第一話 ここが俺の居場所
高校に入って初めての期末試験がやっと終わった。
ゲーム好きの俺――丹下龍之介だってさすがにテストの前はゲームを控えて勉強に集中した。
学生としての本分を疎かにして、赤点でも取ってしまってはますますゲームができなくなる。それでは本末転倒というものだ。
自室のエアコンの設定温度を確認する。
夜になっても蒸し暑いだけじゃなく、モニターとパソコンからの熱でこの部屋の室温は他より高くなる。
パソコンの電源を入れながら冷蔵庫から取り出したばかりのコーラを一口飲んで喉を潤す。
机の傍らには栄養補給のためにラムネも装備した。
軽く肩を回して、手首をぷらぷらさせながら余分な力を抜くための準備運動をする。
「そろそろ、時間だな」
壁に掛けられた時計を見ながらヘッドセットを装着。
いつもやっているMMORPG『Myth of Rebellion』を起動させる。
さあ、行こう。仮想現実《ゲームの世界》へ。
◆
「うわ、また、うじゃうじゃ出てきた」
薄暗い洞窟の奥底で俺達はこのダンジョンのボスである大サソリと死闘を繰り広げていた。
ボスである大サソリ以外にも小さなサソリ(とはいっても大型犬サイズ)が次々と湧き出てきて俺達を苦しめる。
『雑魚が次から次と洒落臭い。そいつらとボスのヘイト任せるよ』
ボイスチャットから聞こえてくるのはその台詞に似合わないくりっとした可愛らしい女の子の声。
すらりとしたスタイルに軽装備のモンクであるアイリスは無駄のない的確なコンボを決めてボスのライフを削っていく。
「いや、これどう見ても多すぎだろ」
聖騎士である俺は新たに出てきたばかりの小さなサソリへの対応を急ぐ。
『デバフよろしく』
「わかっているっての」
まったく人使いが荒い。
敵のヘイトをこちらに向けて、ボスにデバフをかけて、アイリスのライフを回復しながら、目の前の小さなサソリを駆逐していく。
刻々と変化していく戦況を的確に把握しながら最適な判断を素早く下す。
ただ、戦況は芳しくない。ボスから放たれる強力な一撃がこちらを苦しめている。
その時、ボスである大サソリが再び両方のハサミと尾っぽを大きく上に振り上げた。
「まずい、またあの一撃が来る。いったん引かないと」
『ここで引いたってやられるのは時間の問題。それなら強行突破あるのみ』
「マジかよ」
アイリスが飛び上がり強力な一撃を放つモーションに入ると同時に俺も攻撃対象を雑魚からボスに切り替えて攻撃をする。
『これでど・う・だっ!!』
アイリスの拳がボスに命中すると硬い殻に覆われていた頭が割れて、振り上げられていたハサミと尾っぽは糸が切れたマリオネットのように地面に力なく落ちた。
そして、画面に表示されるミッション・コンプリートの文字が俺たちの勝ちを教える。
◆
「はは、マジでギリギリ」
ふーっと息を吐きながらコントローラーを机に置いて、炭酸が抜けてぬるくなったコーラを一気に飲みながら戦利品のアイテムを確認する。
苦労した割に戦利品はいまいちだなと思っていると、
『ギリギリで勝つ。それもまた私の美学。圧倒的差で勝つとアドレナリンが出ないからね』
モニターの前でドヤ顔をしているのが目に浮かぶようにアイリスが言う。
「何がギリギリで勝つだよ。マジで首の皮一枚の差しかなかっただろ。アイリスの攻撃だけだったらボスを倒すのに必要なダメージが足りてなかったじゃないか。俺の与えた分も合わせてギリギリだったんだから」
『倒せたんだからNo problem.私が言わなくてもちゃんとボスに対象を切り替えて攻撃してくれたんだから。さすがタツだよ』
タツというのは俺がゲームで使っているHNで、龍之介だからタツというなんとも単純なものだ。
「そりゃ、二年以上こうやって戦っていればわかるっての。本当にアイリスと一緒だとスリルの食べ過ぎで腹を壊しそうだ」
『いいじゃない。スリルや刺激のない生活なんて鳥籠の中の鳥と一緒だからね』
刺激のない生活がずっと続くのはつまらないものかもしれないけれど、スリルなんてものは無くたっていい。無理に心臓に負担を掛けるようなことはどう考えても健康に悪そうだ。
「スリルの摂取はいいけど、獲得アイテムがいまいちだったな。今回も〝世界の理〟は無かったし」
レアアイテムである〝世界の理〟は上位の装備を作るのに必要なものだけど、ドロップ率が低くてなかなか入手できない。
『あれはなかなか手に入らないよね。〇・〇一%だっけ?』
「たしかそのくらいだったと思う。世界の理が欲しくてコラボカフェの抽選も申込んだけど全滅だったし……」
人気のゲームやアニメ、漫画なんかはそのファンがその世界観を楽しめるようなイベントが期間限定で開かれることが多い。コラボカフェもその一つで、メニューは割高だったりするけど、そのイベントに行かないと買えないグッズもあったりするから人気があって抽選入場になるものもある。
『それはご愁傷様だね。ちなみに誰と行くつもりだったの? 学校の友達?』
「誰とって? 俺は一人で行くつもりだったけど」
学校の友人にゲームのコラボカフェに一緒に行くほど親密度の高い友人はいない。
もとより、高校に入って数ヶ月、友人や友達と呼べるような間柄の人はいない。一番良くて顔見知りというレベルだ。なんならクラスの中で顔を見ても名前が出てこない人ランキングをしたら一位を取る自信だってある。
ゲームの中では何人か親しく遊んでいる人もいるが、それはゲームの中だけで、オフ会にも行ったことがないからアイリスの顔だって未だに知らない。
『ははーん、なるほど。タツが全滅なわけだ』
「どういうこと」
『ほら、あのコラボカフェの席って、基本全部テーブル席でしょ。だから、お一人様よりも二人以上のお客さんを通した方が売り上げがいいってわけ。抽選の時にお一人様の枠は二人よりも少なく設定されているらしいよ』
「マジかよ!? 世の中はそんなにお一人様に厳しくなっているのか」
もう少し早くその情報を知っていたらと思ったが、知っていたところで俺には一緒に 行くような友達がいないのだから結局はお二人様での予約はできない。
溜息をつきながら抽選に申込んでから発表までの俺のわくわくを返して欲しいと思っていると、
『実はお二人様の方が当選確率が高いと知ってお二人様で申込んで、当選した私がここにいますよっ』
思わず本日何度目かわからない「マジかよ!?」が口から飛び出した。
『でも、残念なことにお二人様の方が当選しやすいってことだけ聞いて、申込んだから誰と行くって決めてないんだよね』
これってアイリスから一緒に行こうと誘われていると解釈していいのか。
今までの人生において女の子から遊びに誘われたことがない俺にとってこれが一緒に行こうという誘いの言葉なのかと判断するには人生経験が足りなさすぎる。
ここで調子に乗って「じゃあ、俺と行こう」なんて言って、アイリスにその気がなかったなんてことになったら引かれて、痛い目で見られてしまう。
現実で友達のいない俺にとってゲームの世界は数少ない居場所だ。だから、下手を打つわけにはいかない。
「それならお店の人には悪いけど、一緒に来る予定の友達が急に都合が悪くなって来られなくなったってことで一人で行ってもいいんじゃないか」
『わかってないなぁー、よく考えてみてよ。他の席は仲のいい友達同士やカップルで埋まっているのに可愛い女子高生である私が一人なんて悲し過ぎると思わない。いや、悲し過ぎるよね』
アイリスは自称、俺と同い年の高校生だ。
もちろん、それは自称で顔も知らないゲームの世界の友人だから、本当はずっと年上かもしれないし、小学生かもしれない。場合によっては、いつも聞いている声はボイスチェンジャーを使ったもので中身はおっさんということも考えられる。
「……えっと、可愛い女子高生なら一人でも華があるというか……、まあ、悲シ過ギルッテコトハナインジャナイカナ」
まずい。めっちゃ棒読みになった。
『んぐっ、今のは間が空き過ぎだし棒読みじゃない。それに一人でいたら怪しげなナンパ野郎に声を掛けられるかもしれないと思わない。思うよね』
「怪しいナンパ野郎ってわかっているならついて行かなければいいんじゃないかと」
『ねえ、タツって絶対に国語の成績悪いでしょ。特に物語の作者の気持ちを選びなさいみたいな設問苦手だよね』
俺の国語の成績とアイリスが一人でコラボカフェに行くことの関係はわからないが、国語の成績は悪くない。作者の気持ちなんて設問文から読み取れることを客観的に答えればいいだけだ。
「い、いや。そんなことは――」
『そんなことは絶対にある。ここは「俺でよかったら一緒に行こうか」だよね』
俺の言葉を遮って迫力のある声がヘッドセットを通して俺をスパーンと叩く。
その言葉が浮かばなかったわけじゃなくて、その言葉を言う度胸がなかっただけなんだが。
アイリスにここまで言われれば、引かれる心配も痛い目で見られる心配もない。
それに来店者特典のレアアイテムが欲しい。
そうなれば断る理由はない。
「……えっと、コラボカフェに行く相手がまだ決まってないなら、い、一緒に行こうか」
ヘッドセット越しに妙な緊張感が伝わってきて口が上手く回らない。
『You betcha.ありがと。楽しみにしてる』
別に好きな子に告白をしているわけじゃないのに俺は何を緊張しているのだろう。
いや、もし、これが告白のシーンだとしたら俺はめちゃくちゃかっこ悪すぎる。