第8章 his return【鏡】
洗いたてのシーツの香り。清潔さが肌触りでわかる。久しぶりだなぁ。こんなパリっとした寝具は。
あれ?新しく買い揃えたんだっけ…お母さん、日用品の店苦手だからなぁ。
次ニトリに行ったら…新しいまな板、テフロン加工のデカめのフライパン欲しいな…俺、青椒肉絲を山盛り作りてーんだよ。CookDoのCMみたいなやつ…
「おはようございます。星様。お目覚めですか」
お化粧の香りを纏った女性が俺の顔を覗き込んだ。
「…えーと」
「失礼いたしました。私は赤沼の置屋の仕込みの蘭と申します。ご気分、悪うないですか?」
蘭さんという女性は、旅館のスタッフのような着物を纏い優しく微笑んだ。
少しふくよかな頬、飴色の髪の毛はふわふわだが綺麗に纏められている。
「秦野星です」
「ふふ。存じております。私は20歳の人間ですので、星様と割と歳が近うございますねぇ」
湯気の立つお絞りを渡してくれた。
広げると素材の良さが分かる。高級感が感じられる肌触りに合わせて白檀の香りが広がった。
「またこの香り」
「はい。赤沼の置屋は白檀の香りで色々守ってますから。私は人間なのでよくわからんのですが、この香りが無くなる時は、良くない時やて、理解しとります」
「…蘭さん。ありがとうございます、すみません。俺を連れてきた人達は?」
香りで守るって…昔読んだ妖怪漫画の設定にあったような。もうファンタジーが過ぎるんだよな。はぁ。俺大丈夫かな。
「はい!皆様大広間でお待ちしております。
星様のお着せ替えをお手伝いするよう言われとりますので、よろしくお願いいたします!」
蘭さんはニコニコ微笑み俺の手を握った。朗らかで癒される。寧ろタイプ。なんだが…なんだか露木にほっとかれたのも癪に障る。
今までだったらテンション上がってたのになぁ…。
「いやいや、自分で着替えられますよ」
「星様、お着物自分で着られるんですか?」
「着物!?無理無理!服なら持ってきたし」
「それはあきまへん。雷様に着付けを言われとりますさかい。あと、星様の荷物も雷様が預かってはりますしな!」
蘭さんは俺の腕を掴むと、グイッと引っ張り起き上がらせた。腕は鱗でいっぱいだったが今の俺はそれどころではなかった。
「え!いいって!蘭さん!」
「はい。こちらにお着替えいただきましたら、私が着付けをいたしますよって」
蘭さんからぽんっと白い布が渡された。
「肌着です。尾ぉのところはスリットになってますよって、下から結んでくださいね」
蘭さんは肌着の説明をすると、お茶淹れてきますんでと襖を閉めた。
……俺、前はもっと***モテキャラ***だった気がする。
俺は蘭さんの気配がなくなると、鏡の前に移動した。鏡は布が掛けられている全身鏡だ。
浴衣を脱ぎ捨て、目を瞑った。
そして手探りで鏡の布をゆっくりと取り払う。
怖い。正直手の鱗は見えていたし、起き上がれば尻尾が畳で擦れたからだ。
部屋の外からは人の雑談や笑い声が行き交う。
中には子供の声も混ざっていた。
俺は瞼を恐る恐る開けた。
「マジか…」
腕全体は深く黒に近い青い鱗に包まれ、髪色は黒のままだが、頭上には大小合わせた4本の角が輝いている。
「……琥珀色か」
振り返れば床に着くほど大きな尾がずっしりと構えていた。太く重い。自分とは分離した物体に思える。指の腹を尾に触れさせれば、ビクリと感覚が走る。
「指の感覚も…こいつの感覚もわかる」
自分の身体だ。この尻尾も角も。
鏡に近づき、顔を覗く。そういやあ、眼鏡はどこに行ったんだ。伊達メガネだけどさ…
「うわぁ…デジャブ」
目の中には散りばめられたような無数の光が輝いていた。星空だ。パッと見ただけでわかりやすい情景が目の中に広がっている。
…俺、人間じゃなかったのか。
鱗が首から剥がれてから今まで、何となく理解した気でいた。だけど…この身体の変化は…受け入れられるのか?
お母さん…学校の友達、バイト先の同僚。
みんなと違う。そしてこれから…ずっとずっと違う。最初から違ったのに知らなかった。
なんで急にこんな。昨日、半分くらいは受け入れていた。露木に抱えられた時、白龍の腕は心地よくも感じた。
なのに…知りたくなかった。こんな姿。
俺は急に力が抜けてその場に座り込んでしまった。




