんはガハハと笑った。
「うちの部下が姪っ子を誘拐してくるって言うんだから、心配してついてきたんだよっ!」
「……痛っえぇ、あと誘拐じゃないっす」
「こんな可愛い女の子を二人も夜な夜な連れて帰るなんて、誘拐みたいなもんじゃないか!女の子を引き取るんだから女を連れて行けってんだよ、気が利かないねぇ!」
「……ということだ。商会長も面倒見てくれるらしいから、甘えるといい」
「えっ」
「こやつもあたしが拾ったのさ!あと二人ぐらい増えてもいいってもんだよ」
「え、あのっ、お世話になります…!ありがとうございます!」
「よろしくお願いします!」
姉妹揃って頭を下げると、商会長さんはもっと笑ってくれた。
「なんだい、貴族のお嬢さんなのに頭を下げられるのかい!これは部下にし甲斐があるねぇ!さあ、乗った乗った!夜のうちに国を出ちまうよ!」
それからあっという間に荷馬車の後ろに乗せられると、私たちはどんどん家から離れていった。
コリンナはずっと家を見つめていた。
私はその隣で、コリンナの横顔を見ていた。
しばらく何も言わなかった私たちだったけど、屋敷が見えなくなってコリンナの小さい口が開いた。
「……家、出れましたね」
「そうね」
「マルーナお姉様と、出られた……」
その横顔に一筋の涙が伝って、私はコリンナを抱き寄せていた。
「……すっかり待たせてしまって、ごめんなさいね」
「お姉様、ありがとう……っ。私、役に立てるように頑張りますから……!」
「もういいのよ、今度からは二人で頑張りましょう、ねっ?」
コリンナの涙を拭いながら、その顔を覗き込んだ。
あの日、私に向かって泣いていたコリンナと違って、その瞳に澱みは見られなかった。
泣き笑いの顔をしたコリンナは、誰よりも可愛くて、誰よりも愛おしかった。
「はいっ!これからもよろしくお願いします、マルーナお姉様……!」
「ええ、よろしくねコリンナ」
私たちは互いの体を抱き締めたまま、来た道をずっと見ていた。
叔父様と商会長さんは何も言わずに、荷馬車を走らせた。
暗い夜の中、私とコリンナは国を出て行ったのだった。
あれから数年経ち、私たちはすっかり商会長のもとで部下として働くのに板についてきた。
最近では母国の隣の国である本拠地以外の国にも、コリンナと一緒に行かせてもらえるようになった。
これも匿ってくれた叔父様と、仕事をくれた商会長さんのおかげだ。
叔父様は、私たちのことは生家には何も知らせないでいてくれていた。
それなのに、叔父が生家から連絡があったと、話を持ち出してきたのだ。
「……本当ですか、叔父様」
「ああ、お前たちがいなくなっただけじゃ済まなかったらしいな……」
「……」
叔父の話は、頭が受け付けるのに時間がかかった。
あまりにも現実味のない話のように思えたから。
まず、生家にいたはずの幼かった弟は流行病でこの世を去ったというのだ。
それだけでも驚きだったが、跡継ぎのいなくなった家では、私たちももちろんいないから頭を抱えたわけで。
そして、父の親戚に嫁いでいた母の実妹の子が生家を継ぐことになったという報告だった。
言葉を失うとは、このこと言うのだろう。
結局母は、長女なのだから譲りなさいと言われ続けた相手である妹の息子に、跡継ぎも取られることとなったいうのだ。
それを受けて、母がどうなったかまでは知らされなかった。
「……コリンナには言わないでもらえますか、叔父様」
「ああ、わかったよ」
私の言葉に、叔父はそれ以上何も言わないでいてくれた。
それだけで、十分有り難かった。
「マルーナお姉様!次は海の向こうの国に行ってこいって、商会長が言ってるわよ!」
何も知らない妹が、今日も元気に私の名前を呼んだ。
「……あら〜、お土産何を買おうかしら」
「センスのいいものにしてね、お姉様」
「私の趣味は別に変じゃないでしょうよ」
「ふふふ、そうね。海の向こう、楽しみだわ!」
私はコリンナの横に立って、何もなかったように叔父に背を向け、商会長のところへ歩いていくのだった。
了
お読みくださりありがとうございました!!
294日目。




