第5話 「苦悩」
深くそれはもう深く深呼吸をする。それでも手は震えたままで、僕の心臓はぎゅっと押しつぶされそうな圧迫感を感じていた。
僕の言葉や行動一つで誰かの首が飛ぶかもしれない。いつもそう思いながら陛下と接している。どんなに頑張ってもそれに慣れることはない。
「父上、エリオスでございます。婚約者候補のことでお話が…」
「あぁ…エリオスか、入っていいぞ。」
「失礼いたします。」
扉を開けると、そこには満足そうにお酒を飲んで笑っている陛下の姿があった。
「どの女も美しかっただろ?お前にふさわしい家柄と財力を持っている女の中で特に美しいと評判のものだけを集めたんだ。気に入ったのなら全員婚約者にしてもいいんだぞ。」
さすがにそれは嫌だな…
「そうですね…確かにどの令嬢も美しかったです。……父上、どうしても婚約者がいないとダメでしょうか?」
僕がそう言うと、陛下は眉をひそめ、怪訝な顔をして僕を見た。
「お前はもうすぐ18になるんだぞ。これまでずっと先送りにしてきたんだ。今回は必ず決めてもらう。」
やはり、もう逃げられないか…
「…分かりました。では、少しだけ時間をください。私の婚約者にするにふさわしい者を選別する必要がありますので。」
「それくらいならまあいいだろう。ただし、成人式の前までには必ず決めておけ。」
「…はい、父上の仰せのままに。あの、一つ気になっていたことがあるんですが質問してもいいですか?オルフェリア公爵家には三人の令嬢がいたと思うのですが、どうしてフローラ嬢を選んだのですか?」
「…あぁ、なんだそんなことか。姉妹の中でフローラ・オルフェリアが一番魔法の腕がよかったからな。お前を補う存在になるかと思ったんだ。」
それで婚約者がいる令嬢を連れてきたのか…
「よくオルフェリア公爵が許してくださいましたね。」
「あの男は愛妻家として有名だからな。妻を人質に取ればなんでも言うことを聞く犬となる。エリオス、覚えておけ。大事にしているものを盾にすれば、どんな人間であれお前に歯向かうことはできなくなる。」
そんなことをしていたら、皆から反感を買い、いずれは自らの首を絞めてしまう。どうしてこの人はそんな簡単なことに気づかないんだろうか?
「…そう、ですね。肝に銘じておきます。」
「そういえば言うのを忘れていたが、明日から城を空ける。」
「どこに行かれるのですか?」
「南の方で静養することにした。帰ってくるのは一カ月後だ。」
「そうですか、分かりました。業務は私が行いますので、ごゆっくり静養なさってください。」
「ああ。悪いな。」
「いえ、それが王太子の務めですので。」
そう淡々と告げる僕が実は心の中で盛大にガッツポーズをしていたなんて誰も思ってはいないだろう。
*****
「リア、父上は明日から南の方へ静養に行くらしい。期間は一カ月。その間に全ての厄介ごとを終わらせたいんだ。手伝ってくれる?」
僕がそう言うと、リアナはパーッと顔を明るくさせてうなずいた。そんなに陛下が嫌いなんだな…
「ええ、もちろんよ!」
「ありがとう。リアがいてくれて本当によかったよ。ひとまず、神殿の件について少しリアの耳に入れておいてほしいことがあって。」
そう言って昼に城下で聞いたことをそのまま話した。
「まさかそこまで酷くなっているなんて…。お父様がいない今のうちに、調査しないといけないわね。私も手伝うわ。」
「ありがとう。本当に助かるよ。神殿は民にとって必要不可欠な場所だから、手遅れになる前に手を打たなければいけなかったのに。」
「リオのせいじゃないわ。いい?全てはあの男のせいよ。リオが責任を感じる必要はどこにもないわ。それに、神殿の惨状を知らなかったのは私も同じよ。」
その時、コンコンと控えめに扉が鳴った。
「入れ。」
「失礼いたします。殿下、セルフィーナ嬢から謁見の申し出がございました。」
「そうか…明日の午後3時に僕の部屋に来るよう伝えてくれ。」
「承知しました。」
パタンっと扉が閉まり一気に脱力する。
「…急に人が来るとびっくりするよ。リアと話しているみたいに話してしまいそうで緊張してしまう。」
「それで、リオは誰を婚約者にするつもりなの?」
「3分の2が婚約者のいる令嬢だからね…選択肢なんてあってないようなものだよ。」
「ということはセルフィーナね。いいじゃない。幼馴染だからリオのことをちゃんと分かってくれているし。」
「といっても、フィーにも想い人がいるっていう噂があるから本人にちゃんと聞いてみるよ。」
彼女は王太子の婚約者として家柄も容姿も基準点に満たしている。ただ、彼女はとてもはっきりとものを言う人だから、陛下とはなるべく引き合わせない方がいいんじゃないかなという心配が頭によぎる。
「もし想い人がいるって言われたらどうするつもりなのよ。今度こそ婚約者を決めないと、お父様がお怒りになるわよ。」
「だとしても本人の意志を無視して自分の婚約者にするのはちょっとね。大丈夫、何とかなるよ。たとえ振られてもね。」
というか…なんとかしないとマズイ…最悪成人式だけでもいいからパートナーになってもらえないだろうか…
こうして悩みの種がまた一つ増えたのだった。