『聖女』の秘密
前作の連載長編が魔法などが一切ない世界だったので、そろそろ魔法や精霊のいる世界の話を書きたくなり……。
聖女もので短い短編を書いてみました。
どうぞよろしくお願いします。
手を引かれて屋敷から飛び出した時に見た光景を私は忘れることができない。
父が美しい女の人と抱き合って……。
その女の人が母に手を引かれて開かれたドアの前を通り過ぎる私を見てにっこり笑った。
美しい人なのに、あの人の周囲に漂う黒いものはなんだ?!
とても気持ち悪い、黒いもやもやは何?
私の名前はクラリオーネ・エルモア。
その時はエルモア商会の一人娘だった。
母の名前はシルフィーネ。
結婚前の姓はイシュー。そう、イシュー子爵家の令嬢だった。
エルモア商会の若き商会長となった父、ファウンズ・エルモアと恋に落ち、周囲の反対を押し切り、説得することに成功して結婚したそう。
そして、私が生まれたってわけ。
そして、父は愛人を作り、母は悲しみ怒って、5歳の私の手を引き、屋敷を飛び出したのだ。
父は気がついていなかったが、母は実はすごい人だったのだ。
イシュー子爵家には時々精霊と通じる力を持つ特殊な能力を持った子が生まれることがあるそう。
語り継がれている歴史として、イシュー子爵家は、この国初めての初代聖女がその時の王子と恋に落ち、王籍から抜けて夫婦となり初代イシュー子爵家の祖となったそう。
母は力の自覚もなく、成人の儀式の鑑定でも特別な力はないと判定された。
『人の子』という、まあ、普通の鑑定だったそう。
私が幼い頃、たぶん3歳ぐらいの時だと思う。
屋敷の図書室で、私の上に本が落ちてきそうになったことがあった。
移動梯子の上に誰かが本を放置していて……。
幼い私が梯子につかまった時、本が私の上に落ちて!!
ぶつかると思った時、強い風が本の落ち方を逸らせ、私の横に落ちた。
母が青い顔で駆け寄ってきて私の身体の無事を確かめる。
「クララ! 良かった! 神よ! 感謝します!」
ママ、そこは神ではなくて精霊に感謝するところよ。
私には、母の周囲で母を愛して守る精霊たちが見えていた。
母には精霊たちが見えないようで、話もできないことに、私は何となく気がついていて。
だから、そのことは母には何も言わなかった。
母は精霊たちに愛されていたので、暑いと思えば涼しい風が吹いてきたり、雨が降らなくて庭の草木がかわいそうと思えば雨が降り、逆に雨が降ってきて困ったと思えば、雨は止み……。
気乗りしない外出、例えば苦手な貴族夫人のガーデンパーティーに招待され、エルモア商会夫人という手前お断りもできず困っていたら、前日から豪雨になり中止とか……。
『ラッキー体質』なんて、子どもの頃から言われていたみたいだけど。
それは精霊のおかげだから!
でも、それは内緒。
5歳のこの決定的な瞬間にも、私には母を愛して守ろうとする精霊たちが怒ったり悲しんだりするのが見えて聞こえていた。
〈シルフィーを裏切るなんて!!〉
〈ファウンズに復讐する?〉
〈いや、イザベラに! あの女に!!〉
〈今はシルフィーとクララを守らないと!〉
〈そうよ! 私達もついて行かないと〉
私にはキラキラの光に見える精霊たちがワーッと私と母の周りに集まってきて、私たちを守るようについてきてくれるのが見えていた。
みんな、ありがとう!
母はいつも散歩する大きな公園の所まで私の手をつかんだまま早足で後ろも振り返らずすごい勢いで歩いてきたが、だんだんゆっくりになり……、立ち止まった。
途方に暮れたような表情で私の手を握ったまま振り返る。
「ああ、クララ。ごめんなさい……。
あなたまで……。あなたはエルモア家の子でもあるのよね……」
私は微笑んだ。
「ママ! いいの、いいの! 私はママと一緒だから」
「ああ、ありがとう、クララ……。
そうね、パパのことはもう忘れて、私達、強く生きていきましょう!」
うん、そのほうがいい。
たぶん、ママを愛する精霊の加護がなくなったエルモア商会は、今までのようにうまくいかなくなるんじゃないかと思う。
母と私はイシュー子爵家を頼った。
子爵家はもう母の兄が子爵を継いでいたけど、快く私たちを迎え入れてくれた。
祖父、祖母、伯父は父のことをぷんすか怒ってくれて、それだけで私と母は安心できた。
でも、父と母の離婚話は難航した。
家長制度が強いため、愛人のひとりくらいで離婚したいって、とても大変なんだって。
それに父は由緒あるイシュー子爵家の血を引く私という娘を手放したくなかったみたいで……。
結局、私の親権の問題で母と父の離婚は成立せず、私はイシュー子爵家に保護されて成長しながら、クラリオーネ・エルモアのままだった。
でも、一人娘ではなくなった。
父のお相手のあの美しい女の人はイザベル・コルビー男爵令嬢。
母は家を飛び出しちゃったこともあり、父の内縁の妻、仕事のパートナーと世間に認められている。
あの後、すぐに娘を産んだ。
あの時にもうお腹にいたのね。
それで、屋敷まで来て、母に話をしたんだろう。
生まれたのがエレオノーラ・エルモア。
つまり私の5歳下の妹というわけ。
このイザベルとエレオノーラは世間に対してうまく話をして立ち回っているみたいで、世間的には母の方が我儘を言う残念な妻と見られているみたい。
私という娘を産んで、その後、なかなか子ができなかったくせに、夫に愛人を認めなかった貴族出身のプライドばかり高い我儘な妻と思われている……。
あー、そう周囲が思わせられているのは残念。
こればっかりは精霊の風や雨や火や光のそういう力で何とかなるもんじゃないしね。
母の兄であるイシュー子爵であるロベルト伯父様は私をイシュー子爵家に引き取ろうと頑張ってくれているんだけど……。
もう15歳の成人の儀式を迎えて、自分で父との縁を切ることを目指すほうが早いと思う。
◇ ◇ ◇
とうとう15歳になった私は、その年の成人の儀式に参加するため、一度、父の所に戻らなくてはならなくなった。
成人の儀式に参加するため、王城の教会に行く時は、家長である父と一緒にエルモア家から行かなくてはならない。
父が死んでくれてれば、伯父様と行けたのに……。
〈ファウンズ、殺す?〉
精霊の声が耳元で響いて、我に返る。
「いや、それはやめて!」
〈そう? クララのことも守っているからね! 必要な時はいつでも言って!〉
「ありがとう。みんな大好きよ!」
〈うん、シルフィーもクララもノアも大好き!〉
〈ファウンズの所にはイザベルがいるわよ。大丈夫?〉
心配そうな別の精霊の声が聞こえた。
「大丈夫、儀式に参加する前日と当日の2日間だけだもの!
それくらいなら我慢できるわ」
それに私には頼りになるノア兄様もいる。
ロベルト伯父様にはアンドリューとノアというふたりの息子がいた。
私を守ってくれる大好きな従兄の兄様たちだ。
「何かあったら、すぐに知らせるんだよ。クララ」
20歳で王城の教会に聖騎士として仕えているアンドリュー兄様が心配そうに言ってくれる。
「本当にすぐ知らせてね。僕も精霊に頼んでおくから」
18歳で教会の神官見習のノア兄様が言う。
そう、ノア兄様は私と同じく精霊の姿が見え、話をすることができる。
アンドリュー兄様は成人の儀式で『騎士』と出たそうだし、ノア兄様は『精霊と人の仲介者』と出たそう。
だから、私も何かしらの鑑定が出るのではと楽しみにしている。
そうすれば、大好きなノア兄様と一緒に教会で仕事ができるかも!
「うん、大丈夫! 2日間だけだもの!」
私はほんの2日間の辛抱だと、エルモア家に向かった。
まあ、歓迎されるとは思っていなかったけれど、こうまでひどいとは……。
私が通されたのはほぼ屋根裏のメイド部屋で、儀式に参加するための白いドレスと白い靴は持つことを許されたけど、着ていた服と着替え用に持って行った服は取り上げられ、ロベルト伯父様や祖父母が贈ってくれた金のイヤリングとネックレスも取り上げられてしまった。
私はメイド服を与えられ、それを着て、仕事をするように言われた。
寝る部屋とか働かされるのは別に2日間だけだから耐えられるけど、大切な贈り物を取り上げられたのは本当に腹が立った。
〈クララ、取り戻せるようにファウンズ殺す?〉
〈そうだよ! 火でもつけて火事にしちゃうとか!〉
〈あのイヤリングとネックレス、イザベルがエレオノーラの成人の儀式まで取っておくと言っていたよ〉
〈ノアに知らせる?〉
私はため息をついたけど、明るく言った。
「まだいいわ! このままでもう少し様子を見ましょう。
大丈夫、成人儀式に参加することができれば、私は自分のことは自分で決められることになるから!」
その日の夜、私は夕食の給仕をするように言われ、食堂にいた。
父ファウンズ、イザベル、異母妹エレオノーラ、そして知らない男性がいた。
父と同じくらいの年齢かしら?
その男性は私を値踏みするような嫌な目つきで何度も見てきてた。
エレオノーラはイザベルによく似ている。
10歳だけど、大人っぽい感じ。
異母妹だけど、仲良くはなれそうもない。
わざとフォークを落として、私を指名して拾わせるところなんて……。10歳よね?!
なんかすごいわ。
夕食後、父の部屋に酒の用意をして持って行くように言われる。
私の夕食は給仕の合間にスープとパンを急かされてかき込んだだけだ。
父の部屋でさっきの男性が、私の左手を掴んできて、指輪を強引に嵌めようとしてきたので、驚いて力いっぱい振り払って、彼を突き飛ばした。
その男性はよろけて、怒りを滲ませた目で私を見る。
父が叫ぶ。
「失礼なことをするんじゃない!
こちらはシュベイク伯爵。お前の婚約者だ!」
は?!
確かに貴族の家同士だと、成人の儀式の前に婚約しているなんて話はよくあるけれど、エルモア家は平民だ。しかも商家。
考えられるのは便宜を図ってもらうとか融資をしてもらうために……、若い長女をうーんと年上の貴族に嫁がせる約束をってとこか?
「そんな話、聞いていません。お断りして下さい」
「家長であり、父である私の言うことが聞けんのか!」
そこへイザベルがやって来た。
「そんな声を荒げなくても、ファウンズ」
私は周囲に漂う黒いものにぞっとして、気分が悪くなりそう。
「あなたの母がしたことの償いだと思いなさい。
エルモア商会を救うにはこの結婚が重要なのよ。
もう成人するあなたには、家と家との結びつきのことがよくわかるでしょう」
「わからないわ。
私の後見人はイシュー子爵よ!
イシュー家を通して下さい!」
イザベルが私に近づいて来ようとして……。
わっ、近づかないで!
私は後ろに下がり、部屋を飛び出した。
「まあまあ、なんてしつけのなっていないかわいい子猫なんでしょう!」
イザベルの媚びるような声がまとわりつくように聞こえた。
メイド部屋まで駆け上がり、窓を開けた。
きれいな空気、吸わせろ!
ノア兄様から頼まれて様子を見に来たらしい精霊がそこにいた。
〈クララ! 大丈夫?!〉
〈大丈夫じゃないよ!
クララ、変なおじさんと結婚しろって言われてるんだ!〉
〈なんだって?!〉
精霊同士が猛烈な勢いでおしゃべりを始めている。
〈イヤリングにネックレス、それにいつもの服も取り上げられたのよ!〉
〈そうなの! メイド服を着させられているの! ……かわいいけどね〉
〈うん、クララは何でも似合うけどさ〉
そうそう、私は何を着てても中身はクララよ。
それは変わらないから、安心して。
ノア兄様のお使いの精霊と何人か(精霊も何人って言っていいのかしら?)は一緒にイシュー家に行ってしまった。
残った精霊たちは張り切って私の周囲を警戒して臨戦態勢だ。
〈クララを守るわよ〉
〈好き勝手させないんだから!!〉
こちらから手を出したらだめよ。
それに明日の成人の儀式が無事に済めば、私からも行動が起こせる。
王都の王城で行われる今回の成人の儀式を迎える者は45名と聞いている。
さらに身分順に分けられていて、今日、王族や貴族の方が受けているはず。
14名いらっしゃるそう。
明日は平民の31名。
私は明日の予定だから、とりあえず明日まで我慢すれば、仕度をして王城に行くことさえできれば!
その日の夜はもう嫌がらせとかはなく、私は精霊たちに守られてぐっすり眠った。
次の日の朝、仕度を手伝うとメイド達が私の部屋に入って来て、ドレスと靴を手にしたかと思うと、持ち去ってしまった。
私は呆然とした。
やられた。
もうこうなったら仕方がない。
どんな服装だとしても、行くしかない。
私はメイド服にいつもの普段履きの靴という服装で父が待つ玄関ホールへ降りて行った。
イザベルとエレオノーラがくすくす笑う。
そうよね、あんたらのしわざだよね。
「なんだ、その恰好は? イシュー家が用意したドレスは?」
父が叫ぶ。
私はため息をついた。
「私の荷物を全部取り上げたのはそちらでしょう」
「取り上げたって?」
父が少し戸惑ったようにイザベルを見た。
黒いもやもやが父に向かって手を伸ばすように流れて取り巻く。
父の表情がほわっと呆けたような感じに一瞬なったが、怒りの表情を浮かべて私を怒鳴った。
「この恥さらしが! それでいいなら、馬車に乗れ!」
私はありがたく馬車に乗り込んだ。
イザベルとエレオノーラが驚いている。
こんな服では王城に行けないと私が泣くと思っていたようだ。
そうはさせん!
私は成人しなきゃいけないのだ!
王城に到着すると、メイド服姿の私は衛兵たちに変な目で見られた。
そうだよ。いくら平民だとはいえ、この一生に一度の儀式にこんな服で来る子はいない。
父は忌々し気に舌打ちし「イシュー家のせいで俺が恥をかく!」とぷりぷり怒っている。
そこへ教会の聖騎士であるアンドリュー兄様が教会の案内役として現れた。
私はほっとした。
アンドリュー兄様は私を見て、左の眉をピリリと上げた。
「……クラリオーネ・エルモア嬢。どうぞこちらに」
私はアンドリュー兄様の後ろについて歩き出す。
父がさらにその後ろで「妻側のイシュー子爵家が娘の仕度をすると言っていたのに、何もしないとは!!」とわざと大きな声で周囲に言い訳を訴えるようなことを……。
アンドリュー兄様の剣をつかんでいる左腕がぴくぴくしている。
そうだよね。イシュー家の悪口だもんな。
私は慌てて父に言った。
「イシュー家の皆様は仕度して下さったのですよ。
すべて取り上げて、着させてくれなかったのはエルモア家でしょう」
「取り上げたって?!
私は家長だぞ。
それに昨夜のあの態度はなんだ!
私がせっかく良い縁を結んでやったと婚約のことを話したら、部屋を飛び出して行って!」
「婚約などしません。する気もない! お断り下さい」
「……シュベイク伯爵は無礼を働いたお前を許し、娶って下さるそうだ。
感謝してお仕えせよ」
アンドリュー兄様が立ち止まって振り返ろうとするのを、私は慌てて背中に触れて止め、小さな声で言った。
「成人してしまえば! 早く連れていって!」
アンドリュー兄様は頷いて歩き出す。
儀式の間に到着。
名前を確認し、私はやっと父と離れて自分の席に行き、座ることができてほっとした。
みんなの視線が痛い……。
なんでそんな格好で王城の教会に? しかも成人の儀式だぞ?!
みんなそんな風に思っているんだろうな。
家長や保護者席の方で父が「イシュー家が!!」といいわけのように喚いているのが聞こえて、私は苦笑した。
どんな身分の子も一生に一度のこの儀式の日、よそ行きのきれいな服を着て、手入れをされた靴を履いている。
いや、私だって、母とイシュー子爵家のみなさんが本当はちゃんと用意してくれていたのだ。
恥じることはない!!
背筋を伸ばして胸を張る。
31名が揃い、儀式が始まった。
名が呼ばれると前へ進み出て聖なるプレートに触れるのだ。
その人に特別な力があり、できることがあれば『人の子』以外の言葉が浮かび上がるそう。
母は精霊に愛されているが、見ることも話すこともできず、自分の力ではないので『人の子』と鑑定された。
私はたぶん、何かしらの言葉が出ると思う。
そして、成人すれば私から父との縁を切ることを申し出ることができる。
まあ理由が必要だけど、それはもうちゃんとある。
ノア兄様がプレートのそばにいる神官や神官見習いのひとりだった。
私のことを悲しそうに見ている。
うん、あのネックレスとイヤリングを選んでくれたのはノア兄様だったもんね……。
私は大丈夫!
そう気持ちを込めて微笑んだ。
「クラリオーネ・エルモア!」
私の名前が呼ばれて立ち上がる。
進み出て壇上に上がると、私のメイド服姿に改めて会場内がざわざわする。
「エルモア?!
私の婚約者であるクラリオーネの……、あの服はなんだ?!」
シュベイク伯爵が立ち上がり、真っ赤な顔をして父を怒鳴りつけているのが見えた。
「申し訳ありませんっ!
妻側のイシュー家が用意すると言っていたのですが!!」
父の声を私は無表情で聞く。
立ち合いの神官長が困惑した表情で言った。
「そのような服装で本当にいいのかね? 今から着替えて最後にしてもいいのだよ」
私は声を張り上げた。
「母とイシュー子爵家の皆様は、今日のために私に白いドレスと靴、それに金のイヤリングとネックレスを用意して贈って下さいました。
昨日、10年振りにこの儀式の準備のためにエルモア家に入りましたが、全て、普通の服すら取り上げられました!」
「私は白いドレスと靴は取り上げていないぞ! それは残したろう!」
父の反論の言葉が響く。
バカだな、取り上げたの認めているじゃない。
「今朝、残されていたドレスも靴もエルモア家の使用人に取り上げられました」
「それは、私は知らないぞ!」
「それに、私は婚約なぞしていません。
昨夜、急に言われましたが、その場でお断りして下さいと言いました!」
「ただの『人の子』の娘のくせに、生意気を言うな!
お前は私の娘だ、家長の言うことを聞け!」
「母は、ただの『人の子』じゃありませんよ。
あなたはただの『人の子』ですけどね」
父の顔が歪む。
そうなのだ。
「母は自分では力を使うことはできないけれど……」
私は小さく呟いてから、精霊に願った。
母を愛する精霊たちよ。
どうぞ、私にあなた方に愛される母を守れる力を!!
聖なるプレートに手をつけると『精霊の聖女』と文字が浮かび上がった。
「どやっ!!」
聖女らしからぬ声が出てしまった。
神官長が慌てて叫ぶ。
「150年ぶりの聖女様だ!!」
周囲が騒がしくなり、父とシュベイク伯爵がぽかんとした後、喜びの声を上げているのが聞こえた。
私は大きく息を吸って腹の底から声を出した。
「私の母がいたから、私が生まれたのです!
母の存在なくては私はここにいません!」
静かになる。
私は言葉を続けた。
「次の方には申し訳ないけれど、少しお時間を頂きます。
逃げられるといけないのでここで訴えさせて下さい!
昨夜と今朝にかけて、父のエルモア家へ行った私は持ち物をほとんど取り上げられました。
イシュー子爵家が私のために用意して下さった品々です。
私は特に大切な贈り物だった金のネックレスとイヤリングの盗難届を出します!
そして、断っているのに家長に従えと言われている婚約のお話ですが、成人しましたので私から正式にお断りさせて下さい! 私はエルモア家と縁を切ります!」
「よく言った!!」
アンドリュー兄様が叫び、用意していた盗難届を見せながら言った。
「エルモア家が聖女から盗んだ物品を確認に行き、首謀者を明らかにして捕縛する!」
そして騎士を数人連れて出て行った。
父とシュベイク伯爵があまりの展開の早さに手を取り合ったまま、茫然としている。
ふふん、イザベルは私が成人して歯向かってくるかもと予想していたから、今回の成人の儀式に出させないようにと嫌がらせをしたのだろう。
そうはどっこい、なのだ。
父は……、ファウンズは、たぶん、私に何かしら力があることを期待していたのだろう。
イシュー子爵家の血筋の、自分の娘に特別な力があれば……、と。
ノア兄様がそばに来てくれた。
「クララ頑張ったね」
「ええ、頑張りましたよ」
私は優雅にお辞儀をして、ノア兄様と壇上の奥の部屋に向かった。
そこは力が認められた者だけが入れる部屋なのだそう。
私は今日の一人目だ。
これまで、母に他の人に向けた怒りや殺意といった感情を抱かせないようにするのが、どれだけ大変だったことか!!
5歳の時に見た、イザベルの周囲の黒いもやもや、あの禍々しい黒いものは、母の怒りや悲しみや瞬間的に湧いてしまった殺意に反応した精霊たちの突発的な暴走によるものだったのだ。
あの場を離れ、私の存在に救われ落ち着いた母は、落ち着きを取り戻したのだが……。
やはり愛した父の裏切りはかなりの精神ダメージだったようで、イザベルへの無意識化での恨みや憎悪は抑えられなかった。
母を愛する精霊たちはその母の苦しみを思い知らせるために、イザベルをすぐに殺すことはせず、不幸になるように、自滅するように彼女の中の悪を増幅させていたのだ。
私が見ていたのはその悪の黒い増幅の力だったのだ。
浄化することも難しいとは思うができたかもしれない。
でも、向こうの悪意が私に向けられてる以上、私にはどうすることもできず。
そばにいる娘のエレオノーラ、そして父のファウンズはもろにその悪影響を受け、感覚がマヒして同じような思考状態になっていったのだろう。
「聖女としては歯がゆかったんじゃない?
それにクララだって、縁を切るための理由や証拠とはいえ、いじめられるのは嫌だったでしょ」
ノア兄様が奥の部屋に入り、ドアを閉めると言った。
「はい、嫌なことは嫌でしたけど……。
私やノア兄様は精霊と話ができるから、精霊がやろうとすることを止められるけど、母様はね……」
自覚がないのだ。
感知もできず、交渉もできない。
どんなに優しく穏やかな人でも、信じていた人に裏切られたり、ないがしろにされれば、心の中は荒れる、悲しむ、怒る……。瞬間的に思ってしまうこともあるだろう。死ね、殺してやる、と。
母の場合はその母の気持ちに反応して、母を愛する精霊たちが暴走して事を起こしてしまうのだ。
それを母は全く知らない。
むしろ、知らないままでいた方がいい。
知ったら、優しい母は、生きていけないだろう。
考えること、思うことが怖くなり、生きていけなくなるだろう。
自分が相手を少しでも嫌だな、嫌いだなと思えば、その相手が不幸になるのだ。
死を願えば、死ぬし、苦しめと思えば、イザベルのように自滅の道を歩まされる。
5歳の時に見たあの光景が思い出される。
人を助けてくれる精霊が、実は接し方を誤れば、あのような姿にもなるということだ……。
「ノア兄様もありがとうね。
私の言うことを聞いて、母様に言わずに、母様を一緒に守ってくれて……」
ノア兄様が微笑んだ。
「ふたりだけの秘密だからね。僕もそれはうれしい」
〈何がふたりだけ?〉
〈シルフィーのこと?〉
〈違う違う、ノアがクララのことを大好きって話じゃない?〉
〈それは僕達もだよ?!〉
〈クララもノアが大好きだもん!〉
今まで黙ってた精霊たちがわさわさおしゃべりを始めた。
私は顔を赤くしてうつむく。
ノア兄様が言った。
「メイド服姿のクララもかわいいよ」
「それは……、その、ありがとうございましゅ」
ドキドキしてしまい、語尾が変になってしまった。
「さて、次は僕に協力してもらうよ」
ノア兄様の声に顔を上げる。
ノア兄様が余裕たっぷりな表情でにっこり笑った。大好きな笑顔。
そして、抱きしめられる。
〈何? 協力って?〉
〈知らないの? 聖女だとわかると王家や教会がクララを取り込もうとするだろ?!
今までの聖女はそうだったじゃない!〉
〈だから? 何の協力?〉
〈クララはこれから求婚してくる王族や貴族をバッタバッタと断らなきゃいけないんだよ!〉
〈えー、なんで?〉
〈お前、鈍いなあ。
ずっと一緒にいるって、ノアとクララは約束してたじゃないか!〉
10年前、お互いに精霊が見えて話ができることに気がついた時に、私は言ったのだ。
『ノア兄様が大好き! ずっと一緒にいたいな……』
『僕もクララが大好きだよ。ずっと一緒にいよう。なら、お嫁さんになってね』
『はい!』
「ノア兄様……」
「もう成人したんだから、ノアって呼んでくれよ……」
いやー、もう心臓バクバクなんですけど!
聖女と神官がこんなこと教会でしてていいんすかね?!
もうそろそろ次の人がこの部屋に来るかもしれないし……。
〈いいって! ここには僕達しかいないし!〉
〈私達はうれしいわ! クララとノアが仲いいのが!〉
〈ここが教会とか、聖女も神官も関係ないよ!〉
「何考えたの?」
ノアが私の顔を覗き込む。
「聖女も神官も関係ないことって?」
私は慌てて言った。
「こんな私が聖女でもいいのかなって」
「聖女になるの嫌?」
「ううん、ノア兄様と同じ場所で仕事ができるのはうれしい」
「僕もうれしいよ。
いいんじゃない。こんな聖女と神官がいても。
精霊は僕達を認めてくれているんだから」
まあ、母のような『無自覚隠れ聖女』もいることだしね。
聖女にもいろいろ秘密があったりしても、いいか!
最後までお読み頂きありがとうございました。
精霊とか神から勝手に愛されちゃって、自分にはわからないしコントロールできないというのはかなり厄介だし怖いかもね、と思いました。
ちなみにエルモアはテッシュの箱を見て「あ、名前みたい」と思ってつけました。
イシューはカルタさんちからです。誇り高い感じ……と思ったら、そうなりました。