入学式前日
私は王都魔法学園の校門前に立っている。振り向けば、総大理石造りのどでかい屋敷というか、城といっていい建築物がある。さすが王都だ。
明日が新入生の入学式だから今は誰もいない。私はすでに空が飛べる。ここに来るまで人に気づかれないように高く飛び、慎重に郊外の森に下り、馬車に乗って来たから結構時間がかかった。
入学試験は他の子とは別の場所で受けたため、今日が初めて王都魔法学園に来たことになる。こんなりっぱな校舎で授業を受けることができるなんて夢にも思わなかった。これもすべてお母様のおかけだ。卒業したら『雄叫びの森』で一緒に研究をしながら暮らしたい。
お母様から王都魔法学園に到着したら、寄り道をしないで学園長室に行くよう言われている。誰もいない校庭を散策しながら学園長室を探していると、30歳前後の女性が血相を変え走ってきた。
「あなたはララですか?」
「はい。お尋ねしますが、学園長室はどこでしょう?」
「私が学園長のリリア・アイスランです。一緒に来てください。案内します」
「え! いいのですか。わざわざすみません」
校舎が大きすぎてどこに行けばいいか分からなかったので、案内してもらえるのは嬉しい。
「年齢はあなたの方が下ですが、血縁的には私の曾祖叔母の子になります。ですが、まだ幼いのですから困ったことがあったら、何でも相談してください。
決して一人で行動しないようにしてください。試験官に試験会場を破壊したと聞いていますが、お婆さまに育てられたのだから、とんでもない能力ではないかと予想はしていましたが、まさかここまでとは驚いています。
いいですか、これからは何事があっても自分で判断しないで、私に相談してください。賄賂を駆使してやっと学園長になることができたのです。私の安寧を奪わないでくださいね。
あなたもきっと規格外なのでしょうが、せめて性格だけはもう一人のお婆さまに似てないですよね? まぁ、私に言わせればどちらも似たようなものですが……」
ララは学園長の話している意味が全く理解できなかった。もう一人のお婆さま???
学園長室ではリリア学園長から新入生代表の挨拶をするように言われた。人前で話したことなどないのでやんわりと断ったけど……。
「オベルツ家の者は代々新入生代表をしています。私も母が再婚する前はオベルツ家にいましたから新入生代表をしました。兄も弟も新入生代表をしました。これは断れないのです。
あなたはジーニアお婆さまの指導を直接受けています。それは超英才教育を意味します。新入生はおろか、在学生でもあなたより勝る者はいないのです」
リリア学園長は願書締切日までは新入生代表は、王都ですでに飛び抜けた才能があると噂されているロラン・テナールだろうと思っていた。しかし願書締切日に幻影の魔女ジーニアから自分の子が学園に入学するから頼むと訪ねてきた。
リリア学園長が幻影の魔女ジーニアに会うのは10年ぶりだった。曾祖叔母であり、歴代最高魔法士であり、この国一番の現役魔女からのお願いであっても締切り後であれば断る。いや断れないが、少なくとも一度くらい抵抗することはできる。
幻影の魔女ジーニアによれば現時点では自分には及ばないが、私たちの魔法学園の入学時よりララの魔法能力が、比べる必要もないほど遥かに上だと自慢していたのだ。
そのとき、リリア学園長はどちらのですか?とつい言いそうになった。それはジーニュアもいたからだ。噂でしか聞いたことがないが、二人は試験会場を焼け野原にしたということだった。
リリア学園長は幻影の魔女ジーニュアの二女サラ・アイスランの孫だ。
幻影の魔女といわれる所以は二つある。複数の場所に現れることができること。
これは単に幻影の魔女が双子であっただけのことだが、それは国家秘密だった。諸外国は幻影の魔女が転移魔法を使うと勘違いした。
もう一つは若返ることができること。
ただし、この若返りには欠点がある。若返った年齢以降の記憶は忘れる。つまり退行年齢までに知った知識や記憶もすべて失ってしまう。ジーニアはララとの記憶を忘れたくなかったから退行しなかった。それが悲劇につながった……。それを残念ながらララは気づかなかった。
リリア・アイスランは、幻影の魔女の相手だけでも頭が痛いのに、長い教頭生活から、やっと学園長になったのに、その養女の相手をしなくてはいけない自分の不幸を嘆いた。
「私の安寧が逃げる」
王都魔法学園は義務教育ではないから、試験にさえ合格すれば5歳であっても、50歳でも入学することができる。そもそもこの世界に義務教育などは存在しない。
だがほぼ社交場としての目的であるため、貴族は通常13歳で入学する。外国に留学していた者は14歳から20歳の間に入学することもある。しかし、ほとんどの貴族は13歳までに帰国して入学する。
私立の予備校に通って一浪、もしくは二浪してでも入ろうとするほど王都魔法学園を卒業することは出世コースを保証されたようなものだ。全国から受験する王都魔法学園の入学試験は難しい。
この学園のもう一つの目的は、有力な貴族との縁を持つことであり、結婚相手を探す目的でもあるから、13歳で入学しなくてもいいわけだが、留学など特別な理由がない限り13歳で入学しないと、自分はお馬鹿さんです。と言っているようなものだから、こぞって13歳で入学しようとする。
では、13歳未満で入学するかといえば、それもしない。少し頭がいい程度で早期入学しても幼すぎて結婚相手がみつからない。そもそも政略結婚できるほど身分のある者は8歳までに婚約している。
親族だからではなく、試験結果を考慮し新入生代表をララにすることに決定した。オベルツ家の子息は代々新入生代表を行ってきたが、オベルツ家だから新入生代表をしたのではなく、実力でもオベルツ家の面々は他の者より群を抜いていた。
魔法局長官にはジーニアの二男が就いている。二男だけでなく、軍隊と魔法関連の要職はほぼオベルツ家が押さえている。それは実力があるからであり、国一番の魔女が二人いたからでもある。
リリア学園長の本音は歓迎ムードではなかった。
「どんなバカな子であっても、新入生代表は、ララに決まりね。他の子にするなんて、そんな恐ろしいことできるわけないわ。曾祖母である幻影の魔女ジーニュアは私が殺してほしいと懇願するほど酷いことをするし、これまでそうしてきた。曾祖叔母である幻影の魔女は自分の興味がないことには無関心だが、自分の領分を侵す者は容赦しない。ましてや自分の子に何かされたら……考えただけでも恐ろしい……」
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ジャンは8歳から教会本部で魔法を習い、10歳で魔力はすでに一般神父並になっていた。そこでジャンに目をつけたザイナス・テナール枢機卿が自分の養子にした。名前も自分の家系で使うものに変更し、ロラン・テナールと名乗らせた。
魔法学園の入学試験を受けたロランは、他の受験生のレベルが低いことに薄ら笑いすら浮かべ見ていた。入試前にロランと同程度と評判だったカルセノ伯爵の次女でアネット・カルセノを警戒していたが、ロランと同じ班になったことでアネットの魔法力を見ることができた。
彼女の魔法力はロランの8割程度と判断できた。事前に調べた情報によればあと3名ほど有名な者たちがいたが、それらは昨年アネットとの模擬試合で負けていたからロランが新入生筆頭と噂されていた。
教会本部でのロランの人物評はとてもよかった。礼儀正しく、笑顔で、何をやっても一番だし、何より月に一度訪問する孤児院では、孤児がロランの前で跪き、花を捧げて出迎えるほど孤児からの人望もある。
本部修道長から古参のシスターまでロランを褒め称えていた。特に老齢のシスターからは絶大なる信頼を得ていた。王都魔法学園を首席で卒業したら、枢機卿の二つ下の位になる本部司祭長になることも決まっている。また首席でなくても卒業と同時に領地を持たない『子爵位』を授かることにもなっている。国としては才能のある者を手元に置きたいと思っている。それに人物評も問題無い。
ロランの年齢は13歳になっていたが、実年齢は18歳だ。18歳から見れば13歳の受験生など子供にしか見えない。ジャンには余裕があった。彼にとっては他の者は屑にしか見えなかった。
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王都魔法学園に出発する前日のこと。ロランは担当先の孤児院を順番に訪問していた。
孤児たちは、いつものように跪いて、花束を捧げている。
花束を受け取ったロランは、『今日は孤児の方たちと、しばらくお別れすることになるので、30分間ほど水入らずの親睦会を催したいと思います』と言い、本部の付き人を部屋から出した。
ロランと孤児のみが残った部屋からは、大きな声で孤児たちの楽しそうな歌声が聞こえた。部屋から出された本部の若いシスターたちは、『ロラン様は本当にやさしい人ですね。あんな方が私たちの上司になるのですから嬉しいですわ』と口々に話した。
シスターたちが出て行った部屋の中で、ロランは孤児を正座させ、それぞれの身体を足で小突いていた。
「おい、なんだ!! この花の中味は? 足らないだろうが!! 毎月金貨1枚は最低ノルマだと言ったはずだよな。銀貨7枚しか入っていないぞ。銀貨が3枚足らないだろうが。お前たちは金が数えられないのか? だったら3の意味を俺が教えてやるよ」
ロランは孤児を3度足で思いっきり踏みつけた。
「おら、大声で楽しく笑え。そんな小さな笑い声では外にいるシスターに聞こえないだろが、もっともっと笑え!!」
孤児たちはジャンのなすがままにされていた。ジャンに逆らうことなどできない。逆らった孤児が近くの池に浮かんでいるのを何度も見ている。
「いいか。次回帰ってくるのは半年先だ。そのときには半年分の金貨6枚と、今日足らなかった銀貨3枚を必ず準備しておけよ。でないと池の魚の餌だからな!!」
こうしてその日のうちに自分の担当孤児院を回って花束を5つ回収していった。
「孤児は臭いし、もう抱くのも飽きた。本部のシスターは地方のシスターより階級が上だから、全員年齢が高い。しかも幼少のころから教会という狭い世界で生きてきたから男の経験がない。そのまま薹が立ってしまった。いや枯れている者までいる。俺の崇高な目的のために我慢しているが、魔法学園に行ったら貴族の生徒でも狩りまくるか。フェッフェフェ……間違いなく俺が新入生代表だな。
誰もが俺に憧れる。これで学園生活も楽しいものになる。教師もいいかも……学園長もそこそこ美人だしな……明日の入学式が楽しみだ。どうせこんな偏差値の高い学園の学園長をしているぐらいだ。勉強ばかりで、男の経験などないはずだ。シスターのように俺の隷属にしてやる」