007
よくわからない理屈で見たこともない部屋に入り、見知らぬ人たちにわかったようなわからないようなことを説明ししているうちに、私は目が覚めた。
私は起き上がり、急激に消えていく夢の記憶をなんとなく思い出そうとしながら、天井を見ていた。窓の外から朝の喧騒が、カーテン越しにかすかに聞こえてくると、夢の断片はたちまち消失して、私はゆっくりと首を回した。私は横に座っているドールを見た。あどけなさの残る横顔は、いつか見た奈良の仏像を想い起こさせた。瞬きひとつせず、向かいの壁を貫通して彼方の涅槃を透視する瞳が、薄暗い部屋の中で深緑色の燐光を放っているように、私には見えた。
私はドールの髪を撫でると、立ち上がってドールの頭頂部を見た。さっきまで見ていた夢に、こんな情景があったような気がした。
今日はドールの寝間着を買ってあげよう。
私はシャワーを浴びるために浴室へ行った。
朝食を済ませ、コーヒーを手に仕事部屋へ向かう。部屋の明かりをつけると、入り口に立って中を見回した。身の回りが散らかっているのが嫌いな性格だが、それでも商売柄、気づけば、部屋のあちこちに資料の山ができていた。私は、デスクの横にドールを座らせようと計画していた。あらかじめ考えていた場所には、数冊の本やフォルダが積み重ねてあった。すぐには使わない資料をクローゼットかどこかに移し、書棚を整理すれば、それほど時間も手間もかからないように思えた。
今日はまず、パジャマ…あるいはネグリジェの方がいいかな?それに椅子を買ってこよう。部屋着にはもう少しラフな感じの服がいいな。
ドールのための買い物について考えながら外出着に着替えていると、ふとあることが頭をよぎった。
「ドールの代金は…?」
「蟻の巣」からのメールの内容は、商品発送のお知らせだけだったような気がする。そこには商品代金や請求、あるいは領収のようなものは何も書いてなかった記憶があるが…あのときはそれほど真剣に読んでいなかった。スマホのメールアプリを開き、「蟻の巣」からのメールを探す。私はなぜか不思議な予感があった。蟻の巣からのメールは、消えているのではないか、と。
その予感は的中した。
迷惑メールフォルダ内も検索し、さらにここ数日分のものも目視で探してみたが、「蟻の巣」からのメールは一通も見つからなかった。メールの消失は、むしろ私の心から不安を取り去ってくれた。ドールの送り先である「蟻の巣」とのつながりが切れて、ドールが完全に私のものになったことを証明してくれたような気がした。そのとき、メールの消失という現象に、私はまったく違和感を感じなかった。ドールのいた箱の突然の出現とメールの消失は、あまりに平仄が合っていて、この上なく自然なことに思えた。
私は帽子をかぶり、スマホをバッグにしまうと、玄関のドアを開けた。
ときどき村上春樹の出来損ないみたいな比喩が出てくるのは完全な悪ふざけです。
村上春樹は『世界の終わりと…』がいちばん好きだったな。




