転移魔法
幻影の魔女ジーニュアとララは、毎日暇を見つけては転移魔法関係の書籍を読んだ。ララは転移魔法種だけはコピーできていたから、二人は書籍通りに実行した。
魔法種のコピーは、コピー元が新しい魔法種について詠唱をすればいい。これはクリス教師からコピーするときに発見したことだが、クリス教師は精霊魔法が苦手で、すぐには発動しなかった。ところがそれもコピーできてしまった。それでこのコピーは、相手が持っているというだけではコピーできないが、たとえ発動しなくても詠唱すればコピーできる。物理的には発動していないように見えるが、詠唱のおかげで、かすかだが発動しているが、あまりにも微弱すぎて、それが認識できないだけだった。
しかし、転移魔法については、どうにもならなかった。いくら詠唱しても1ミリも転移しない。二人は亜空間という概念が理解できなかった。見えない空間、無数に存在する空間、点と点を繋ぐ、紙の端と端を折って繋ぐ、誰でも見ることができるが誰にも見えない。そんな説明で理解できるほど簡単ではない。
「お母様、私、全く理解できません。叙情詩の朗読をしている気分です」
ララは亜空間という言葉については理解できていた。SFアニメではよく出てくる。多次元世界とも違う、異空間とも違う、想像上の空間であると理解していたから、それが実際にあるという説明のみで、どのように発生させるのか、どこにあるのかが理解できない。
実際に亜空間を移動すると書かれていても、それはどこにあるの? となっていた。
「私だってわからないよ。亜空間なんて、言葉初めて聞いたのだから」
「…………」
毎日こんなやりとりの繰り返しだった。
あるとき、たまたま担任のおじいちゃん先生が、研究室の片隅で弁当袋から、湯気を出している弁当箱を取り出した。それも弁当袋の倍以上ある大きさの弁当と果物、包丁、まな板などをポンポン出していた。
たまたま、偶然、見てしまった。そうあくまでも偶然だった。
おじいちゃん先生の弁当から、いつも湯気が出ていると噂が立っていた。どんな魔法かわからないが、きっと魔法で温めているのだろうという結論で収まっていた。
ただ、ララだけは納得していなかった。沢山の魔法を扱うララであっても、弁当全体を温めることはできない。火炎魔法を使えばできるが、木製の弁当箱は焼けてしまう。
おじいちゃん先生の弁当箱は竹を織ったものだ。ララは足音がしないように、身体を少し浮かせ、後を付け、そっとのぞき込む。そして見た。
いや、偶然見えた。故意に覗いていない。目が勝手に見た。ララはいい子だから覗き見などしない。偶然だった。
どこからか出している。もしかして見えない空間から出している。もしかしたら亜空間?……。
その日おじいちゃん先生に、魔道具の作り方を教えて欲しいと懇願した。しかし1年生の授業カリキュラムに、入っていないので断られた。
だから学園長に即日許可をもらって、魔道具研究会というクラブを作った。そして今おじいちゃん先生が、学園長命令で二人に講義をしている。決して幻影の魔女が圧力をかけて、学園長を動かしたのではない。丁寧にお願いしていただけだ。
確かに普通に申請したら、実績を作ってから、初めて許可が下りるので、下手すると1年以上かかる。今回だけは仕方ないかも……。
クラブ員は、ララと幻影の魔女の二人だ。幻影の魔女は生徒ではなかったが、クラブだけは入れる特別生として学園長から許可をもらっている。
おじいちゃん先生は、魔法士筆頭の魔力値388より魔力は少ないが、現在知られているミリトリア王国の公式魔力値では多いほうだ。ミリトリア王国魔法士の魔力値が他国と比べかなり低くなったのは、幻影の魔女が来てからなので、幻影の魔女の名声で守られることに慣れた貴族が、訓練をしなくなったことが原因だった。そんな両親から生まれた子は魔力が低く、魔法種も減少していた。これも4桁魔力測定器で、魔法種が出るようになってから、判明した。そのことがあってから、独身貴族には魔法訓練が必須事項となった。
クラブ活動については、おじいちゃん先生も満更ではないようで、幻影の魔女が胸を押しつけて、『私にも教えて~』と懇願すると、魔力切れになりそうになるぐらい、一生懸命教えてくれた。
おじいちゃん先生はずっと独身だったから、これぐらいはいいかも?
学園長は、幻影の魔女が持ってきた紙に、サインしただけだ。断るなんてことはできない。この程度ならば、心の平和のためだ。
「……ということで、袋の中に亜空間の容積を固定すると……亜空間は時間が止まっています。また亜空間は魔力値の大きさで、その容積総量が決まります。私は魔力値が338なので弁当箱とまな板などで満杯となります。それから……」
幻影の魔女が突然立ち上がり、おじいちゃん先生に抱きついた。
「先生、それ、それですよ。それの作り方を教えて!!」
「それではわかりません」
「あ、亜空間ですよ!!」
「そうですか。亜空間はどこにでもありますから、まずポイントを定め、凝視し、そこに魔力を注ぎます。そうすれば空間が広がっていくのが見えます。人によって見え方は違いますが、私は赤ですね。
残念ながら他の人の亜空間は見えません。私は魔力が少ないので一つしか固定できません。対になるものを二つ以上作れたら他の場所に移動できるのでしょうね」
「それですよ。それそれ。ああ!!他人からためになる事を学んだのは初めてですよ。あなたがララの担任でよかった!!」
おじいちゃん先生は、ジーニアの生徒だったことを覚えているが、幻影の魔女は完全におじいちゃん先生が、自分の生徒だったことを忘れている。それはそうだ。ジーニュアは先生などやったことはない。
「そうですか。それはよかったですね」
おじいちゃん先生は、幸せそうだった。おじいちゃん先生を教えた、超絶美人の幻影の魔女が、ずっと抱きしめているのだから。でもその人はもしかしたら、200歳以上かもしれないお婆ちゃんですよ。
それからおじいちゃん先生は、二人に魔道袋の製作を実演してみせた。その度に幻影の魔女がおじいちゃん先生を抱きしめていた。おじいちゃん先生は頑張った。そう頑張った。二人に実演しながら、亜空間の固定方法を伝授した。毎日毎日……。
作った魔道袋は、おじいちゃん先生と同じ規格のものだったが、全部で100袋に達していた。
おじいちゃん先生は本当に頑張った。幻影の魔女の抱きしめ、というご褒美があるとはいえ……
そしてクラブ活動は中止となった。
おじいちゃん先生は、私たちに比べると魔力が少ないのに、頑張りすぎて元々痩せているのに、さらに痩せてしまい、クラブ活動をすることができなくなってしまった。
それでも入院しないで、毎日学校に通っているからりっぱなものだ。
魔道袋はクラブ活動の成果なので、王都魔法学園に寄贈するつもりだったが、学園長は自分が買取り、その売上金を王都魔法学園に寄付した。とてもいい話だが、学園長は魔道袋を相当な価格で、貴族や冒険者に売却した。買い取り価格の数十倍で売却した学園長はホクホクだった。おじいちゃん先生には金一封を出したが、結婚式の祝儀程度だったらしい。
クラブ活動が中止となったため、二人は自宅の一室を部室とし、魔道袋の容積を変えながら量産した。作ったものはすべて国王に寄贈した。中には国宝級の容量もあり、国王も王妃もホクホクだった。残念ながら国王と王妃も学園長と同じことをした。
国王は50歳位の容姿だ。国王が25歳位に見える幻影の魔女の手を握り、重臣のいる前で、お礼の言葉を言った。
「ママ、ありがとう……ママ、ママ……」
一通り魔道袋を作り終えたので、おしゃれな魔道バッグも作成した。学園長が親族の女性に配ったら大好評だった。
学園長は独自にデザインしたものを作ってくれと注文していた。クロードがモニカの魔道バッグを羨ましそうにしているので、ララが牛革で、それぞれ形の違う魔道ショルダーバッグを5つ作り、『クロードに秘書さん用です』とプレゼントしたら、スキップしながら自宅に帰っていった。
翌日ララの護衛が増えていた。ちなみにクロードに渡したカバンは、これまで作ったものの中で一番容量が多く、超絶国宝級で馬車一台分が入る。
魔道バッグを作ることに飽きた二人は、いよいよ転移魔法のための、亜空間を作ることにした。幻影の魔女の亜空間の入口はピンクに見えるらしい。ララの亜空間の入口は水色だ。
まず幻影の魔女が自分の入れるほどの大きさの、亜空間を2つ作り固定した。最初の入口に入ると、すぐに2つ目の亜空間から幻影の魔女が出てきた。転移魔法が成功した瞬間だ。
ララも同じようにするとニンマリしながら出てきた。ララも成功した。
目で、体で体験するとそのまま相手の使っている魔法が使えるようになってしまう。
亜空間は空間にも固定することができた。ただし、転移魔法は何処へでも行けるというものではなく、転移ポイントを作っておかないと転移できない。結局一度は地上であろうと空間であろうと、その場所に行って、自分の転移ポイントを作らないといけない。
誰でも自由にどこかに転移するためには、転移魔方陣を作らなければならないが、二人はまだそれはできない。
亜空間を維持するには、魔力を使った状態にするため、設置個数は魔力値に比例する。あまり多く設置すると他の魔法に使える魔力値がなくなる。亜空間を一対設置することで転移する方法は、いわゆる初級転移魔法にあたる。中級転移魔法は複数設置することができ、上級転移魔法は一度行った場所であれば亜空間の設置を要せず転移でき、最上級転移魔法は行ったことがない場所であっても、特定できれば転移できる。最高難度転移魔法であれば地図を見ただけでその場所に行けるが、これを使える者はいない。そもそも上級転移魔法を使える者がいない。まだまだ先は長い。
おじいちゃん先生は、魔方陣についても詳しいようなので、復活したら魔道具研究会の再開だ。よかったね、おじいちゃん先生、また抱きしめてもらえるよ。
それからは国内を転々と移動しては、転移ポイントを作っていった。一度作ってしまえば、次からはそこまで転移するので、国内の重要地点に、転移ポイントを作るのにそれほど時間を要しなかった。あとは国王に相談して、最重要拠点への設置だ。設置数は魔力に比例して設置できるが限度がある。
設置した転移ポイントは、不思議と頭の中で順番と場所が浮かんでくる。魔力値が限界にきたので消すこともあるが、消したい転移ポイントを思い浮かべて、消す意思を示せばいい。人が入れる程の転移ポイントは、思ったよりも、魔力値を食うから、何十個も設置することはできない。
国王は驚きつつも、是非にと言って、真っ先に国王の玉座両脇に作らせた。誰にも見えないが、幻影の魔女にはピンクの空間が左側に、ララには水色の空間が右側に見えた。
国王は言った。
「これでいつでもママに会えるね」
50歳のおっさんが、25歳の娘のような幻影の魔女に、ママと言っているのは、見ていて複雑な心境になる。
軍事施設にも転移ポイントを作った。転移ポイントのことは極秘だ。各施設に1カ所と報告しているが、誰にも見えないことをいいことに、あちらこちらにピンクと水色の空間が置かれていた。なおララが転移魔法を使えることは国家機密である。幻影の魔女は今回初めて転移魔法が使えたのだが、世間では2カ所は転移できると認識されている。
転移の瞬間はバッと消えように見えるが、歩いて入れば体が徐々に消えるように見える。幻影の魔女が、それは格好が悪いと言い、ララも体が溶けているようで心配になります、と言う。
そこで自分の位置には瞬時に亜空間を設置し、空間魔法で亜空間に飛び込むことにした。そうすると一瞬で消えたように見える。
それでも納得しない幻影の魔女は、頭を捻った。
「なんか、ダサいのよ。もっと訴えかけるものが欲しいのよね」
「だったら、どんな動作するか、言葉を発しましょうか?」
「そうね。でも『転移魔法』って言うのもダサくない?」
「そうですね。では、『マハリクマハリタ』はどうですか?」
「かなり古くない? 思いついたわ。こうしましょう」
幻影の魔女は、指をパチンと鳴らして消えた。
「さすがお母様、格好いいです」
「ふふ、そうでしょ。あなたも自分のスタイルをしなさい」
「同じではいけませんか?」
「駄目よ。あなたは可愛いから、それなりにしなさい」
ララは人差し指で小さく弧を描きながら消えた。
「いいわぁ――――――――――。とってもいい。あなたはそれにしなさい」
「はい。これからはこれでいきます」
幻影の魔女は、実はララが『マハリクマハリタ』と言ったときは、先を越されたと思った。だから反対した。人差し指で小さく弧を描く姿を見て、ダサいと感じた。
自分より若いララが行うとなんでも様になる。だからせめてダサいものにしたかった。
この頃になると幻影の魔女ジーニュアは、だんだんと変っていく自分に戸惑うこともなくなっていた。
“”もっと若くなればかわいい””
また聞こえてきた。
◇◇◇ミリトリア王国の現状◇◇◇
ミリトリア王国は良くも悪くも、幻影の魔女の名声だけで、統一されている国だ。国王が無能であることは、誰もが知っている。
困ったときは幻影の魔女に相談し、その側近である子息が片付ける。彼等さえいなければ、貴族はもっと自由に振る舞える。彼等の不満は一代で生じたものではない。数代に渡り幻影の魔女と、その一族に要職を独占されている訳だから、不満を持つのも当たり前だった。
彼等だって幻影の魔女の名声があるから他国から侵略されず、安穏とできることは分かっている。もし幻影の魔女が死ねば、この国は一気に分裂するほど、貴族には不満があった。特に公爵家には不満が燻っていた。
幻影の魔女の名声に、おんぶに抱っこのミリトリア国軍は、この国の規模であれば、100万人規模の兵士が必要だが、兵役をかけていないので、この規模の国としては極端に少ない。それは国にとっても、貴族にとっても、軍に金を使わなくていいというメリットだった。もし幻影の魔女が亡くなれば、国が分裂する可能性もあるが、他国から侵略される可能性すらある。ボンクラ国王は、幻影の魔女が亡くなるなど、夢にも思っていないから、そんなことは気にしない。
現国王は正当な血筋ではなく、他国から来た養子だ。それでもブリタ王妃がいるから我慢しているが、その養子の親族が、国の要職を占めているのは許せない。幻影の魔女かいるから不平不満が表立って出ていないが、もし幻影の魔女が亡くなるようなことがあれば、現国王の時代が一瞬で終わる程、貴族の不満は頂点に達していた。
△△△
~南部地帯の状況~
南部との国境にはモビリット連合があるが、それ以外は小国郡のため、大国ミリトリア王国にとっては脅威ではなかった。むしろミリトリア王国が小国郡にとっての脅威となっていた。
そのため南部は現国王に対する不満はなかった。ジェリゴリ・ベルジット伯爵は、その地位の割には王都でも発言権を持っていた。現国王はジェリゴリ伯爵に担がれて国王になったこともあり、彼を信頼していた。
△△△
~東部地帯の現況~
東部はガザール国と国境を接しているため、毎年のように、何らかの紛争を抱えていた。それに難民問題もあった。特にここ数年ガザール国から難民が押し寄せている。
難民問題について国王に相談したが、自分でどうにかしろという。しかも10年間放置していたのに、幻影の魔女が王都に復帰してからは、急に口出しをするようになった。
幻影の魔女を派遣してくれるが、派遣料という名のみかじめ料を、その貴族の年間予算の5割も請求した。
昔の幻影の魔女を知っている者たちは、その豹変ぶりに驚いていたが、不満は爆発しそうであった。だが、幻影の魔女の放つ魔法を見たものは、その力の差に絶望していた。
ダギドス・チュルシン侯爵とカセイン・モドロン辺境伯は、互いに連絡を取り合い、王族転覆の機会を狙っていた。
幻影の魔女ジーニュアは、ララの前では良い母を演じていた。ララを失うことは回復魔法を失うことだ。ララの前ではあくまでも幻影の魔女ジーニアでなければならない。
しかし、王都以外の地域では、傍若無人の振る舞いをしていた。幻影の魔女の評判は、王都ではいいが、それ以外では散々であった。王都ではジーニアとして振る舞い、王都以外では本来のジーニュアとして活動していたから当然の結果だが、ララは全く気づいていなかった。
転移魔法で、自由に行き来できるようになったジーニュアはそれができた。
△△△
~中央部地帯の現況~
この地域の貴族は他国と接していないため、幻影の魔女の力を必要としなかった。つまり国王の力も必要としなかった。それぞれの貴族が、一つの国のように統治していた。そのため隣接する他領の境界とのいざこざは絶えない。
ミリトリア王国は大国といっても、国王が直接統治しているのは王都のみで、あとは他の貴族が、王の名の下に統治していた。幻影の魔女がいることで、この統治方法はうまくいっていた。