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第7話 抱擁の門

かすかな泣き声が聞こえた。

マーシャの声だった。


扉を開ける。


部屋は乱れていた。

布が床に落ち、水差しが倒れていた。


いつも整えられている部屋。


マーシャが床に座り込んでいた。

手には一通の手紙。


「あ……ああ」

「お嬢様でしたか…….」



空気が重い。

窓は閉じられたまま。

部屋の中に熱がこもっていた。


髪が乱れ、指先が小さく震えている。


乾き切った赤い瞳が

まっすぐ私を見つめていた。


私は何も言えなかった。

どう声をかければいいかわからなかった。


唇が震えた。

落ち着かなかった。


「……出ていってください」


マーシャが私を拒んだのは、

初めてだった。


私は一歩近づいた。


喉が詰まる。


「な、なにかあったのなら話してよ……」


その瞬間、

マーシャの目が揺れた。


歯を食いしばる。

震えが止まらない。


「……あ、あなたなんかに、わかるわけない!!!」


「……何も知らないくせに……」


「お嬢様は……何も失ったことがないでしょう……?」


「家も……家族も……選べる未来も……」


「私は……何も選べないのに……」


「知らない男のもとに送られるんですよ……!!!」

膝から崩れ落ちた。


私はそっとマーシャに抱きついた。

体は冷たかった。


「……知らないよ」

「でも、知りたい」


マーシャの肩が震えた。


「……離れて!!」


強く押し返された。


息が乱れる。


「……もう、ほっといてください……!」


声が震えていた。


「そんな顔で……そんな優しい声で……」


「ここにいたくなるじゃないですか……!」


胸が締め付けられた。

それでも私は離れなかった。


「……嫌」


その一言で、

マーシャの表情が崩れた。


次の瞬間、

強く腕を掴まれた。


扉まで引かれる。


「お願いです」

「出て行ってください……!」


扉が閉まった。


重い音だった。


向こう側で泣き声だけが続いていた。


廊下は静かだった。


私は自分の腕を見た。


跡が残っていた


――扉の向こうでは


力が抜け、その場に崩れ落ちる。


呼吸がうまくできない。

胸が痛い。


「……どうして」


声が震えた。


「どうして優しくするんですか…」


涙が落ちる。


「困るじゃないですか……」


「ここにいたくなっちゃいますよ……」


涙が顔を覆う。


床に落ちていた封筒が目に入った。


祖母からの手紙。


震える手で拾う。


婚姻。

帰還命令。


逃げ場はない。


ここにいたい。

お嬢様のそばにいたい。


朝の失敗も、笑われたことも、

全てが楽しかった。


そんな生活は許されない。


「……近づいてはいけない」


手紙を握りしめた。


決めなければならない。


私はそっと立ち上がった。


――部屋に戻った。


いつもいるはずの、


マーシャの姿が見当たらなかった。


誰もいない。


静かだった。


椅子が一つ、空いている。

朝までそこにいたはずなのに。


床は綺麗だった。


朝、マーシャが拭いた場所。

そこに跪く人はいない。


窓の外を覗く。


庭師がいた。


声をかけなかった。

何をすればいいか分からない。


何もしない時間が続いた。


時間がどれだけ経ったのか分からない。


――コン。


音がした。


久しぶりに、

部屋に変化が生まれた。


扉の向こうに公爵が立っていた。


「空いているな」


部屋ではなく、

ベレナを見て言う。


「何をしておる」


「…待ってました」


「誰をじゃ」


答えられなかった。


「前よりも暗くなったな」

部屋には灯りがあった。


エリアスの指が私の髪をすくう。


「光の映り方が違う」


鏡を見ても何も変わらない。

けれどエリアスの視線だけが髪に残っていた。


「お前さんは決めたのか」


私は答えられなかった。


「……あの子は決めておった」


エリアスの視線が私の瞳に落ちた。


「次はお前さんの番じゃ」


胸の奥が大きくなった。


急がなければ。


私は歩き出した。

止まれば、もう進めない気がした。


「門まで急ぐんじゃぞ」

「迷えば閉ざされる」


胸の奥が強く鳴る。

足は止まらなかった。


門まで走った。

足がもつれる。

それでも止まらない。


馬車が通ろうとしている。


間に合って。


馬車の車輪がゆっくり回る。


息が激しくなる。


「マーーシャーーー!!」


声が裂けた。


「……お嬢様!?」

「……どうして……」


マーシャの顔が見えた。

窓の向こうだった。


力が抜けそうになる。


馬車はまだ進んでいた。


マーシャの瞳が揺れる。

何かを決めかねているようだった。


唇が開く、閉じる。


一瞬視線が遠くへ向いた。

進む先を見るように。


手が窓枠を強く握り、

唇が震えていた。


やがて、窓の向こうで声が上がった。


「……止めてください」


「ですが……」


「止めてください!」


強い声だった。


手綱が引かれ、馬がいななく。


馬車の揺れが止まる。

扉が開く。


マーシャが降りてきた。


靴が土に沈む。


数歩だけ歩いて、

私の前に止まった。


「……どうして……来たんですか……」


「行かないで」


言葉より先に、

体が動いた。


他に何も言えなかった。

ただ抱きついた。


「……ずるいです」


肩に顔を埋めたまま言う。


「お嬢様は……いつも」


声が崩れた。


私はそっと背に手を回した。

細い背中だった。


呼吸が揃い、肩の力が抜ける。


周囲の音が遠のいた。

世界には私たちだけが残った。


私はもう一人ではなかった。

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