水都抗變・七
㺦は制御室の警備員を昏睡させ、獇は六階の警備員を片付けた。
そして尨大な資料の中から、『迫夜警报』に関する資料を見つけたが──。
資料室に戻った時には、獇は探していたファイルを既に見つけ、まじまじとそれを睨んでいた。
獇
「見つけたか」
「──少将……。はい、間違いなく彼女の資料なのですが……」
獇は少将である㺦に、握っていた資料を手渡すと、彼女は腰を落ち着ける暇も忘れて、釘付けでファイルを開封した。
㺦
然れども、感触からではあったが、ファイル自体がかなり薄く、明からさまに情報量が少なさそうである……。
中身は『迫夜警报』に関する、彼女の淼尼斯に於いての動向を一つに纏めたものだ。
さて、いざ中身を開封してみると、同封されている幾数の写真に真っ向から捉えられているものはなく、総て茂みや遠く離れた建物から捉えられたものばかり、模糊たるものでどれもこれも判然していない。
淼尼斯正教会の許で機能する一二部省のうち、最大の権威を有し、裏の社会にも精通している説法省が集めた資料であるにも関わらず、実の成った情報は指折り数える程度しかないのは、如何ほどの失態……。
「特に使える情報はなし、か……」
凡そ二枚の資料に二人は唖然とし、次に僅かな怒りが込み上げてきた。
いや待てと、抑、こんな説法省の集めたチンケな資料を当てにせざるを得なくった己を恨むべきである。
此奴らが淦と戦闘をしている間に、いち早くと現場に到着し、警报を捕獲していれば、態々こんなシケたとこに来て、手を汚し、ちっぽけな資料でがっかりすることもなかったのだ。
振り返るとじわじわ頭痛が脳内を襲い、具合が悪くなってきた。
「うっ──」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫だ……。はぁ……、こうなったらもう遮二無二捜すしかないんだろうか──」
──────
────
──
翌日早朝──。
そんなこんなで、ここ最近はツキというツキが回ってこない。
仕事はこれっぽっちも上手くいかないし、碌に睡眠も摂れておらず、そのくせ追跡する女のために、はるばる北梑から西西里までやって来、その地を奔走したというのに、これ一つの成果も得られなかった。
然れども、ここまで来るともう大体がどうでもよくなる。
然ればカフェでのんびりやっているのか。
警报がなんだ……。
なにも、別に其奴のために己が身を削らねばならん猷など到底もないだろう。
──この、何時からか己の腐敗した沃土に芽生えた、すぐに何でも厭しくなってしまう悪い癖を再三再四と厭みながら、カフェのテラス席から望める大海を見惚けた。
潮気を帯びた優しい風が㺦の頬を掠め、それはまだ、冬が遠々先方にあることを告げる報せも兼ねている。
「獠…………」
無意識に、ぽつりと名を溢したとて、其奴が姿を見せるわけでもない。
唯一変わるのは、己が胸臆に尨大な重りを成した、痞の軽減といったところか。
………………。
両手で包み込めるほどのティーカップに収まったコーヒーを眺める。
ゆらゆらと手の震えを伝って成る小さな波に、時折てらてらと陽が反射し、それはまるで踊るようにあったが、何故かそれを見て良い気分にはなれなかった。
波が己、陽が其奴……。
………………。
なーにを言っているんだ私は。
と、頭を小刻みに横に振って我に返り、取手を摘まんでコーヒーを一息に総て飲み干した。
「──少将……!」
沿道から颯爽と敏捷にして走ってくるのは、紛れもない獇の其奴で、感情の起伏がとても薄いのが最大の特徴でもある彼女が、珍しく周章ててこちらへと走っているのが目に見える。
銀髪を海原から吹く風に棚引かせ──。
睡眠不足のせいで頭はカラ回りを起こし、碌な思考ができていない。
「どうした。えらく周章ておって」
「迫夜が……、叙拉にいるようです」
「そうか──────はぁっ!?」
㺦は転瞬に立ち上がり、勘定の金を置いてすぐさまカフェを後にした。
不遇を哀れんだ何処ぞの神が、己に最後のチャンスを与えたのかもしれない。
而して㺦は、抑えきれんばかりのアドレナリンを溢れさせながら、獇と共に警报の追跡を急いだ。
──欺瞞──
幾重もの小波を作り、それを掻き分けるように、細い水路を一つの小舟が丿乀と進む。
外側を黒豹のような黒、内側を葡萄酒のような赤紫に染め上げた狭長小船。
高貴さと上品さを兼ね備え、先端部などには細やかな金色の装飾が散りばめられており、それが高級さを引き立てる良い素材となっている。
さて、その狭長小船はどうやら急いて水路を進むようで、それは舟に座って待つ者を見れば一目瞭然であった。
言を俟たずの、獠である。
今日の予定は、一にこれから銀行へと赴き、あの女からもらった報酬額の一部を引き落とす。
二に、灱の迎えに行かせた猒と合流し、しばらくの間三人で過ごした後、三に一人で淼尼斯本土へと渡り、灱の身柄に関することで東煒大使館を訪れる、というもの。
──畢竟、獠は猒の説得に折れたのだ。
彼女の云う通り、己は列称を所持し、ある程度──断じて良い意味に非ず──名の知られている者であり、よくよくと考えてみれば、数多の敵を作り、牙を向けている。
猒はまだ良いものの、幾分と幼い灱までを、己が私情のために危険に晒すわけにはいかない。
半ば強引な説得であっても、こうしたほうが理に適っていることに違いはないのだ。
愛おしく、片時も離れたくないのが本音であるが、彼女自身の安全のためにも、こうする他ないのだろう。
己が積んできた来歴と、こうする以外に手のない現状、そしてそれに対する無力さ、合わせて金剛輪際と灱に会えなくなると思えば、胸臆には表し様のない悲痛な心情と、自責の念に駆られ、面持は暗くなり、我知らず俯いていた。
ふと目を瞑ると、灱をすぐ傍に感じる。
いつも夢に見る光景。
草原にて、灱は虚ろに何処かを覘望し、やがて歩み寄った己に気づくと、㥕れな微笑みを形相に成して、小さな手をこちらに伸べてくる。
然れども、いつもいつも、手を繋ぐ寸前で目が覚めてしまう──。
「──さん。迫夜さん!」
後方から耳を突く声に、獠は少し驚いて振り向いた。
「んっ──。な、なんだ」
「だーかーら。着きましたって」
櫓手は呆れた物言いで、坦心の眼差しを獠に向けた。